エルヴィス
ポップコーンは買わない。vol.134
あらすじ
エルヴィス・プレスリーとは
こういう時に便利なウィキペディアさんによると…。
ミドルネーム”アーロン”ていうんだ。
史上最も売れた音楽家かぁ。レコード人気が再燃しているとはいえ、サブスクで音楽を聴く世代が増えてきて、CD、レコードを買う人が少なくなってきている中、これを超えることは難しい気はするね。
別のサイトではビートルズと並んで売り上げ10億枚を超えてるとか書いてあったよ。
どこのサイトが正しいかは置いておいて、とにかく凄すぎる。40歳も早々に亡くなっていると考えると凄まじい人気だったんだと感じられる。マイケル・ジャクソンも早く亡くなったけど50歳にはなってたみたいだし。ビートルズのメンバーだったうちの2人は未だ現役、80歳を超えている。これはこれで凄まじい。
エルヴィスやマイケル、ビートルズの人気は凄まじく、さまざまな要因があるにせよ大衆にさらされた結果に参ってしまって、亡くなってしまったということは考えなくてはいけない。
ビートルズはその点、バンドであったのと、途中からライブ活動はやめて、スタジオ録音に専念する時期に突入して、その後解散、ソロの活動へと分散していったため、名声、栄誉、そして何より自分たちのやりたいことに対して注力できたのだと思う。ジョンレノンやジョージハリスンは志半ばでこの世を去ってしまったことはあるけれど、彼らの残した作品は今でも大切にされている。
一方で、エルヴィスやマイケルはソロのアーティスト、(マイケルは厳密にいうとジャクソン5の時代があるのだが。大爆発はソロになってからと考える。)彼らには自分の苦しみを放出するベクトルが存在しなかったのかもしれない。
本作ではエルヴィスの生涯を描いている。
監督のバズ・ラーマンは演出がやけにギラギラしているのが特徴らしく、その豪華絢爛さといったら目を引くどころかバンバンビシビシ伝わってくるのだが、ある種の資本主義社会における人間の営みの光と闇を描く上では闇の部分が引き立たせる意味でもあの誇張ともいえる演出はむしろ良かった気がしている。
エルヴィスはすごく家族想いの優しい青年であった。その後彼がものすごい存在になる前夜、母親に歌をプレゼントするためだったかなんかでレコードに歌を吹き込むためにメンフィスのサン・スタジオでバラード の“My Happiness” と “That’s When Your Heartaches Begin”を歌ったらしい。
すると、サンレコードの創業者であるサム・フィリップスとアシスタントのマリオン・ケイスカーがその歌声を聴いて才能を感じ、売り出されることになったらしい。
“That’s All Right, Mama”
エルヴィスがこの曲を歌ってラジオで流れるというシーンが本作において印象に残っている場面の一つとして挙げられる。
この曲はメンフィスでローカルヒットになったらしいのだが、ラジオを聴いていた人たちは黒人が歌っているのかと勘違いしていたらしい。
よほど彼の中に黒人音楽が染み付いてたのだろう。
悲しいけど、エルヴィス自身が白人だったからこそ売れたということも実際問題あるとは思うが…。
また、予告編でもわかり安くセクシャリティな表現で女性が沸いているシーンが印象的だが、あまりにも女性の本能的な行動に自分でも何でこんなに興奮しているのかわからない、我を忘れて目がハートになっているのがよくわかるシーンだ。人間の理性を超えた極めて動物に近い人間がそこにはいた。今よりも嗜好のレンジが少ないからか、多くの人がエルヴィスに夢中になったようだ。ジャニーズアイドルのようなものだったのだろう。
エルヴィスは資本主義におけるマネー生成マシーンだったのか
ChatGPT等の生成AIが急激に成長し、もはや我々の生活にも身近になってきている。
これによって人間の仕事が奪われるかもしれないという議論も方々でされているようだ。
18世紀後半に始まった第1次産業革命により織機の機械化が進み、水力や蒸気機関を動力源とする紡績機が現れ、多くの労働者は職を失った。
チャールズチャップリンの映画の中で、工場で機械のように無尽蔵に働く主人公がおかしくなっていく様子が「モダンタイムス」という作品で描かれている。
人間はまさに社会の歯車、意志を持たない機械のように動いている。そういったニュアンスは現代にも未だに残っているような気がするが。
そういった中で、エンタメにおけるスターという存在は我々に時には癒しを与え、時には勇気を与え、時には日常を生きるための活力を与え続けている。
故に我々はそういったエンタメのスターたちに依存して生活していることがわかる。
一方で、エンタメを提供する側であるスターの方は支えてくれる人がいるからこそ生活できる一面がある。スターだけではエンタメビジネスは成り立たない。そこにはマネージャーという存在が必要になってくるのだが、このマネージャーが、どうスターを動かすかによってその人の人生を左右することになりかねない。
本作においてもエルヴィスのマネージャーの存在は非常に大きい。いろんな意味で。演じるのは、トム・ハンクス。なんとも悪徳なマネージャーとして描かれている。
エルヴィスの晩年には稼ぎの50%を搾取していたらしい。
しかし一方で、エルヴィスは「彼がいなかったらこんなにビッグになっちゃいないよ。彼はとても賢い男さ。」と述べている。
ある種の洗脳とも取れるような気もするが。。。
詳しいところは正直なところ分からない。
資本主義の中でうまくお金を稼いだ策士であることは間違いないが、道徳的に考えた時に好まれた人物ではなかったのは言えるかもしれない。
最後に
本作が描き出したエルヴィスの人生は、腰を振るわせるダンスで、ある種のバズを引き起こし、そのバズの再現をくりかえす策士の登場によってスターになった男の人生をみていたように思える。
現代においても世間でバズることはお金を稼ぐこと、モテることなど生理的な欲求に直接つながるチャンスと捉えられる。
人によってはバズりたがるやつが出てくるが、そういったコンテンツは面白くもなんともない。
しかしバズるものは大量に複製され、我々はひたすらに消費をし続ける。もてはやす。それはモノだけではなく、人もそうだ。虚構でも理想を見てもらうためにアイドルのような存在があったりする。
それが良いとか悪いとか言いたいわけではないが、我々は自分自身の悦びというものに対してもう少し多様性を持った方が良いのではないだろうか。それは”消費すること”に対しても、その反対の”生産すること”に関しても。
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