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冬至 * 社務所に現れたとんでもない果物

お正月は神職にとって大繁忙期。

ゆえにおせち料理は、もっぱら実家の姉が料理講師をしているベターホームという料理教室がプロデュースしている三段重を2組、送ってもらっている。ゆっくり座っていただくというわけにはいかないので、社務所の冷蔵庫に入れておき、各自が好きなときにちょいちょいつまんでいただく。

我々の間では、おせち料理の中で、まだ誰も手をつけていない品に手をつけることを「名乗りをあげる」と言っていて、名乗りをあげた者は他の者にそれを申告しなければならない。と言ってもこれは神社界の慣わしではない。私が好物の品ばかりを先に全部食べてしまうので、それをさせないための、いわば桃虚対策として仲間うちで作られたルールである。

仕事中は皆、御神紋入りの黒いハッピで走り回っているが、仲間とすれ違いざまに、
「さっき数の子に名乗りをあげたよ」
「かつおくるみに名乗りをあげといた」
等と、言い合うのである。
私が名乗りあげの報告をすると「全部食べてへんか?」と聞かれるので「一つでがまんしといた」などと答える。

白木のお重に入ったおせちは彩りも美しく、たたきごぼう・かつおくるみ・豚八幡巻など茶色いものについては食べた者にしか分からないじんわりした深みがあり、私はまずそちらに箸が向かう。忙しすぎて頭がぼーっとしているとうっかり全部食べてしまうので気をつけなければならない。

ちょっと複雑な料理は、仕事中には名乗りをあげずに、社務所を閉めた後にお酒を少し頂戴しつつこれはどういうお料理なのか話しながらいただく。今年はサーモンをイカのすり身で巻いて酢漬けにした「小川巻」と、干し柿が真ん中に入って菊の花ときゅうりとにんじんをかつらむきした大根で巻いた「きぬた巻」を、何でできているか話しながら食べたが、どちらもお品書きを見るまで当たらなかった。
「これはイカだったのか」
「まさかの干し柿」
などと感嘆符とともに食べると、美味しさとめでたさが増すのだ。

***

おせち以外にも、お正月には、実家の母が送ってくれる、いいだばし萬年堂の小豆の蒸し菓子「お目出糖」も定番で、これは亡き父の好物でもあったので、口に入れるだけで懐かしさと安心感でいっぱいになる。近所の和菓子屋さんが持ってきてくれる「花びら餅」も、白みそあんとごぼうの絶妙のコラボレーションが素晴らしく、毎度毎度「この組み合わせを思いついた人、誰なんだ」と言ってしまう。

そして、今年はこれらの定番の甘味に加えて、ある一つの果物が、初詣タスクでボロ雑巾のようになっている我々に衝撃を与えたのだった。

それは、「紅まどんな」。

お世話になった京都の宮司さんに師走のご挨拶で加賀のかぶら寿司を送ったところ、そのお返しにいただいたもので、箱に入った愛媛の柑橘である。大きさはオレンジと夏みかんの間くらい。今まで食べた柑橘の中で最も美味しく、味が濃く、最もジューシィで、まるで命の水をたたえたフルーツ。

紅まどんなが我々のお正月空間に現れた、その登場の仕方は全くもって天才的だった。

というのも、同じく年末に、長野のだるま職人さんから、ご実家のりんご農家が作っておられるりんごが箱で送られてきて、こちらもとびきり美味しいので、なんとなく朝にりんごをむいて食べ、さわやかに1日をスタートさせるのがデフォルトになっており、紅まどんなについては、手もべとべとになりそうだし、お客様が来た時にきちんと切って出そう、と思って、台所を出たところに箱のまま置いていたのである。その存在をちょっと忘れていたと言ってもいい。

ところが、ある日の午後4時ごろに、テントを組んだり紅白幕を張ったり、臨時の手水舎を設置したりという外仕事を終えて、身も心もくたくたになったロビンさん(本職は漫画家)が、ふと、りんご箱の下の「紅まどんな」を発見し、手で豪快にむいて半玉食べたところ、まるでドラゴンボールの元気玉のように体も精神も復活したというのだ。

「これは一玉まるまる食べたら叱られるやつや」と思ったロビンさんは、紅まどんなのもう半玉を私に勧め、それを食べた私も「なんじゃこれは」と、その美味しさと食感に衝撃を受け、心身の復活目ざましく、これはとんでもないものを知ってしまったと思った。なにしろ食べた瞬間にフレッシュな潤いで全身が満たされるのだ。

しかし、紅まどんなは数に限りがあった。それは高級フルーツの宿命である。箱には12玉がひとつひとつの部屋を与えられて入っていた。

我々は、本当に心身ともに限界でくたくたになった時に、できるだけさりげなくいただくことにした。もちろんどこかに隠したりするわけではなく、相変わらず社務所の台所を出たところに箱に入れて置いていたが、まだ紅まどんなのすごさにほかのみんなは気づいていない様子だったので、ロビンさんと私は、「必ず食べる前に相手に了解をとり、一回に半玉までとする」という暗黙の約束のもと、大事に大事にいただくことにしたのである。

ある朝出社して社務所の冷蔵庫を開けると、大事にラップに包まれた紅まどんなの半玉が、真っ正面にいた。それはまるでダイイング・メッセージのようだった。

ロビンが食べたな。私の了解を得ずに。

と私はつぶやいたが、無言の半玉紅まどんなは、そのまま「紅まどんなを摂取しなければならないほど疲れが限界に達していた」というメッセージでもあるので、ロビンさんを責めることはしなかった。

12玉あった紅まどんなが3日に2個ずつくらいのペースで減ってゆき、小正月を迎える頃にはラスト3個になっていた。

そして関西では古いお札やお正月飾りをお焚き上げするとんど祭の朝。どういうわけか、私はなんの考えもなく紅まどんなをペロリと2玉、食べてしまった。ロビンさんの了解もとらずに。それは本当にあっというまで、自分でもどうしてなのか、全くわからない。

人って不思議だ。魔がさすことってある。

あの時私は、本当に、感覚だけの人間、昔ながらの動物としての人間になっていたのだ。意志というより、現象である。

私は早口で「ラス1をあげるよ。全部食べちゃっていいよ」と言って、最後の1玉をロビンさんにゆずった。


二十四節気 冬至とうじ 新暦12月22日頃

*おせち料理
五節句に神様にお供えする料理からきていて、やがてお正月の料理だけを指すようになったのがおせち料理。味のおいしさもさることながら、縁起の良さや語呂合わせをも追求しているので、それらをいちいち味わいながら食べるのがとてつもなく楽しい。彩りよく箱にきちんと詰められたさまは、美的感覚も刺激してくれる。また土地の数だけ独特のおせち料理があることも、豊かな文化を感じさせてくれる。子供にはその魅力が伝わりにくい、大人の総合芸術。





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