秋のシンガポールで気づいた、ずっと旅で大切にしたいもの
海外へ旅に出るなら、若いうちの方がいい。
そう思い、20代の頃から旅を続けてきた自分も、気づけば30代も後半になり、「若い」とも言えない年齢になってきた。
もしも本当に、若いうちの旅が素晴らしいとしたら、年齢を重ねたいま、どんな旅をしていけばいいのだろう……?
ぼんやりと心の中で燻っていたその問いに、まるで南国の太陽に照らされたように、はっきりと答えが見えてきたのは、この秋のシンガポールだった。
この秋、イギリスの旅からの帰路、乗り継ぎのために、シンガポールのチャンギ空港に降り立ったときのことだった。
日本へ帰る便の出発までには、たっぷり6時間ほどの余裕があった。
僕は少し迷った末、シンガポールに入国することにした。ひとつだけ、どうしても行ってみたい場所があったからだ。
朝のチャンギ空港を出て、MRTと呼ばれる都市鉄道に乗る。緑色の空港支線を、タナ・メラ駅で同じ緑色の東西線に乗り換え、さらにパヤ・レバー駅で黄色の環状線に乗り換える。それを今度はセラングーン駅で降り、紫色の北東線に乗る……。
優に1時間あまり、MRT4本を乗り継いで降り立ったのは、コヴァンという名の駅だった。
外に出ると、街には南国の眩しい陽光が降り注いでいた。イギリスは秋も深まっていたのに、シンガポールはさすがに常夏の暑さだった。
周囲には中層のマンションが建ち並び、熱帯の木々が植えられた道路を車やバスが行き交っている。
その暑さに、そして街並みに、僕は懐かしさを感じていた。
実は11年前の春、まったく同じこの駅に、僕は降り立っていたからだ。
そのとき、20代の半ばだった僕が向かったのも、今日と同じ、日本人墓地だった。
シンガポールを初めて訪れたのは、11年前の春、若さ溢れる20代の半ばだった。
マーライオンやリトル・インディアを観光した僕は、シンガポールを出発し、ジョホールバル、マラッカ、クアラルンプール、イポーと、マレー半島を縦断し、さらにペナン島、ランカウイ島と、マレーシア各地を旅したのだ。
その旅を終え、再びシンガポールに戻ってきた僕は、最後に日本人墓地へ行きたいと思った。
そこは沢木耕太郎さんの『深夜特急』に登場し、作品の中で、沢木さんが「海の向こうに」渡ることを決意する場所だったからだ。
その春の日も、とても暑かったことを覚えている。コヴァン駅で降り、裕福そうな家々が並ぶ道を歩き、日本人墓地へ辿り着いた。
からゆきさんのお墓が並ぶ芝生に座り、だいぶ子供じみた真似だったけれど、僕も心の中で静かに決意したものだった。
来年こそは、憧れのヨーロッパへ旅に出るぞ、と。
たぶん僕は、『深夜特急』の聖地巡礼とともに、沢木さんのように、「海の向こうに」渡ることをひとり決意したかったのだと思う。
そして実際に、その翌年、僕はスペインとポルトガルへと、初めてのヨーロッパの旅に出ることになったのだ。
あれから11年が経ち、30代も後半になった僕は、再びシンガポールの日本人墓地を目指していた。
今回は別に、何を決意したいわけでもなかった。ただ、20代の旅で訪れたあの場所に、いまどんな風景が広がっているのか、それを見たかっただけなのだ。
もしかしたらこれは、年齢を重ねた旅人が求める、懐古的な旅なのかもしれないな、と思いながら。
コヴァン駅から日本人墓地へ至る街並みは、ほとんど雰囲気が変わっていなかった。高級住宅街の中に、色鮮やかな美しい花を咲かせた木々が並んでいる。人通りも少なく、閑静な空気が漂っているのに、ところどころで道路や電線の工事をしているのも、なぜか11年前と同じだった。
しかし、ひとつだけ、あれっ……と思ったことがある。
それは、日本人墓地までの遠さだった。
斜め上からの陽射しに汗が滲み始め、どこかで一休憩したい気分になっても、まだ辿り着かない。記憶では、もっとあっけなく、日本人墓地まで着いたはずだった。
それでも頑張って歩き続けると、ようやく「日本人墓地公園」と書かれた入口が見えてきた。
中へ入ると、目の前に広がる風景に、たまらなく懐かしさが込み上げてきた。
美しく整備された緑の芝生、その上に並ぶからゆきさんの小さなお墓、ピンク色が眩しいブーゲンビリアのトンネル、あちこちにぽつんと落ちているプルメリアの白い花……。
芝生の手入れをしている人たちの姿があるほかは、訪れている人は誰もいない。どこまでも静けさが漂う墓地の上を、たまに大きな音を轟かせながら飛行機が飛び立っていく。
南国の太陽のおかげで、どこまでも明るい光に満ちた墓地だった。
まるで時が止まっているみたいだった。いや、本当に、11年前に訪れたときから、何も変わっていないように見える。
あの20代の春、まだヨーロッパさえ行ったことのなかった僕が、30代のいま、イギリスからの帰り道にこの墓地に立ち寄っていることが、なんだか不思議だった。世界は変わっていないのに、自分だけ年を取ってしまったみたいだ。
日本人墓地の風景は、いつまで見ていても飽きなかった。それは懐かしさだけでなく、この美しい墓地にいると、異国にいながら日本の優しい「風」を感じられるからかもしれない。
ぐるりと墓地を散策してから、僕は帰ることにした。
ところが、コヴァン駅までの帰り道も、なんだかやっぱり遠く感じる。お昼も近くなった陽射しは強く、汗ばむ身体はだんだんと疲れてくる。確かに11年前は、もっと楽に帰ることができたはずだった。
そのとき、ふっと気づくことがあった。
これこそが、11年分の重みなのかな、と。
たぶん、20代の半ばだった僕にとって、楽々と歩くことのできた常夏の道は、30代も後半になった僕には、少し疲れを感じてしまう道に変わっていたのだ。
思えばあのときは、コヴァン駅へ戻った後、MRTでセントーサ島へ足を延ばし、カジノで遊んだりもした。そこに疲れなんて、まったくなかったように思う。
あの日本人墓地も、この街並みも、ほとんど変わっていなかったとしても、僕だけは変わっていた。
でも、それを悲しいこととは思わないのは、どうしてなのだろう……。
やっとコヴァン駅に着き、ホッとした気持ちで、冷房の効いたMRTに乗り込んだ。
チャンギ空港へ向かう車窓を、穏やかなシンガポールの街並みが流れていく。
その風景を見つめながら、自然と、年齢を重ねた旅だって素晴らしいのではないか、と思い始めている自分がいた。
だって、旅への好奇心と、感動できる心さえ失わなければ、いくらだって良い旅はできるはずだから。
他に失うものがあったとしても、好奇心と感動を失わないことの方が、はるかに大事だと思うのだ。
確かに、このシンガポールで、以前のような若さを失いつつある自分を感じた。でも同時に、ここではないどこかを目指す好奇心と、そのどこかで心を動かされてしまう自分を感じることもできた。
きっと、その好奇心と感動を大切にしていけば、これからも良い旅はできる気がする……。
車窓から見上げると、流れるシンガポールの青空は、20代の頃に見たままに、旅の輝きに溢れていた。
また来年、「海の向こうに」渡ってみようか……と思った。
懐古的な旅なんかじゃなく、まだ行ったことのないどこかへ、まっさらな旅へ出てみようか、と。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!