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【読書ノート】『耳無芳一の話』

【読書ノート】 『耳無芳一の話』

小泉八雲著 青空文庫


ラフカディオ・ハーン=小泉八雲


小泉八雲:ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)文学者。ギリシャ生まれのイギリス人で、前名ラフカディオ・ハーン(ヘルン)。

1890年来日。(明治23年)

旧松江藩士の娘、小泉節子と結婚。のち帰化。松井中学、五高、東大などで英語、英文学を教える傍ら、『心』『怪談』『霊の日本』など日本に関する英文の印象記、随筆、物語を発表。


どんな話?サクッとあらすじ

①芳一という目は不自由だがすばらしい腕をもつびわ奏者(そうしゃ)がいた。

②ある夜から、芳一は、亡霊にびわの演奏をねだられるようになる。

③それをしった和尚さんは芳一におまじないをして、芳一を守ろうとする。

④おまじないに手落ちがあり、芳一は亡霊に耳をとられてしまうが、その後、耳なし芳一として有名になる


教訓

ラフカディオ・ハーンの民話「耳無芳一のはなし」は有名な物語です。

この物語は単なる怪奇譚というよりも仏教説話ととらえてもよいかと思っています。

油断禁物・最後までしっかり仕上げることの大切さ。

人は、過ちを起こすものです。芳一の耳にも般若心経が書かれていたら耳はもぎとられなかったでしょう・・・・

他にも脅しや甘い誘いに屈せず、自分の意志を貫く。人の話をよく聞きよく従う心。

人間の怨念の存在、なども、見えてくるような気がします。

しかし同時に、心から誠意をもって対応した相手には、誠意が通じ、心から感謝される人になれるという意味としても取れるのではないか。


①目が不自由なびわ弾き

阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能を見込んで、寺に引き取ったのでした。

芳一は源平の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦の合戦のくだりのところでは、

その真にせまった語り口に、誰一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。


②壇ノ浦

その昔、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの最後の決戦が行われ、戦いに敗れた平家一門は、女や子供に至るまで、安徳天皇として知られている幼帝もろとも、ことごとく海の底に沈んでしまいました。

この悲しい、平家の最後の戦いを語ったものが壇ノ浦の合戦の下りなのです。


③身分の高いものに認められる喜び

芳一はある夜、身分の高いお方が自分のびわを聞きたいと望んでいると聞いて、嬉しくなって遣いの者について行く。

芳一の琵琶を聞いた殿様も大層喜び、これから6日間毎夜聞きたいと言われ、いそいそと夜に出て行く芳一は、和尚に見つかってしまう。


④芳一を守る寺の人達

寺男達は芳一が亡霊にとりつかれているに違いないと、力任せに安徳天皇のお墓の前でびわを弾く芳一を連れ帰り、魔除けのまじないをする。

芳一の体中に長文を書きつけた和尚だったが、耳のみ書かず。

手落ちだったと和尚は耳を千切られた芳一に謝る。


⑤豊かになる芳一

しかし耳を千切られた芳一は回復し、耳無芳一として有名になり、大量の金員を手に入れ、豊かに暮らすことになる。


★まとめと考察

芳一は源平合戦を語るのがうまかった。

日本でも一番では?と言われているくだりがある。その際、殿から褒美を沢山与えると言われるが、芳一の意思とは関係なく和尚が助けに入るため、褒美をもらう前に投げ出すこととなる。

しかし最後には、耳がなくなることで『耳無芳一』として世間で有名になり、たくさんの金員を手にすることになる。

これは殿からの褒美だったのではないか?心からの感謝の品だったのではないか?と思う。というのも、琵琶法師というのは、平家の滅びゆくさまを美しく語るべき存在であり、やはり芳一のびわで安徳天皇をはじめ、平家の亡霊達が心から感動しているシーンが描かれている。

琵琶法師とは、『平家側にたった立ち位置で語るべき存在』として成り立っており、それには芳一も例外ではないからである。日本では他にこれほどの琵琶を弾きはいないと平家に言わしめた芳一。

それほどの腕前で自分達の戦った様を語られたら、平家の一門が感動しないわけもなく、真面目な芳一が一生懸命心から琵琶で語った源平合戦はそこにいた亡霊達全ての心を掴んだのではないかと思う。そんな平家一門は、最後に芳一に褒美を取らせたと考えても不思議ではないからである。

だとすると、和尚が芳一を亡霊から守ったとされるシーンにおいても、本当に芳一があのまま、安徳天皇に琵琶を弾きに行くことが続いても、決して不幸が待ち受けていたとは一概に言えないのではないか?とも考えられるのではないだろうか。

むしろ、本当にきちんとした褒美をもらえた可能性があると考えたら、一人空回りし、芳一を助けようと試みた和尚は手落ちまで行ない、勝手に一人で騒いだお騒がせな男だったのではないか。

芳一は、セリフのひとつひとつから、本当にいい人だったということも見て取れ、『耳無芳一の話』と言う怖い話として知られているこの話が、『いい人芳一物語』という題名でもいいのではないかとさえ思えてくる。

余談

それにしても小泉八雲である。
彼はギリシア生まれのイギリス人だ。
彼は日本人の妻を持ち、日本に帰化をした。
そんな彼がこんな作品を書けるのか!
日本人以上に日本の心が分かっているような作品の内容である。
本本作品の中でも、平家の亡霊達が話をしている内容は、とても外国人が書いたとは思えないほど丁寧で難しい日本語が並んでいる。
これほどの日本語を扱える作家は、この当時でも少なかったのではないだろうかと、私は数多くの作品を読んでいて感じたことである。
ラフカディオ・ハーンという人物は、日本人の妻を持ったから、日本が好きだから、日本の国籍を持っていた方が便利だから、などといった中途半端な気持ちではなく、心から日本を愛していたのではないだろうか。
ラフカディオハーンについて調べた内容を、今後もまたこのブログに書き足していきたいと思う。
なんだかきっと、素晴らしい人物が現れてくるような気がしてならない。

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