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AIにおけるセンスの欠如|『未来のかけら』展

東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」では『未来のかけら』展が開かれています。山中俊治氏をはじめとするデザイナーの方々の作品をみれば、今の生成AIの抱える課題がセンスの欠如によって発生していることに気付きます。ロボットとの違いから、デザインの余地を明らかにするために、例えば身体を与えてみてはどうかと思うのです。

 世の中はすっかりAIである。SNSのタイムラインに溢れる画像や映像の作り手の多くが、次々とAIに置き換わっている。それはフェイクニュースの文脈を受け継ぐものであり、だからなのか、AIは不気味なものという印象を強めている。先月、欧州議会は、AIに関する包括的な規制法案を可決した。今後AIを用いて生成した画像、映像、音声コンテンツには、その旨を明示することが義務付けられる。これが果たして、かつての私たちが夢見たテクノロジードリブンな世界なのだろうか。もっとカッコ良い社会の訪れを期待していたのは私だけだろうか。

 今のAIブームが到来する前に、盛んに研究開発がなされていたのはロボットだ。1999年にSONYが犬型ロボット「AIBO」を売り出すと、2000年にはHONDAが二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。当時磨かれたセンシング技術や姿勢制御技術が現在のモビリティなどに活用されている。とはいえ、私たちが惹かれたのはもっと表面的で単純な近未来感だろう。漫画や映画の世界がいよいよやってくる。そんなワクワクとした気持ちが社会全体で共有されていた。

 それを支えるロボットの一つとして、デザイン要素に着目して開発された「morph(モルフ)」があった。独立行政法人科学技術振興機構の北野共生システムプロジェクトはインダストリアルデザイナーの山中俊治氏をメンバーに加え、2002年に「morph 3(モルフスリー)」を発表している。これは全高38cm、重量2.4kgの人型ロボットであり、当時としては非常に高い機動力を誇っていた。そして、この機能性とデザイン性を両立させるために、関節部分に置かれるモーターはもちろん、ギアやネジ、ケーブルまで特注したという。だからこそ、洗練されたイメージを放っていた。

 東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」で開かれている『未来のかけら』展に行けば、morph 3の実物を見ることができる。山中俊治氏のスケッチと設計図面と一緒に展示されているmorph 3は、鋭い爪と丸みを帯びた筐体がジオン軍のモビルスーツを思わせる。一方で楕円形の大きな目が可愛らしさをアピールする。頼り甲斐のある相棒としてのバランスは完璧だろう。ガンダムしかり、ドラえもんしかり、私たちはいつだって、支援エージェントとしてのテクノロジーに期待してきた。morph 3の傷だらけのボディに気付いて、心配してあげたいと思うのだ。

 ギャラリー内には同じチームが2018年に発表した「CanguRo(カングーロ)」も置かれている。こちらは馬に着想を得ており、主人の後ろをゆっくりとついてくるロボットだ。荷物を載せることはもちろん、自分が乗ることもできる。その佇まいは無骨だけれど、時にスターウォーズのR2-D2のように小さく揺れたり、声を上げたりして感情を訴える。デザインの対象は見た目の色や形だけではなく、人とロボットとの関係性にまで及んでいることが分かるだろう。チームを主導するロボット工学者・古田貴之氏が早くからデザイナーを巻き込んだ成果が見事に現れている。私たちがフィクションを通じて知っている世界が目の前に現れる。

 哲学者・千葉雅也氏は近著『センスの哲学』(文藝春秋、2023)にて、センスの良さとは「モデルに対して「余っている」ようなズレ」だと説く。反対に「モデルに対して届かないズレ」はダサさとなる。モデルとは、これまでに作り上げられてきた社会のルールや共通認識のようなものだから、テクノロジーで言えば漫画や映画が提示する世界観だろう。山中俊治氏らがデザインするロボットはセンスの良さによって、私たちの気持ちを盛り立てる。そう思うと、今のAIはちょっとセンスが悪いのかもしれない。千葉氏は対象のセンスを意識するために、意味や目的から離れることを提案する。後に残るのはリズムだけだ。

 では、AIのリズムとは何だろうか。千葉氏はChatGPTを例に挙げ、単語の意味を認識せず、他の単語との関係性だけで綴られた文章が本質的にリズム依存であると述べる。しかし、これはあくまで生成されたアウトプットに対する解釈だ。デザインとして見るべきは一連のプロセスであり、元となるデータの学習と、プロンプトを通じた出力指示と、鑑賞者が結果を認識する作業の間のリズムは断絶してしまっている。私たちは目の前に現れた作品が、どんな情報に基づき、どんな指示で作られたものなのか、知る由もない。そして、こんな方法で画像や映像が作られる時代が来るだなんて、想像もしていなかった。モデル不在な状況がノリの悪さを目立たせてしまっている。

 1963年にSF作家アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)氏が作品の中で定めたロボット工学3原則は、実際のロボット開発に大きな影響を与えてきた。HONDAはASIMOの開発にあたり、人が人を作って良いものかと、ローマ教皇庁に意見を仰いだという。歴史や教養に対する深い造詣がデザインのモデルを形づくる。急遽生み出されたAIに対しては、それが伴っていないのではないだろうか。これまで私たちはAIを実体の見えない、捉えがたい存在として扱い続けてきた。デジタルデバイスの向こう側に宿る虚として曖昧に扱ってきた。なるほど、そろそろ身体を与えるタイミングにあるのかもしれない。これによって明らかになるデザインの余地が来るべき未来を定めると思うのだ。

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