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物質代謝論を引きながら|オラファー・エリアソン展「相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」

アートを通じて地球環境の保護を訴えかけるオラファー・エリアソンの企画展が麻布台ヒルズギャラリーで開催されています。自然の力を美しい作品に変える氏の表現に触れてみれば、物質代謝を意識して資源を共同所有する、開かれた社会が垣間見れると思うのです。

 開館したばかりの東京・麻布台ヒルズギャラリーでは、オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)展が開かれている。副題となっている「相互に繋がりあう瞬間が協和する周期」(2023)とは、隣接する森JPタワーに設置されたパブリックアート作品のこと。高さ15mの天井から吊るされる、一筆書きの曲線で描かれたような縦横3mの球形オブジェクトは、よく見ると十一面体の小さなブロックの集合から成っている。まるで一昔前の三次元コンピューターグラフィックのようにも見えるのは、再生亜鉛合金に施されたマッドな表面加工によるものだろうか。無機質な有機体という矛盾が人工と自然の調和を意識させる。エリアソンは長年に亘って、地球環境の保護を訴えている。

 しかし、なぜこの作品の曲線が自然を想わせるのだろうか。ギャラリーに展示されている作品「瞬間の家」(2010)を観て、ヒントを得る。2本のホースが自由に水を撒き散らす様子は、子どもの頃にどこかで目にした光景のようにも思えるけれど、素早く点滅するストロボの光で切り取られる水の軌跡が美しい。勢いに押されて、重力に抗いながら揺れるホースは2度と同じ線を描かない。偶然として認知されがちな一瞬も、しっかりと自然の物理法則に従って現れているのだ。この線が図らずとも森JPタワーのオブジェクトと重なる。私たちは曲線を描く方程式を学ぶまでもなく、自然の生み出す形とその美しさを知っているのだろう。

 エリアソンはこの作品の形をリサージュ曲線に着想したという。これは直角方向に交わる2つの単振動を合成して得られる図形のこと。物理学に触れた人であれば、誰しもオシロスコープで見たことのある基本的な形だ。先行する作品「終わりなき研究」(2005)を観るとより分かりやすい。それぞれ縦方向と横方向に揺れる2つの振り子から伸びるアームの先に取り付けられた1本のペンが線を描く。これだけであれば通常はリサージュ曲線を描くハーモノグラフとなるのだけれど、本作品には画板を動かすもう1つの振り子が付いている。3つの波に揺れるペン先は予測不能な美しい幾何学模様を描き出すことができるのだ。

 会場では実演が行われている。スタッフが紙とペンをセットして、振り子を傾けて、慎重に手を離せば、結構な速さで描画がなされる。数分後、同じ線をなぞるように収束したところで完成だという。装置から外されて、壁に貼られた図形は一枚一枚が見事に異なるから不思議なものだ。自然が生み出す形のバリエーションは私たちの創造力を超えている。そう思うと、この絵の作者は一体誰なのだろうか。道具を作ったエリアソンなのか、3つの振り子の振幅や初期位相を定めたスタッフなのか、はたまた自然なのか。ここでは、ペンを動かす「労働」という行為だけでなく、描くものを考える「創造」という行為においても、人は能力を発揮していない。それでいて、喜びや、驚きといったアートの便益を享受させてもらっている。

 人間はただ自然素材の形態を変えることしかできないとする物質代謝論を、経済や社会に適用したのはかのカール・マルクス(Karl Marx)である。経済思想家・斎藤幸平氏はここに着目し、一般的には西洋中心主義を推進し、人が自然を支配することを賞賛してきたとされるマルクスに別の読み方を示す。著書『マルクス解体』(講談社、2023)において、マルクスは「資本主義が結局のところ、生産力の絶え間ない増大によって富の潤沢さを生み出すのではなく、むしろ、富の希少性を人工的に増大させる社会システムであることを明らかにしてくれる」とし、「資本主義的な「富」の狭隘な把握の仕方が、社会と自然の豊かさを破壊する危険性がすでに示唆されている」と述べるのである。これは例えば土地や石油のような自然資源に所有権を設定し、希少性を煽ることで資産価値を生み出しているのが人間であることを示している。

 この仕組みがサスティナブルでないことに気付き、今さら慌てる私たちだけれど、19世紀後半に『資本論』を論じたマルクスは当時からすでに分かっていたというのが斎藤氏の見立てである。解決策としては脱成長コミュニズム、すなわち一部資源の共同所有が展開される。その詳細は氏の著作に譲るけれど、ここではエリアソンのアプローチが一つの可能性を示すことに着目したい。作品自体の芸術性を差し置いて、資産価値の観点から一部作品の取引価格が高騰する今のアート市場に対して、自然が描き出す美しさが改めて提示されたのだ。地球の自転や重力に導かれる物理原則は誰にも独占されることがない。逆説的に、これらを使って私たちは各々のアートを感じることができるだろう。実際、今回の展示では事前に予約をすれば「終わりなき研究」を体験することができる。ここに本来の開かれた社会が垣間見れるように思うのだ。

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