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茶道論「芸能論」② —中世の芸能—

四つの芸能性の性格要素 芸能と茶

一、ふるまい 「芸能表現」

舞台芸能における芸能表現とは身体の所作を媒介とした表現、演技、楽器演奏、身体表現を通じて観客を日常次元から芸術的次元へと高める→茶道での点前作法に当たる。 

二、よそおい 「化粧、衣装、手にもつ『採りもの(神楽の鈴のようなもの)』」

演者は装うことによって、日常生活の個人ではなく、想像上の役に変る→茶道では化粧はない。茶道は日常生活の芸能化であるから日常が残される必要がある。衣装、採りものとしての茶人の正装たる十徳は変身の象徴、茶碗、茶入、茶杓などの茶道具は茶道特有の採りものと言える。

三、しつらい 「舞台」

舞台、演者と観客を隔てるロープ一本でも良い。日常を拒否する結界である。演者と観客の約束事→茶道における茶室や露地はあくまで生活空間の座敷と庭の姿を撮りながら独自の空間を演出する芸能的空間である。

四、おもい 「芸能思想」

能における花、幽玄、連歌「冷え枯れる」、俳諧「さび」、美意識を表現する思想→茶道についていえば「わび」(多様な解釈が必要)である。

「それぞれの思想が多様な解釈を許すように「わび」も多様な理解が必要である」

熊倉功夫「茶道論の系譜」熊倉功夫・田中秀隆編『茶道文化体系 第一巻 茶道文化論』1999、淡交社、十三頁。

会のあり方、道具、趣向の共通点


連歌と茶道の共通性は美意識ばかりでなく会のあり方にこそ影響の重要性があろう(戸田勝久「武野紹鴎研究」)。


二条良基の連歌論『連理秘抄』


二条良基の連歌論『連理秘抄』は、連歌会の趣を述べている。

連歌の一座を開こうとするならば、まず時期を選び、眺めのよいところを探すべきである。雪月の季節、花木の美しい時、そこで時々刻々変化してゆく姿を見ると心も内にあって生き生きと動き、その動きにつれて言葉も外にあらわれてくる。多人数の集まりや大飲、荒言の席は決して開いてはならない。時期をうかがい、機を得て、この道の数寄者だけを集めて心を澄まし、座を静め、しみじみと吟詠して良い句を出すべきである。

二条良基『連理秘抄』


里村紹巴『連歌至宝抄』

紹巴は藤原定家の『詠歌大概』を引用し、「歌の心は今までにない趣向や見方といった新しさを大切にし、用いる言葉は古い雅やかな言葉でなければならぬ」とし、「茶の湯も歌道と同じであると承っております。古い道具を用いながら、心は新しく仕出してゆくのは、右に申した定家の意に叶うものであります」という。

熊倉氏によると、精神、会のあり方、道具と趣向の組み立てについての共通点は、連歌と茶道の深い関係を表す。手法については、茶道における「道具の取り合わせ」「主客の組み合わせ」が連歌の「つけ合い」「見立て」によっている。現代では、連歌、茶道は芸能ではないが、中世の芸能としては、近しいものであったとされる。



参考文献
熊倉功夫「茶道論の系譜」熊倉功夫・田中秀隆編『茶道文化体系 第一巻 茶道文化論』淡交社、1999年。

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『集連』(京都大学附属図書館所蔵)

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