茶道論「芸能論」① —中世の芸能— 

芸能論とは

茶の湯を芸能という切り口で捉えようとする発想である。
林屋辰三郎氏は芸能の性格として巡事性と結座性をあげた。

巡事性

巡事性とは、寄合いの座において、一人一人が順序を保ちながらことを運ぶことであり、「巡事というプロセス」が楽しまれる点に芸能性があった。
 連歌は発句からはじまって二句、三句と連衆によって巡事、句がつけられていく、この形式こそ日本芸能特有の巡事性である。

結座性

古代中世の芸能の特質は寄り合いの芸能という点にある。一座をなして芸能を互いに楽しみ、同時に一座に集う衆の結束を固め心を一つにする役割を芸能に期待していた。

一座建立と一期一会

茶会において重要なことは、一座の人々の心の連鎖的結合であり、個と全の完全なる調和の発見である。結座性とはいわゆる一座建立である。

この芸とは、衆人愛敬をもて、一座建立の寿福とせり

世阿弥「風姿花伝」『日本古典文學大系』1961、岩波書店。

能楽史一般の理解
世阿弥のいう一座とは、「芸能座の組織が成立する」と解釈されている。

林屋氏の解釈は「実は舞台の演者と見物席の全観客の精神的融合、換言すれば一座を結ぶということによる芸術的法悦境の完成を意味するものであった」
→茶の湯でいう「亭主と客の間に生じる一体感と高揚感を一座建立と考える見解」である。

そして、茶道論としての一座建立は武野紹鴎が初出である。
『山上宗二記』「又十体 第六条」

一、客人フリ事、在一座ノ建立ニ、條々蜜傳多也、一義初心ノ爲ニ紹鷗ノ語傳ヘラレタリ、但、當時宗易嫌ルル也、端々夜話ノ時云出サレタリ、第一、朝夕寄合間ナリトモ、道具ヒラキ、亦ハ口切ハ不及云ニ、常ノ茶湯ナリトモ、路地ヘ入ヨリ出ルマテ、一期ニ一度ノ會ノヤウニ、亭主ヲ可敬畏、世間雑談無用也、夢庵狂謌

千宗室編『茶道古典全集 第六巻』1958、淡交社、93頁。

これは客の心得として説かれている。
武野紹鷗が語った「一座建立」を利休は嫌い。かわって一期一会の語があらわれる。
熊倉功夫氏は紹鷗時代の茶の湯が一座建立という結座性的な性格が強く、利休はそれを改めようとしたとしている。



熊倉功夫「茶道論の系譜」熊倉功夫・田中秀隆編『茶道文化体系 第一巻 茶道文化論』1999、淡交社。


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