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霜降 * 参道の正中避けて通るねこ

七五三の着物を着て草履を履いた三歳児が文字通りヨチヨチ歩いてくる。お餅みたいだ。常連の参拝客が群がる。声をかけずにおれないのだ。いやあ、かいらしなぁ。ちゃあんと草履はいてはる。これからマンマンちゃんアンしはんの? かしこいなぁ。今が一番ええ時やなぁ。誰かの称賛に、また誰かが重ねて称賛する。関西弁のイントネーションのせいか、ちょっと遠くから聞いているとまるで音楽のようで、鳥が輪唱しているみたいにも聞こえる。

私のオフィスは参道に面した神社の社務所で、大きく開けた授与所の窓からは映画のスクリーンのように切り取られた境内の様子が見える。参道を神様の方に向かってくる人は、スクリーンの右から左へ。お参りを終えて帰る人はスクリーンの左から右へ。日頃、縦書きをすることも、縦書きのものを読むことも多い私には、右から左が「行き」で、左から右が「帰り」、というこの関係がしっくりくる。しかし、横書き文化の西洋人は、映画を見るときに人が左から右へ歩いていると「行き」、右から左へ歩いていると「帰り」だと感じるという。

小さな稲荷社の横に生えている大きなモチの木には赤い実が鈴なりになっている。それを鳥がぴよぴよ言いながらつついている。かいらしい実やなあ。食べるのんもったいないなあ。そんなこと言うてあんたなんぼほど食べた? ちょっと肥えたんちゃう? ええねん鳥は多少ぽっちゃりのほうが。そやなあシマエナガさんもめっちゃふくらんではるしなあ。

木のお札に七五三参りの子供たちの名前を書いてゆく。三歳男児。三歳女児。五歳男児。七歳女児。四色に色分けした付箋をお札に貼って整然と並べると、カラフルな付箋と筆文字の異化効果で、現代美術のインスタレーションに見えなくもない。あれ、こういうの、何か見たことあるな。今から三十年前に映画館で見たフランスの映画を思い出す。

それは「サム・サフィ」というタイトルの映画で、ヒッピーの両親のもとに生まれてヨーロッパを旅ぐらししていた主人公の女の子が突然「普通」に目覚めてパリに帰り、家政婦から始まって役所勤めをするに至るすったもんだのストーリーだった。彼女は、役所からもらった事務的な書類(例えば税金の領収書みたいなもの)を、「普通」の勲章として額縁に入れ、ふわふわのカラフルな人工毛でその額縁をドレスアップして壁に飾っていく。私が壁に立てかけたカラフルな付箋のついた七五三のお札は、なんとなくそれに似ているのだった。

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大学時代、私は物理学を専攻して、人間とカエルの脳波をフラクタル解析し知性との関連を語る卒論を書いたが、痛恨のミスで卒業が一学期分遅れてしまった。

九月入学の留学生たちと一緒に大学を六月に卒業したあと、そのままぶらぶらするわけにもいかず、六本木にある編集の事務所に籍を置き、雑誌に記事を書かせてもらっていた。いわゆる下請けで、ほとんど毎日、気がつけば六本木から埼玉の越谷まで帰る日比谷線直通東武伊勢崎線の終電時刻まで働いていた。地下鉄六本木駅の中にある小さな書店で自分が書いた誌面を立ち読みしていた時、同じ雑誌に起業家として「サム・サフィ」を共同製作・配給した女性がインタビューに答えている記事を見つけた。その記事で彼女が新しく社員を募集していることを知り、なんだか面白そうだと思い応募することにしたのだった。

それは表参道にオフィスがあるフランス映画の小さな配給会社で、最初の面接は、社長の女性が忙しく働いているデスクに行き、立ち話をするような感じだった。話をしている間にも社長にはひっきりなしに電話が入り、早口で指示を出している彼女は50個くらいのタスクを同時進行しているように見えた。社長との話が終わると今度は社長のお兄さんのデスクに連れて行かれた。

「兄をフランス人の映画監督だと思って、あなたは監督を空港に迎えに行って連れてきて」と社長が言う。私はフランス語が喋れなかったので英語で話しかけたが、社長のお兄さんが「絶対に英語は喋らない偏屈なフランス人映画監督」になりきっていたので、話が通じず、ついには私が監督の腕をつかんで引っ張って連れて行こうとし、監督は嫌だ嫌だと駄々をこねるという、ミスター・ビーンみたいな展開になった。

それでも最終試験に呼ばれたので、ひょっとしたら私は社長兄妹に気に入られたのではないかしらと期待を膨らませた。だが、最終試験は大御所の映画評論家の方を交えた5名ほどでのフランス映画についてのブレイン・ストーミングで、そこに社長兄妹はいなかった。

フランス映画はそれまで数本しか観たことがなく、その中でも好きでよく覚えているのはリュック・ベッソンの「サブウェイ」ぐらいで、フランス語も全くできなかった私は、知らない用語を次々に繰り出してフランス映画について語りあっている人たちの中で、とにかく知っている風の顔をして頷くことしかできず、これはまずいと思っていると、みなが語り合っている全く知らないフランス映画のとある一場面の写真に、見たことのあるフランス人俳優が写っていたので、「あ、この人はサブウェイに出てた人ですよね!」と元気に言ってみたがそれは全くの別人だった。それからどんどん墓穴を掘る展開になり、映画評論家の方から辛辣に無知を責められて、最後はもう御免なさい勘弁してくださいと、犬が完全に尻尾をお尻の下にしまうような状態で帰った。もちろん不採用だった。

潔く惨敗してこれからは日々精進だなと反省している私のところに、先の映画評論家の方から葉書がきた。万年筆の文字で「先日は失礼致し候」から始まるお手紙だった。候文のお手紙をもらったのは後にも先にもこの一回だけだが、どう考えても失礼したのは私の方で、どんなふうにお返事したら良いのかわからなくてそのまま放置してしまった。ほどなくして社長から電話がかかってきて、残念ながら社員には他の人が選ばれたが、読ませてもらったあなたの文章が面白いので、ライターの仕事を振るわ、と言われた。

彼女が振ってくれる仕事はフランス映画とは関係なくどれもタフなものばかりで、取材する相手は一癖も二癖もある人ばかりだったし、時には酒場でのインタビューもあり、相手が口説いてくるのをかわして家に辿り着き朝までに見開き2ページ書いて送るという綱渡りもしたが、もともと書くことは好きで得意だったしこの世界はそういうものだと思って苦にしなかった。猛烈に忙しい社長はいつも飛び回っていて、オフィスへ行っても三分間ぐらいマシンガンのように話してどこかへ行ってしまう。話すテンポの遅い私は、彼女とは真逆のタイプだったが、なぜか彼女は私のことを全面的に信用してくれている様子で、やめてしまった社員の補充に、私が紹介する友人や後輩を採用するようになった。「あなたって、ケッタイな友達がいるのねえ」と社長はいかにも面白そうに私に言ったが、社長がいちばんケッタイだった。

***

窓の外に目をやる。
風が吹いている。
木が揺れている。

太っていて尻尾がふさふさしているのでたぬきと呼んでいるねこが、「帰り」の方向にスクリーンを横切る。たぬきは土塀の中に住んでいる。参道を歩くときには神様の通り道である正中は必ず避けて通るというのがたぬきの美学だが、最近、新参者がうろうろして堂々と正中を横切るので、毎日のように威嚇の声を発している。やんのかこら。やんのかーやらんのかーやんのかー。相手も黙っちゃいない。やんのかこら。やんのかーやらんのかーやんのかー。まるで人間の赤ちゃんが泣いているみたいに聞こえる。












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