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聴くことと、弾くことと|Meshell Ndegeocelloの来日公演

ミシェル・ンデゲオチェロの8年ぶりのオリジナルアルバム『The Omnichord Real Book』は名盤になりました。この度、Billboard Live Tokyoで実際にその演奏を聴いてみれば、楽器を弾くことで救われる気持ちに気付かされるのです。

 グラミー賞にて、今年から新設されたベスト・オルタナティヴ・ジャズ・アルバム部門はミシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)が勝ち取った。1960年代生まれのベテランがシーンを牽引していると思うと頼もしい。8年ぶりのオリジナル盤『The Omnichord Real Book』は、老舗ブルーノートに移籍してのリリースだ。これまで様々なアーティストをサポートし、プロデュースしてきた氏の作品に相応しく、多くの話題のミュージシャンがクレジットに名を連ねる。ジェフ・パーカー(Jeff Parker)、ジョエル・ロス(Joel Ross)、ブランディー・ヤンガー(Brandee Younger)、ジェイソン・モラン(Jason Moran)、アンブローズ・アキンムシーレ(Ambrose Akinmusire)。この並びだけでも「オルタナティヴ・ジャズ」が何を意味するのかが見えてくる。彼/彼女らはR&Bや、Hip&Hopや、Jazzを自由に行き来する。伝統にとらわれない(=オルタナティヴな)ジャズとは、そういうことなのだ。もちろん何でもありというわけではない。しっかりと、アフリカン・アメリカンとしての誇りが通奏する。

 そのパフォーマンスをこの目で観れるとあらば、貴重な機会を逃すわけにはいかない。4年ぶりの来日となったミシェル・ンデゲオチェロのBillboard Live公演は早々にソールドアウトするほどの人気ぶりだ。錚々たるゲストミュージシャンたちを迎えて、見事に作り込まれたアルバムがどのようにアレンジされるのか。バンドはギター、ベース、ドラム、キーボードのリズム隊と、ボーカルにジャスティン・ヒックス(Justin Hicks)が起用されている。ステージの左寄りで、自身のキーボードとベースに囲まれるミシェルが何を聴かせてくれるのか。薄暗いままに幕を開けたステージは、まずその重たいグルーヴに驚かされる。4つ打ちのバスドラムに絡みつくベースライン。ギターとキーボードがリフを重ねれば、いかにも黒いリズムが会場を包み込む。ファンクの一言で片付けるのは勿体無い。繰り返されるコード進行と美しいボーカルに、スピリチュアルを感じる人も少なくないのかも知れない。

 ミシェル・ンデゲオチェロは「ジャズ」という言葉が嫌いだという。白人がマーケティングの観点で作り上げたジャズという括りは、その根底にあるアフリカン・アメリカンの音楽を都合よく扱っている。文化の盗用にとどまらず、いつの時代も彼/彼女らは搾取されてきた。それを自らが受け入れるわけにはいかない。この深い感情がオルタナティヴ・ジャズを生み出したのだろう。歴史学者イブラム・X. ケンディ(Ibram X. Kendi)が書いた『人種差別主義者たちの思考法』(光文社、2023)を開いてみれば、私たちの知らない人種差別の歴史が明らかになる。まるで動物かのようにアフリカからアメリカに連れてこられたミシェルの先祖たちは、酷い偏見によってまともな生活を送ることができなかった。「ンデゲオチェロ」とは、スワヒリ語で鳥のように自由であることを意味するそうだ。

 ステージは冒頭からの流れのままに「Virgo」が演奏される。Rolling Stone Japanのインタビューによれば、「「アフリカから運ばれてきた奴隷が船から落とされる光景」を奴隷側の視点から描いている」というこの曲は、アルバムではかなり無機質なアレンジだったけれど、今回、しっかりとグルーヴを効かせたリズムが印象的だ。想起させるのは海の冷たさなのか、荒波の揺れなのか。その先にある美しい世界へと誘われていく。と、ここでひと段落。メンバー紹介を挟んだ後の中盤はよりメロディアスに、ポップに展開されていく。ミシェルは、私たちが笑ってしまうほどに格好よいベースラインを、実に気持ちよさそうに弾いている。「音楽をプレイしている時、私はracelessになれる(人種という概念から解き放たれる)。私自身の身体、そして他人の物の見方から一瞬でも解放されるの」。なるほど、オルタナティヴ・ジャズとして、彼/彼女らが取り戻そうとしている音楽は誰かに聴かせるためのものではなくて、自らが弾くためのものなのかもしれない。

 先の書籍『人種差別主義者たちの思考法』では、白人に迫害される黒人男性が黒人女性を蔑み、社会階層が構成される様も描かれている。性的マイノリティであることを公言しているミシェル・ンデゲオチェロが生きてきた世界はおそらく、私たちが想像できるものではない。それでも、曲を書き、演奏することで心が救われることもあるのだと、教えられる。多少は楽器を弾ける人であれば、この感覚は分からないでもないだろう。あるいは、スポーツも同じなのかもしれない。没頭すること、メンバーとつながること、これらが人生の難しい局面を客観視させてくれる。ミシェルが「ただ他の人が聴いて「演奏したい」と思う曲が書きたいだけなんだと思う」と答えていたことを思い出す。ステージはいつの間にかロックの色を強めている。観客の一人が「Congratulations, Meshell!」と声を上げた。もちろんグラミー受賞のことだ。ミシェルを祝福するためにも、改めて、氏のベースラインをコピーしてみたいと思うのだ。

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