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子どもの「泣く」と、大人の「泣く」

3人も育ててると、1日の中で、しょっちゅう誰かが泣いてる。

構成は6歳、4歳、1歳半。
当然、1歳半が一番回数多いのだけど、生理的欲求みたいなものばかりだから、眠たい時以外は割とすぐ泣き止む。
4歳と6歳は、まだ4歳のほうが多いものの、よく2人でケンカして、お互い泣いてるから、そんな回数は変わらないように感じる。

平日、なんにもない、日常的な日々。
そして、日常的に、自分一人の時間、妻と二人の時間は、限りなく、限られている。

保育園送り、通勤、仕事、残業、お迎え。
料理、選択、皿洗い、皿片付け、子ども宿題確認、明日の用意。
向こう1~2週間の予定確認、休日イベントの検討。

健康維持のためのちょっとした運動が、自分へのご褒美の時間にカウントされていく。

こうやって書くと、辛い・暗い感じに見えてしまうけど、これらを跳ね飛ばしてくれるぐらい、子どもがくれる、たくさんの幸せ。

ただ、こっちが追い込まれてる時ほど、よく、泣く。

今日もそうだった。
けど、子どもは、驚くくらい、泣き止むのが早く、切り替えが早く、ケンカしてても仲直りが早く。
1回泣くことに対する精神的負担が、大人に比べて、圧倒的に軽いんだろうな。
もちろん、コトの内容で軽重はあるだろうし、だからといって、泣かせていい、というわけではない。

けど、大人の”1回泣く”は、とっても重い。
痛さ、辛さ、苦しさ、やりきれなさ。そして、嬉しさ、幸せ、感動。

昔、何かで読んだ。
記憶怪しくて合ってるかわかんないけど、人は、年齢の分だけ、1年過ぎるのが倍速に感じるって。
20歳なら1歳の時の20倍、50歳なら50倍。
経験値が上がっていって、これから起きること、季節で変わること、起きてしまったこと、そういったこと全てが、”慣れ”になり、毎日に感動しなくなり、こうやったらこうなるよね、みたいな予測が立つ日々を暮らすようになる。

だから、大人が泣く、ってのは、とっても大きなできごと。

けど、子どもが泣くように、毎日を、日常を、ひとつひとつを、大事に、かみしめて、喜怒哀楽を表情豊かに持っていたい。

3人の泣き顔を見て、そんなことを思った。

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