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生きる『動機』

いろいろあるが、今日も私は楽しい。

ケアマネさんと福祉制度の改悪について、侃々諤々やりながら、政治家の悪口をぶちまけたりとか。

お父さんと「相棒」のスペシャル番組を見たりとか。

同い年のヘルパーさんと、あれこれ喋ったりとか。

私が買った本のことで、お父さんに褒められたりとか。

そして今夜の蕎麦は、一緒に東京に住んでた頃蕎麦屋で食べた、「田舎蕎麦」を再現したものだということとか。

友達のお母さんが圧迫骨折して、朝から友達とバタバタしたりとか。

今太ることに専念しているのだが、腹ばっかり 肉がついて、歯茎が痩せたのがなかなか戻らなくて、入れ歯を取ったり外したり忙しいこととか。

なんだかんだ言って、お父さんのそばに居るのが嬉しくて、朝から晩まで コロコロ笑っている。

いつもの日常だ。

星占いの世界では、活動宮に星が六つ集まり、星占い的には世の中が活発だということとか。

それに思いを馳せたりとか。

明日から 気温が下がるから、灯油の点検を倉庫でして来なければ!とか。

そして私はいよいよ、今日こそお風呂に入り、体をゴシゴシ洗うんだぞ と、朝から パジャマのまま スタンバっている。

平々凡々たる 庶民の暮らし、この「日常」の力は偉大である。

「生活すること」このパワーは偉大である。

余計なことなど吹っ飛んでしまうくらい、やること 満載だからである。

例えばこのご時世で、明日が分からなくたって、「今日やるべきこと」はたくさんあるわけだ。

そして、「今日 やりたいこと」もたくさんあるわけだ。

そういった人間の、「生きていく 推進力」というのは本当にバカにできないのだ。

例えばだ。

「今日はちょっとこれをサボってでも、これちょっとやりたいな!」

こういったことは、ものすごく膨大な生きるエネルギーなのである。

生きる 動機としては、もう十分すぎるくらい 十分なのである。

「なんか これやってると楽しい。やることやる時間だけれど、あと5分延長!」

だとか、

「あーもう今日疲れた!冷蔵庫になんかないかな!あった!これ買っといたの忘れてた!俺これ好きなんだよな!」

だとか、人間はそういったことで生きているのだ。

ヤケクソになって、タバコを吸いながら 缶ビールを開けたりする、その瞬間だって、「ちきしょう!俺は ヤケクソだぜ!」と、タバコを吸うことも缶ビールを飲むことも、生きていく 推進力 なのだ。

そういう一個一個を積み上げると、なんだかんだと人生は豊かだ。

人生のどん底というものがいくつもある。
這いつくばって泥をなめる思いをするたびに、一個ずつ 吹っ切れる。

そうやって どんどん 図太くなる。
どん底を見れば見るほど、怖いものがなくなる。

そうやって みんな、立派なおばちゃん おじちゃんになっていく。

その頃にはもう、忙しくて忙しくて、自分のことより他人のことに忙しくて、苦労の質も変わってくる。

死ぬとか生きるだとか、悩んだ昔が懐かしいくらい、歳を食っている。

漬物が美味しいだとか、果物が美味しいだとか、焼き芋 一個 おまけしてもらったとか、人間はそういうことで生きていける。

スーパー 行ったら、漬物売り場のあのおばちゃんに声かけよう!
八百屋のおやじにしては仕入れが良かったから、今度言ったらうまかったと言おう!
焼き芋 一個 おまけしてもらったから、缶コーヒー 買って今度お土産に持って行こう!

人間はそうやって成り立っている。

生きているとはそういうことだ。

生きて行くとはそういうことだ。

こういうことはとっても幸せなことなんだ。

こういう ささやかなことを、笑っちゃいけないし、ないがしろにしちゃいけない。

見渡せば、毎日毎日生活しているそのそこかしこに、人の善意があって、それはとっても嬉しいことだ。

それは、元気の源になる。

明日へ向かう、小さくて大きな一歩だ。

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