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香りを通じて|蜷川実花氏の個展『Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』

最近はアーティフィシャル・フラワー(Artificial Flower)とも呼ばれる精巧な造花。この特徴を活かし、未来へのつながりを表現されている蜷川実花氏の個展『Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』を観てみれば、人工物の限界が、私たちが本来頼るべき「意識」というものを再認識させてくれると思うのです。

 東京虎ノ門・TOKYO NODEでは、開館記念企画の第二弾として、蜷川実花氏の個展『Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』が開かれている。その人気の高さから規模が大きくなりがちな氏のエキシビジョンの中でも史上最大級と言われる今回は、11もの展示室に写真と映像と造形が組み合わさった作品が詰め込まれている。そして、そこはもちろん多彩な色に溢れている。枯れた黒や茶色、眩しい緑やピンク、瑞々しい赤や青、黄色。今の時代に一切のCGを使っていないというのは、写真家としてのアイデンティティの表れだろうか。素材の美しさと空間を存分に活かした語り口によって、これまでに味わったことのない体験がもたらされる。

 特に会場の中ほど、「Intersecting Future 蝶の舞う景色」に迷い込めば、まるで桃源郷を歩いているような感覚に陥る。本来同じ季節に咲くはずのない花々が咲き乱れる森は、見事な瞬間を閉じ込めたような空間だ。どちらの方向にカメラのレンズを向けたとしても、蜷川実花氏の写真のような風景を切り取ることができる。美しい、と同時に恐ろしい。私たちが自然の摂理を凌駕してまで触れたい美とは何なのか。おそらくSNSには「いいね」に飢えた、映えるスナップが並んでいる。一つひとつ細部まで丁寧に作り込まれた作品は、かなり近寄って撮影しても、これが造花であることを気付かせないだろう。しかし、会場にいる私たちは妙な違和感を覚える。匂いが無いのだ。これだけの植物に囲まれれば感じるはずの、花や土の香りが一切しない。

 もしも写真や映像作品であれば匂いが無いことは当たり前なのだから、今回の展示はそれだけリアルだと言えるのかもしれない。実際、例えば今もグッチ銀座ギャラリーで開催されている『GUCCI VISIONS』の会場で、伝統的なフローラの柄をモチーフにデフォルメされた造花の花畑に足を踏み入れたとしても、香りへの期待は生まれない。有史以前から植物を真似て装飾を作ってきた私たちは、テクノロジーの進歩に合わせて、自らのバーチャルに対する感覚をアップデートしてきたのだろう。視覚が生み出す意識に追いつかない臭覚が違和感を訴える。

 神経科学者・金井良太氏は近著『AIに意識は生まれるか』(イースト・プレス、2023)にて、「意識とは、脳内の、特定の情報のまとまりなのだ」と説く。そして、それは外部から観察可能であり、情報として意味を持つ場合にアクセス意識と呼ばれ、そうでない場合にクオリアになるという。前者が例えば、赤を赤と判断して他人に伝えられることを意味するのに対し、後者はその好き嫌いのように主観的なもののようだ。ユリの花を見れば、あの甘い香りが思い起こされる。と同時に心地よく感じる。あるいは不快に思う人もいるだろう。この感情のようなものこそが、私たちが普段、意識だと思っているものに近い気がする。金井氏はこれを脳が作り出した幻想だと言い当てる。一方でアクセス意識もまた誰かが都合よく定義した社会的な幻想でしかない。だとすれば、クオリアを信じる方が幸せになれると言うのが金井氏の主張なのだ。

 森林を歩いて得られる心地よさはクオリアに他ならない。自然の色と、形と、匂いと、感触が一体となって、生を感じさせる。これをアートに求めるのは違うだろう。蜷川実花氏が「Intersecting Future 蝶の舞う景色」によって表現するのは、人の営みと環境の調和であり、多様な未来へのつながりなのだ。そう、ここでは、私たちがいつかどこかで見たことのある景色が切り取られて、美しく飾られているに過ぎない。だからこそ、無意識に匂いを求めてしまう。そして、本当の幸せは別の場所にあることを思い出させてくれる。これがアートの効用だろう。インスタレーションから得られる体験価値は、SNSでの一票を大きく上回ると思うのだ。

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