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時計のない時代、庶民はどうやって時間を数えていたのか? 【多田修の落語寺】

落語は仏教の説法から始まりました。
だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。
このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

今回の演題 時そば


 江戸の街で深夜、客がそばの代金16文を、1文ずつ払います。

「一、二、三、四、五、六、七、八。今何時だい?」。

 そば屋「九つで」。客はすかさず「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六」と立ち去ります。それを見ていた男が、1文ごまかした手口に感心して、まねしたくなります。

 翌日、そば屋の支払いで「一、二、三、四、五、六、七、八。今何なん時どきだい?」。そば屋「四つで」。男「五、六、七、八……」。

 「九つ」は江戸時代の時刻の数え方で現代の深夜0時、「四つ」は午後10時にあたります。でも、江戸時代に腕時計はありません。置き時計や懐中時計はありましたが、庶民が持てるものではありません。

 そば屋はどうやって時刻がわかったのでしょうか? それは、お寺の鐘です。大寺院は深夜でも鐘を撞いて時を知らせていたので、それを聞けば時刻がわかりました。そしてお寺では、お香を利用して鐘を撞く時を計っていました。お香の燃える速さは一定なので、燃えた長さを見れば、どれだけ時が経ったかがわかります。

 そばの起源には諸説ありますが、一説には鎌倉時代の禅僧が中国から麺類を伝えたことに始まると言われています。博多(福岡市)の承天寺(臨済宗)には「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑(左写真)があります。そう考えるとこの落語、お寺が陰の主役と言えそうです。

『時そば』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚

 柳家小三治師匠のCD「特選落語名人寄席12十代目柳家小三治2湯屋番/時そば」(キングレコード)をご紹介します。1人目の客と2人目の様子が対照的で、笑いを誘います。
 
多田 修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺副住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


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