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平和について語ろう

 終戦記念日

僕の知らない戦争が終わった日。

僕は広島出身だし知っていることだけ。
平和について語ろう。

悲劇はもういらないんだ。


 僕の昔の家は広島市内の西の位置にあった。
だから原爆の時。障子もガラス窓も吹っ飛んだ。
家の柿の木は。黒く焦げていた。

 原爆で亡くなったのは親戚のおばさん。
市内で朝から材木が貰えるというので。取りに行ったきり帰らなかった。

 家の近くに川が流れている。多くの人がそこで亡くなった。お婆ちゃんが。水が欲しいってみんな言って死んでったよ。と。
小さい頃。川で小さな蟹や海老をとって遊んでた。

 僕の街には。お寺がたくさんあって。昔の家の裏もすぐお寺だった。
よく遊び場にしていた。ロクムシや鬼ごっことかやってた。夏の夕方にはコウモリが飛ぶんだ。焦げた松の木に猫もいた。塀から落ちて頭も切った。だからお化けは怖くない。

 8月に入るとお寺は賑やかになる。
色とりどり盆灯籠と。1日中お線香の匂いがして。8月は好きだった。鐘から綺麗なお寺を見ていた。

 近く神社があって上がる途中に防空壕があった。
すぐに行き止まりなるんだけど。初め入る時怖かったな。僕の秘密基地になった。

 小学校の裏の壁がススがあるように真っ黒。
小さい頃から見慣れたけど。原爆の時そうなった。

 小学校にはどこでも小さな墓があった。
たどりついて分からない人を弔うために。

 お寺で日曜学校に行ってた。
家の隣ではないけど。小さい頃楽しかった。「はだしのゲン」はその時読んだ。

 チンチン電車が好きだった。
石畳を通る時。ガタン〜ゴトン〜って揺れるんだ。溶けた石畳がリアルだった。

 原爆ドーム前の駅を通る時。
電車内でよく両手を合わしている人が多かった。原爆ドームは平和の象徴と言うけれど。僕にとっては大きな墓だ。

 小学生2年の時。原爆資料館へ行った。
あまり覚えてない。でも泣かなかったと思う。ただただ、怖かった。

 原爆の話をする時。みんな怖い顔をしていた。
これは小さい頃から今でも変わらない。
どこかで話す事もあるし、聞くことがある。お好み焼きのおばちゃんや。法事の時、親戚のおばちゃんとか。いつも顔は真剣だった。

 市内はきれいでまっすぐにある100m道路。
全て燃えたから。きれいな直線と緑があるんだと聞いた。僕が知っているのは今と同じ光景。

 お婆ちゃんが死んだ時。
火葬場から出たら骨がほとんどなかった。
こんな時までそうなんだ。悔しかった。


今では小学校も白くきれいに塗られて。
焦げた木々も麻が巻かれ。
防空壕も柵がして入れない。
川もきれいに整地されて。昔の家も道路に。
お寺もきれいに区画整理され塀にも登れない。
好きだった盆灯籠も数が規制されだした。
チンチン電車で手を合わせる事もなく。
電停の石畳がコンクリートに変わる。

お婆ちゃんはもういない。


あの時の情景は。子供の頃の記憶しかないんだ。


どこかでまた戦争、原爆の話を聞く機会があれば。
僕は小さい頃の話を話す。忘れないために。


だから。平和でありがとう。

絶対に戦争はしないでください。


僕は被爆二世だから。
戦争は知らない。だけど街から教わった。

戦争は二度と起こさないで。

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経験はチカラです。 若い頃行っとけば良かったな〜と思う事も多かった。 世界は広いです♪ ٩(ˊᗜˋ*)و