◇学び好きで学び作り好きの毒舌さん◇

教材作成を中心に、教育周り全般。 個人塾・テキスト制作・日本語レッスンなど。 データサ…

◇学び好きで学び作り好きの毒舌さん◇

教材作成を中心に、教育周り全般。 個人塾・テキスト制作・日本語レッスンなど。 データサイエンスに関心あり(詳しくはない) なんだか色々あった人生、社会に時々毒づいてます。 https://kyozaisakusei.studio.site

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お仕事としてできること

ご依頼・ご質問はこちらから。 alglobal4510@gmail.com 対応可能分野教材・マニュアル・テキスト作成、講座作成サポート ・後継者育成(伝統技術、工芸、地域の技術など)用マニュアル、教材・講座化 ・NPO、任意団体の冊子、教材、テキスト作成、講座サポート ・インバウンド、アウトバウンド関連テキスト、教材 ・外国人雇用関連マニュアル、教材、テキスト作成(日本語サポート付き) ・代替医療系講座サポート、教材、テキスト作成 ・学び系コンテンツの講座化、教材作成サ

    • 社会復帰してみたら「支援」の仕組みが見えたはなし。

      自分に合わない、自分らしくない場所でも、時々は「違う場所」に身をおいてみるのも必要なんだな、と感じたはなし。 長年、なんかいろいろ大変で、いろいろ「当事者」としての経験が積み重なりすぎて、当事者にしかわからない部分を発信とかしていくべきなんだとおもっていて、ずっと右往左往していたのだけど。 でも、どうやっても腑に落ちない部分がずっとあって、当事者の困りごとを助けれるはずの層(お金もち、時間持ち、健常者など)が確かにその活動を社会起業や任意団体としてやっているのにも関わらず

      • 社会復帰から感じた普通ってほんとに目指すべき場所?って疑問

        ずっとギリギリの毎日だったから、 普通になれないことや、普通になるべき、をずっと義務に感じてきた、というか追われてきた感がある。 で、普通の場に属した時、これが普通でいいのだろうか、になってる。 フリーランスだったり、過労で倒れてたりして儲けや安定はほとんどない生活だったが、ひととの関わりは恵まれていたし「普通じゃない」という自覚があったからこそ、いつもなにかスキルアップすべきという概念に追われたり、人間性も高めないとクライアントさんとなるような大きな会社のひとや、社長さ

        • 会社に属することと不登校。

          このところ、十数年ぶりに会社に属しはじめたりしてる。 一応同時に教材やこども関係のお仕事も並行してるわけだが。 安定、のなかで感じたこと忘れたくないなあと文字にしておく。 会社に属する、ということは覚えたり期限に合わせたりすることは必要でタイムマネジメントやスキルが大事になってくるけど、 「考える」 からは遠ざかるんだなと感じた。もちろんマネジメントとか効率化とか思考はするんだけど外部にあるものをどうするかの思考、いわばパズル的頭の使い方で、思い悩む・考える、が必要

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          久しぶりに社会に適合しようとしている話。

          長年、介護&子育て、プラス自分の持病で、稼ぐ金額は低くとも在宅でやれることしか選べなかったので、児童扶養手当や医療費の助成などとうまく組み合わせながら生活してきたわけで。 別に頑張りたくないわけでもなかったけれど、頑張れるほどの余力があったわけでもなく。 そして、頑張って、もっと自分が倒れるよりは、「児童扶養手当なんでいらない!」って言えるほど稼げるようになるプライドなどどうでもいいことだったし。笑って(ある程度)元気に過ごすことのみが義務。 そんな綱渡りの生活をしてい

          久しぶりに社会に適合しようとしている話。

          成功する支援、煙たがられる支援。

          一時期話題になったこれ。 上から目線の、教材扱いの実習。 本人たちはそんなこと気づきもしないのだろうけれど。 なんか結局不登校支援もそうだけどさ、めっちゃ血気盛んに支援支援、騒いでいる団体より、ただただ手弁当でやっているところにこどもは集まるというもの。 手弁当がいいって意味ではなく、実働分はボランティアはするべきじゃない。そことは別に、手弁当でもやっている人のとこに集まるという意味で。 助成金(政治向き)や学校やメディア(大人の承認欲求向け)に目が向いている支援って、的

          成功する支援、煙たがられる支援。

          多様性って会議っぽい。

          常々思っていることがあって。 「多様性」ってきれいすぎるなあと。 揉めごとなく、会議の意見相違、くらいのテンションで、違いを認めようだの、違いを理解して、だの、やっている感じ。 ほんとに多様なことって、カオスだと思うんだけど。 それでたくさん衝突したり、問題起こって、それでも双方どうにか諦めないで、中庸みつけて、折り合いつけて、バランスが取れていくものだと個人的には思う。 だから最近の「多様性」は教科書や理論が中心な、実践を伴っていない 痛みも感覚も、理論のなかだけのや

          地方の英語教育について。

          一応教材作成のほかに、英語関連も密かにやっているので(笑) 思うこと。 地方で習い事、ってそんなにない。 だからとりあえずスイミングか英語、って家庭が多いような気がする。 うちはシングル、びんぼーなのと、自分で教えたほうが早いので、スイミングも小1くらいにちょっとだけ、英語もイベントごとに参加する程度だった。 ただ、ずっと習うには、英語が中途半端な教室も多い気がする。 あっという間にこどものほうがレベルを超えてしまうような。 今はオンラインで、地元に拘らず講師を選べると

          厭世家にも人に褒められたい感情が残っていたはなし。

          noteに書いたりすることだけじゃなく、まあ20代からいろいろあったから、社会の冷たさとか、支援ビジネスの薄っぺらさとか、承認欲求のなれの果てとか、とかく「普通」の生活、ビジネスで成功することや、起業や、コミュニティに関して、参加はするものの、温度感は違っていて、その温度感を認識して、鬱状態になる、っていう社会不適合者だなと思うわけだが。 不適合といっても、「適合できないのが悪い」とは思っておらず、今の社会に適合できる人は逆にもっと病むか、人のこころがわからない人になると思

          厭世家にも人に褒められたい感情が残っていたはなし。

          引きこもって、いろいろ書きたいからプロフィールを変えた。

          最近、ひきこもりたい、というか散歩はしたいし買物も行きたい、フットワーク良くアクティブではあるんだけど、あまり人と関わりたいフェーズじゃないなー、と思ってプロフィールを変えました。 仕事用に書くんじゃなくて、ただ人と会わない話さない中でも、思考はしちゃうのでそのあたりをnoteに入れ込む感じで。 なんかコミュ障ではたぶんないんだけど(シェアハウスとか住んでたし、知らない人の声かけるのも苦手じゃない)あまり人と関わりたくないフェーズ。 仕事的な意味でも、ビジネス的な思考が

          引きこもって、いろいろ書きたいからプロフィールを変えた。

          不登校支援ビジネスを横目で見て思うこと。

          不登校関連の活動を長年見てきて、最近不登校ビジネスが盛況だなと思う。 うん、そのニーズはあると思ってた。 でも同じ立場の人からお金とりにくいんだよねー、どこか企業がやればいいのに、も思ってた。 でも実際やってるのみると、ニーズに届いてないんだよね。 キーワードが共通しているだけで。 学習の機会を平等にすべきだなーとほんとに思っているのか、 ミッションバリュービジョンにそれらしい言葉を並べているだけなのか。 需要と供給の「ビジネス」じゃなくて、 弱者ビジネスだと感じてしまう

          不登校支援ビジネスを横目で見て思うこと。

          40代の仕事探しのはなし。

          一応自営もやっているし、ずっと「仕事」は続けてきているのだけど、こどもも大きくなってきたので、定期的な安定したこともしたいな、と思いリサーチを始めているこの頃。 まあ、難しいのはわかってる。 でも数撃ちゃ当たるかな?と。 ただやっぱり私は抱えているマイナスのものが多すぎるので「健全な職・会社」ってはなから切られるんじゃないかと思ってる。 言ってないけど鬱だし、パニック持ちだから在宅しか探せないし、パワポとか教材作成とかでつかい続けているけどMOSとか取っているわけじゃな

          グローバル教育はいまだお金持ちのもののような気がする。

          確かに大人になると工夫のほうが勝ると思う。 用意されたものでしか学習できないと、いくらお金かけても身にならない。 20代は都内シェアハウスで国内留学して、40代ではオンラインで。 調べれば他にもコミュニティやツールなどいろいろある。 英語じゃなくても、日本をしゃべりたい海外の人が集うコミュニティとかもある。 ただ、子育て上はやっぱりグローバル教育って、お金持ちのものだなぁと思う。 先進的な学びを提供しているような大学、インターナショナルスクール。オルタナティブスクール、

          グローバル教育はいまだお金持ちのもののような気がする。

          官能性と自己表現

          なんで「官能」で画像検索すると女の人しか出てこないんだろう。他にもモノとかあってもよさそうなのに。 自分はたぶん理性的な人間だと思うのですが、最近思うとことあり。 ファクトベースで物事をみて、問題が起こっているところに理性的な対処をしてきたそんな20年くらい。それはそれで仕方なかったと思うし、それこそ感情的に対応していたら身が、精神が持たなかったと思うから、社会に対する怒り、という感情は時々使いつつも、状況に、現実に感性をあまりのめり込ませずに過ごしてきたことで、どうにかや

          (ちょっと寄り道2)回し蹴りの空想練習

          今後のためにライフヒストリーをまとめてみよう、と思ってちょっとずつ書いていたのですが、書いてる時間以外にもいろいろ思い出すわけです。 そしたらなんだかもやもや、イライラしてきたわけです。 まだライフヒストリーははやかったか、トラウマか、と思ったんだけど、どっちかっていうと怒り。 そうだ、社会とか上から目線の窓口とか行政とか医者とか、そういう弱い立場のときに受けた人権のなさ?みたいの思い出して、悲しくではなく怒りがふつふつと。 ちょうど寒くて適当に着ていた服がカンフーっぽ

          (ちょっと寄り道2)回し蹴りの空想練習

          (ちょっと寄り道)お金のブロックのはなし。

          お金のブロックというと、スピリチュアル系とか、起業系のカリスマの話しと勘違いされそうですが、明らかに自分には 稼ぐことへのブロック はあるなという実感の話しです。 コネクションや経験から、もっと貪欲に動けば、稼げる機会は結構あったと思うのですが、金銭を介在しない動きを選んでしまう、そっちのほうが落ち着く。 でも、労力分はいただく必要があるとはいつも思っていて、ボランティア推しでもありません。 ただ、価値をどうつけるか、どういう部分が価値なのか。 どこが人にとってスキル

          (ちょっと寄り道)お金のブロックのはなし。