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成功する支援、煙たがられる支援。

一時期話題になったこれ。

上から目線の、教材扱いの実習。
本人たちはそんなこと気づきもしないのだろうけれど。

なんか結局不登校支援もそうだけどさ、めっちゃ血気盛んに支援支援、騒いでいる団体より、ただただ手弁当でやっているところにこどもは集まるというもの。
手弁当がいいって意味ではなく、実働分はボランティアはするべきじゃない。そことは別に、手弁当でもやっている人のとこに集まるという意味で。
助成金(政治向き)や学校やメディア(大人の承認欲求向け)に目が向いている支援って、的はずれているし、ないよりましな程度で、ほんとは当事者からするとそんなに役立ってない。
やってる側はめっちゃ「イイコトしてる!」になってるんだろうけど。
困っている側が困ってない側を「察してあげなきゃ」いけない時点でなんかおかしいんだけど。

結局のとこ、支援が必要なケースって、別に支援者より「人間性」が劣っているとは限らない。移動が困難とか、~ができない、があるという意味で適切なサポートが必要というだけ。
そして、それができる人が支援するというだけ。
ニーズの問題だ。
人の上下じゃない。
だから結局のところ、承認欲求掲げてやってる支援は煙たがられて、支援とか名が付かなくても人がよるところは「相手を対等に観てる」ってだけだ。特別なことをしているわけじゃない。

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