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エベネザー・ハワード(1850~1928)

(概要)

エベネザー・ハワードは,1950年ロンドンで小売商の息子として生ました。1872年渡米し,ネブラスカ州に開拓民として入植しますが失敗し,以後シカゴで速記者として働きました。1876年イギリスに帰国し,以後も速記者として生計を立てつつ,機械類の発明に携わりました。1898年に「明日―真の改良に至る平和な道」を出版し,1899年に田園都市協会を創立します。そして,1902年には同書にわずかな訂正を加え,「明日の田園都市」と改題して出版するや,田園都市を実現しようという運動が急速に盛り上がり,田園都市レッチワース,第二田園都市ウェルウィンが建設されるに至りました。田園都市は、衛生都市、ニュータウンへと展開されていく近代建築都市計画の礎としてとても重要なものになっています。

(明日―真の改良に至る平和な道)
産業革命以降の都市労働者の悲惨な労働・居住環境を改善するため,都市および農村の魅力を併せもち,均衡のとれた社会の形成を目指す田園都市構想のことです。のちに「明日の田園都市」と改められる。


明日の田園都市

(レッチワース)
ロンドンの中心地から北へ約35マイル(約56km)に位置しています。「明日の田園都市」が提唱されてから10年余り,1903年にパーカーとアンウィンという二人の建築家が「田園都市」の理想を現実のものにしました。
レッチワースには、建設当時の建物から建設されたばかりのタウンセンターまで、途切れることのない100年の時の流れが刻む歴史と、懐かしさを醸しだす絵画的な街並みがあります。アンウィンとパーカーが描いたレッチワースの街並みづくりの思いは、100年もの間、人々の営みの中で綿々と引き継がれてきました。


レッチワース 

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