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木曜日の朝に。 43朝

「おはようございます。」

もそもそと起き出して、ぴこんと跳ねた金色の寝ぐせ頭で、ひとつまみの塩を入れ、白湯をすする。雨に濡れたウッドデッキの手すりが小窓から見えて、「今日も雨だね」と言ったけれど、答えたのは足元にまとわりつく猫だけで、それだって、
「ナァー…(ごはんは?)」なのだ。

次女も三女も、鏡の前で前髪を作るのに忙しい。度々「30分だよー」とか「32分だよー」とか、分刻みに声をかけないといけない。
バーッ、とか、ザーッ、とか朝ごはんを慌ただしく食べているうちに、帰りの予定だけは確認しておく。
「いふもほ いっひょ」
そうか、いつもと一緒か。

卵焼きは今日も上手に焼けた。

今日は、家で仕事をして、午前中に商工会議所へ確定申告に行って、午後は中学校へ授業参観にいって、夜には長女が帰省してくる。

予定というのは、どうしてこうも重なってくるのだろう。あれもこれもその日に集まる。
一日でいろいろ済むのはいいのだけれども…。〝たまたま〟なのだろうけれども…。

あれだろうか?
ランチで入ったお店で、空いていて私たちはすぐに通されたのに、その後次々にお客さんがやってきてウェイティングが何組も出て、「私たちがお客さんを呼んできたんだね」
みたいな〝たまたま〟だろうか。

それとも、
帰りにスーパーに行っても、翌日にドラッグストアに行っても、その週末に結構遠めなGUに行っても、同じ人とバッタリ出くわして「よく会いますねー」みたいな〝たまたま〟だろうか。

ある種の〝渦〟みたいなものだろうか。

そういえば、先日美容室でも同じようなことを話していて、
「普段、全然お見かけしない人なのに、とある依頼を『あの人にお願いしよう』って思ってたら、まさにその人がスーッと目の前を通ったの!」みたいな。
〝たまたま〟だけれど、何かしらの力が働いている気がしてしょうがないよね、なんかそういうのを『縁』ていうのかもね、なんて。

〝たまたま〟に少し物語を感じると面白い。
村上春樹さんの「東京奇譚集」みたいな。


さてと、
今日は学校へ行くから、白シャツにアイロンをかけておく。シュルシュルと、アイロンは生き物みたいに息をして、スイスイと、アイロンがけは好きな家事です。

今朝はこの曲を聴きながら♪

RADWIMPSの曲は、昔の曲でも全然古い感じがしなくて、歌詞からしてみても野田洋次郎って人は芸術家なんだな、と思ってしまう。

「やっといけるか いけないかくらいの
ラッキーの使い道と使い所を知ってたんだ」

『奇跡』をそんな風に言い表すなんて、芸術家というか、小説家みたいだ。

𝐇𝐚𝐯𝐞 𝐚 𝐧𝐢𝐜𝐞 𝐝𝐚𝐲🎧

よく降りますね☂
雨の日は猫もよく眠る。
(いつも寝てるんだけど)

                                        にょーーーーーん。on こたつ


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