禅院と茶 —薬効の茶から文化の茶へ—

禅院と茶、そして茶礼

鎌倉時代前半の茶は薬用であるとされているが、中国の禅院では寺院内の生活規範を定めた『禅苑清規』(1103)が用いられ、「茶礼」が確認できることからも、栄西が伝えた抹茶は平安時代と異なり禅を背景としたものであった。

道元は栄西の弟子明全と入宋したのちに曹洞宗大本山永平寺を開創。
大徳寺を開創した宗峰妙張(大燈国師)の師にあたる南浦紹明(大応国師)も文永四年(1267)に帰国したことからも、『禅苑清規』は日本国に定着し、禅と茶は結びつきを一層強固にしたと考えられる。

茶の薬効を期待した時代が終わり、茶が文化を伴う時代が始まろうとしていた。

北宋の末期、雲門宗第七世の慈覚禅師宗蹟が著わした『禅苑清規』(1103)10巻は、現存する最古の禅門清規として知られる。いうまでもなく、本書はたんに北宋叢林の生活全般にわたる詳細な実践規範であるばかりでなく、禅門史上、ひいては中国仏教史上における重要な仏典としての地位を占めている。

椎名宏雄、2004「『禅苑清規』成立の背景」、印度學佛教學研究第53巻第1号、日本印度学仏教学会。

参考文献
茶道文化検定事務局編『茶の湯を学ぶ本』2021、淡交社。


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