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僕が心理学を学ぶ理由

これまでに2つのエピソードをエッセイとして更新していたわけだが、どちらも心理院生であることも古本好きであることも関係ない内容であることに気づいた。
これではなんだかオシャレでない。
このようなタイトルのエッセイなのだから、もう少し趣のある内容にしなければならない。

というわけで、今回は僕が心理学を学ぶようになった経緯《いきさつ》について語っていこうと思う。

これを語るには、僕が中学生だった頃に遡《さかのぼ》る必要がある。
当時、僕には好きな女の子がいた。
その子はミディアムボブで、幸薄《さちうす》い顔をしていて、吹奏楽部でホルンを吹いていて、小説を読んでいて、背は150cmくらいで、痩せてもぽっちゃりしていてもいなかった。
芸能人でいえば、黒髪のあのちゃんによく似ていた。
「あのちゃんは幸薄い顔していないだろ!」と罵倒されるかもしれないが、私の記憶のなかのその子は似ているのだ。記憶というのはそのようなものである。実際にはそこまでかわいくなかったかもしれない。しかし、古い記憶というものはいつでもそれを美化させる。

重要なのは、彼女が読書をしていたという点だ。
皆さんは「対人魅力」の要因をご存じだろうか。対人魅力とは、心理学用語であり、人が他者に対して抱く肯定的または否定的な態度を指す。
この要因には様々なものがあるが、代表的なのは「空間的接近」「類似性」「相補性」「外見的魅力」などが挙げられる。
僕は中学生の頃からなんとなくその構造を知っていた。
そこで僕は彼女と類似性をもつために、小説を読み始めた。

初めて読んだ本は太宰治津軽』(新潮文庫)だった。
これは小説とも太宰のエッセイともいいづらい作品である。
これは昭和19年に出版社の企画で故郷の津軽を旅した紀行文ということになっているが、実際は太宰による脚色も施されており、100%事実ではないという指摘がされている。
特に終末の「たけ」との再会はフィクションだったとわかっている。

はっきり言って、この作品を一番初めに読むのは骨が折れた。
何しろ昭和の作品である。
その上、紀行文であることから、地理等が詳細に書かれており、脚注も多かった。
とはいえ良い作品だったことは当時の僕にもわかった。
書かれた当時の空気感が綴《つづ》られており、「これが文学か」と感慨深く思った。

その次に読んだのが、同様に太宰治の『人間失格』(新潮文庫)である。
これが当時中学生だった僕には刺激が強かった。
『人間失格』は、1948年に発表された太宰治最後の完結した中編小説である。
物語は太宰治の生涯を反映した私小説であり、太宰が唯一自分のための書いた小説という評論もある。

これが僕に強く響いたのは、太宰の女性に対する畏怖や道化《どうけ》、女々しさに自分との共通性を感じたからだ。
当時の僕は、周りに溶け込むためにおどけて見せていた側面があるし、女性に対する嫌悪感をもちながら、自身の女々しさに嫌気も差していた。
そのような自分と『人間失格』の主人公である大庭おおば葉蔵ようぞうが重なり合い、太宰治に対して強い親近感を抱いた。
同時に、このように自分を表現できるものが文学であると知り、文学にも興味を見いだす。

次に読んだのが、村上春樹の『1Q84』(新潮文庫)である。
これに僕は、「物語」を作り出す楽しさを見いだした。
『1Q84』は、暗殺者である女性、青豆《あおまめ》と、『空気さなぎ』という小説のリライトを担う天吾《てんご》が、それまでの現実とは微妙に異なった世界「1Q84」に入り込んでしまうという物語である。
そのようなあらすじの紹介ではきちんと作品を説明できているとは思わないが、さわりのさわりはこのような感じである。

この作品は、独創的な世界観が僕を魅了したのだと思う。
特に月が2つある世界というのが印象的だった。
このようなシンプルな形で独創的な世界を作ることができるのだと感銘を受けた。
あまりにも面白くて、僕は一人旅をしていた津軽で、列車を待っている数時間にずっと読んでいた。

その次に読んだ本が夏目漱石の『こころ』(新潮文庫)だった。
この作品は僕に文章の美しさを教えた。
『こころ』は中学校の国語の授業で読むため、知らない人はほとんどいないと思うので、詳細は省く。
ただし、私がもっとも美しいと感じた文章は、学校で読む第3部ではなく、ほとんど冒頭の部分だった。
本当に整った文章だったと思う。
この文章力を身につけるため、原稿用紙に写経《しゃきょう》した際には、1話がぴったり400字詰め原稿用紙3枚分になることを知れたのは良い収穫だった。もっとも、すべての話がそうだったわけではないが。

このように、僕は、『人間失格』から自己表現の楽しさを、『1Q84』から物語の楽しさを、『こころ』から文章の楽しさを得たのだ。
それから僕は小説を書き始める。
高校では文芸部に入部し、2年生と3年生では部長を務めた。
3年生のときに発行した部誌では、なんかの大会(運動部でいう中総体)でなんかの賞をもらった気がする。

それから僕は大学に入学するわけだが、文学部ではなく心理学科に入学した。
それには学力が足りなくて第一志望に落ちたことも挙げられるが、心理学的な知識が小説を書くことに役立たせられると思ったという理由がある。
そう、誰かを支援したいという気持ちは一ミリもなかったのである。
ただ小説を書きたいという一心で進学したのだ。
しかし、そこで小説を書くのに役立てられることはほとんどなかった。

それでも心理学系の大学院にまで進んだのは、このままでは就職ができないと思ったという理由がある。
4年制大学で学べる程度の心理学の知識なんて職業には役立てられないのである。
そのようでは、小説を書くことにしか能もない僕には就職できないと思った。
残された道は心理学を活かせる職業に就くこと。
しかし、心理学を用いる専門職にはほとんど資格がないとなれない。
その資格は大学院に行かなければ得られない。
だから僕は大学院に行ってまで心理学を学ぶようになったのだ。

ここで重要なのは、僕は誰かを支援したいとはほとんど思っていないということだ。
ただ考えているのは必要性である。
世の中は心理学の知識や技術のある人材を必要としている。
だから僕はその必要性に応えるべきだと考えているだけだ。
誰かを救いたいだなんて、そんな高尚なこと思っていない

以上が、僕が心理学を学ぶようになった経緯である。
初めは好きな子に振り向いてほしいから小説を読み始め、そこから物語を書く楽しさに魅入られ、そのために心理学系の大学に入学し、就職するために大学院にまで進学した。
そのようなものである。

しかし、皆そのようなものなのではないだろうか。
皆、惰性で生きていて、何とかするために高尚な目的を表向きだけは掲げているのではないだろうか。
僕は嘘が嫌いな人間であるため、自分にも嘘をつきたくない。
だから、誰かを助けたいとは思っていないと言うのである。
心理学を学ぶ理由は小説を書くためだった
そう言うことは恥ずかしいことかもしれない。
ただし、それは今の僕を形作る大切なことだったのかもしれない。

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