「借りぐらしのアリエッティ」の『借り』とは何か?

2023/08/22の日記より

 「借りぐらしのアリエッティ」の『借り』とは何だろうかと考える。誰にとっての『借りぐらし』何だろうか、『借り』と『狩り』をかけているんだろうか、『借り』とはどんな意味が込められているんだろうかなどの疑問が思い浮んでくる。登場人物は個性的で主人公の台詞は唐突で意味ありげだし、ハルさんの行動も善悪で動いている訳でもない。それでも、人間と小人の、動物や自然との関係を匂わすところがあり、ファンタジーや恋愛ともとれる物語の懐の広さもある。
 まず、出だしのアリエッティの登場するシーンでは、アリエッティは猫に追われ、猫はカラスに追われるという生物界の関係性が示されているのが興味深い。小人族は他の生物から狙われたり、人間の生活する場所の大きさに圧倒される描写もある。それでも、人間からいろんなものを借りて小人族は、借りぐらしを続けて生き残ってきた。
 主人公は、心臓の手術の不安からか「君たちは滅びゆく種族なんだよ」とアリエッティに突きつける。しかし、滅びゆくのは主人公のことだけでなく、人間という種族もまた含まれないだろうか?小人族が、人間に依存して『借りぐらし』をするように、人間もまた社会や文明というものに依存した『借りぐらし』をしていると考えられるかもしれない。例えば、小人族を狩猟採集の種族、人間を農耕開発の種族とするならば、人間は自然から何かしら『借り』ていると考えられないだろうか。
 人間は、農耕開発することによって、食料を蓄え、私財を所有するようになった。そして、社会や文明が個人以上の記憶を引き継ぐことにもなった。しかし、小人族のアリエッティは家族以上の記憶を持っていない。しかも、人間からすれば伝説やおとぎ話のような存在で、小人族は滅んだかもしれないと語られる側であり、人間は語る側という構造がある。しかし、人間自身も『借りぐらし』であり、滅びゆく種族という可能性がある。
 というよりも、生き物すべてが自然のなかで生まれ滅びゆく定めなのかもしれない。そして、主人公の生きていく力をもらったというのは、たとえ滅びゆく種族だとしても、生きていこうとする漫画版ナウシカを彷彿させられる。そうした、種族を越えた語り、語られる関係というのはベイトソンのようだなと思う。

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