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神サマは未来に住んでいる

神様がいるとして、じゃあなんで輪の中に入れない、孤独な人がいるんだろう、と夜の公園で考えた。自分が肌寒いベンチで一人だったから、神様はどこで何してんだって思ったのが発端だ。
映画『秒速5センチメートル』を見た帰りだった。

すぐに思いついたのは、神様は今ここにはおらず、未来にいるのではないか、ということ。木の棒で砂の上に文字を書く。
「神サマは未来に住んでいる」
ちょっとだけ気に入った。今の自分を落ち着かせる答えだったからだろう。
最近私は、日をまたがないようにきっちり寝て、朝も早起きして、今、今、この瞬間だけを最大限に無駄にしないように生きていた。時間がないから。18歳はすぐに終わる。早いうちに何か実績を作らないと。そう焦っていた。
そんな時だったからだろう。神様が未来にいると考えれば、今この瞬間しか見ていない私に神様が見えないのは当然のことだという考えが救いに思えた。

一旦焦るのをやめよう。これには合理的な理由は無い。一旦焦るのをやめてみない? という提案だ。“今”行動の意味を考えて、“今”動くのではない。未来に理由を託すのだ。合理的な理由の無い行動は、未来の神様に任せている。
未来の自分がどうなるかなんてわからない。未来の神様だけが知っているのかもしれない。


衝撃的な出会いや発見、劇的なきっかけなんてなくても、好きな人とキスをしたり、種子島でロケットが飛んだり、好きだった幼馴染とすれ違うだけで、人は大事な変化を起こせる。

私にとって、神様のような女の子がいる。馬鹿で勉強なんて興味なかった私に、科学と出会うきっかけを与えてくれて、私の高校3年間を奪い取った女の子。
馬鹿な私は科学が好きなまま国立大学を目指した。
だが3年の12月あたりになって、その神様が見えなくなり、結局大学には出願さえしなかった。
「なぜ大学に行かなければならないのか」
そんな疑問が浮かぶたびに、YouTubeで大学不要論を見た。

だけどそれは、自分の考えじゃない。私は様々な成功者や起業家の口から出る合理的な大学不要論を何遍も聴き、うなずいて、自分も他人に話していたが、それは自分で得た知見じゃない。私は本当に大学が不必要なのか、分からない。

では、自分で考えるとどうなるか。私はこう考えた。
自分の神様を再び見つけるため。
神様は未来にいる。未来にいる神様を私は探しながら生きていきたい。だから今じゃなくて、未来を見ながら、朝起きて、電車に乗って、映画館に行く。

未来を見ながら生きていたら神様の輪郭を掠めて見ることが出来る。好きな人とキスをしたり、種子島でロケットが飛んだり、好きだった幼馴染とすれ違う時だ。
この世界は等倍でも速い。スロー再生しないと見つけられないものは沢山ある。急いでみるのはたまにでいい。

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