われわれのものが一番だ

下記は朝鮮中央通信に発表された慈愛に満ちた将軍様のエピソードである。

金正日総書記はチュチェ87(1998)年1月のある日、厳しい吹雪にめげず慈江道を訪ねた。 
総書記は今度慈江道を訪ねたのは去る一年間に建設した中・小型発電所を見るためだとし、その足で江界市と長江郡内の各中・小型発電所を見て回った。
長江郡のある発電所を訪ね発電能力を確かめた総書記は大したことをしたとし、われわれには風力よりも水力を利用する中・小型発電所を建設する方が実質的で確実性がある、われわれが生きる道はこれしかないと強調した。
発電機室に立ち寄った総書記は、ここの労働者たちが自力で電動機を改造して作った発電機を見て自力更生、刻苦奮闘の革命精神を発揮して試練と難関を乗り越えてきた慈江道労働者階級の闘争気風が生んだ設備だとし、すこぶる満足した。
また、ある単位で建設した小型発電所を訪ねてはダムを木材で築いたのがとても気に入る、木材資源が豊かなところではこのような方法で中・小型発電所を建設すべきだとし、翌日、新しく作った発電所設備を見て、まさにこれがわれわれのもの、われわれの方式だと言って喜んだ。

金正日総書記のある意味での先見性

このエピソードで作成者は意図してはいないだろうが、将軍様の意図していない先見性と、朝鮮の置かれている環境を物語っている。

この記事の本来意図しているのは、苦しい中でも自力更生をする人民を視察なされた将軍様の慈愛と国家の方針に従って自力で努力する模範的人民である。

これから読み取れるのは、朝鮮の厳しい電力事情であり、そして将軍様が人民のために、しっかりやれよとハッパをかけてそして支援している姿である。

朝鮮は、実際発電ができないのか?といえばそうではない、発電自体はしっかりできてその周辺に電力を供給している。では何が電力供給のひっ迫を招いているのかといえば、送電の不備である、送電の設備も技術も足りず、そして災害が多い朝鮮ではその施設も破壊されやすい。そのために町ごとに発電施設が必要になるのである。

しかし、この話には少しの先見性を秘めている。今まで電力は大きな発電所を作り強力な送電設備で各需要者へ送ることが効率的であると思われていた。しかし、日本でも昨今の災害から、大きい発電所に頼るよりも複数の中小発電から電力を供給した方が、リスク対策となるし、またかつての日本は農村が発電所を持っているのは珍しいものではなかった。

このような報道にも、先見性のある名案があるものである。


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