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『職業としての批評家』他人の書いたものを読むといふのは、なみなみならぬ奉仕ではないか

 この論文は昭和二十三年に発表された。冒頭の引用から始める。

「ぼくはすでに二年まへに「職業としての作家」といふ文章を書いた。いま「職業としての批評家」について考へるばあひ、二年前にとりあげた主題と異つた場所に身を置くことはできない。(中略)批評家もまた、「職業としての作家」においてぼくの提出した近代人の宿命にたへぬかねばならぬ。といふよりは、作家以上に、それにたへてゆかねばならないのである。むしろこの宿命にたへぬくといふこと、そのことをおのれの専門とするものを批評家と呼ぶ—— さう考へることに、ぼくは自分のしごとにたいする自負を感じてゐる。」

『職業としての批評家』福田恆存全集第二巻

福田が『職業としての作家』において提出した「近代人の宿命」とはなにか。一言で言うならば、人間的完成と職業との分離である。個人的自我と集団的自我との分離と言い換えてもよいだろう。要するに、近代以降、作家を職業とするためには、①専門化された技術を持つ職人になるか、②副業を持つか、このいずれかの道しかないということである。

ひとは他人の人間的完成の努力に敬意は払う。が、報酬は支払わない。報酬は技術にのみ支払われる。そういう意味で、職人(技術を持つ者)になるのが一つの道である。

もうひとつの道は、別の収入源(副業)を確保し、純粋な人間的完成への努力をもっぱら作家としての仕事とすることである。しかしながらこの道は、もはや「職業としての作家」といえるかどうかは疑問である。むしろ「職業ではないものとしての作家」と呼ぶ方が正確に思われる。

とにかく、近代以降、「職業としての作家」というものはそのような困難な宿命の中にあり、それは「職業としての批評家」も同じことである、と福田は述べている。

次に、福田は自己の批評の原理について下のように言う。

「ぼくの批評の原理は、ぼく自身がこれほどつまらぬ人間であるから、きみたちだつておなじことだらうといふことにほかならぬ。」

『職業としての批評家』福田恆存全集第二巻

だが、その後の文章で、その原理自体を否定することを述べる。

「自分が完璧でないからといつて、あるいは完璧になれないからといつて他の完璧をたたかひとらうとしてゐる人間を引きずりおろすといふことは、なんとしても陋劣きはまることといはねばならない。」

『職業としての批評家』福田恆存全集第二巻

ここで文章の内容以上に重要なのは、文章の流れである。福田は、「ぼくの批評の原理」と言って堂々と述べたものを、即座に、同じ文章内で否定してみせる。この芸当、思考の形式、否定の精神こそ、批評家の資質である。

「他の批評家と意見が相違することなどたいした問題ではない—— ぼくはつねにぼく自身にたいして反対意見を提出することができる。ぼくはなにものでもないから、なにものにもなりえた。いや、なにものにもなりえたから、なにものでもないことを知つた。」

『職業としての批評家』福田恆存全集第二巻

自己が他者を批評するとき、他者もまた自己を批評している。他者とは自分を写す鏡である。

そのことに耐えられなくなったとき、もしくはそのことに満足できなくなったとき、批評家は批評の対象として、鏡ではない存在を求め始める。というのは、同時代ではないもの、すなわち古典である。

だが、同時代を完全に諦めることのできる批評家などいない。なぜなら、彼に真の批評精神がある限りは、古典の世界に安住する自己をさらに否定する自己が、やがて現れて来ずにはおられないからである。

「むかうがはからぼくたちを眺めることのできぬ古典への誘惑を感じつつ、同時に、いくらでもぼくたちを眺めすかしすることのできる同時代の作家に、自己をたたきつけてみることが必要なのである。」

『職業としての批評家』福田恆存全集第二巻

他者を否定する自己を否定する。この二重否定を通して、ひとは初めて他者への敬意を知る。このような信念の下にあったからこそ、福田は、一方でシェイクスピアという古典を翻訳し、舞台に載せながら、他方で、同時代人達との激しい論争を繰り広げていったのだろうと思う。

同時代人を批評するという行為を通して、趣味は倫理の問題に変わり、論理は実践の問題に変わっていく。変わっていかざるをえない。

他者に自己を開き、他者からの批評を歓迎することの重要性を、福田はよくよく知っていたに違いない。なぜなら、閉じられた趣味と論理の行き着く先は、「割りきつたあとの空虚であり、ぼくたちの魂を驚かすにたりるなにものも生れてはこぬといふ謎の喪失」(『職業としての批評家』)だからである。それこそ虚無というものだ。

「実験者にして被実験者」になることで、ようやく、ひとは虚無から脱することができる。

虚無に陥らないために失ってはならないものこそ、他者への敬意であろう。

「読むといふことは与へられることで、書くといふのは与へることだと考へたら、それはたいへんなまちがひだ。他人の書いたものを読むといふのは、なみなみならぬ奉仕ではないか。この一揖のあいさつを苦痛におもひはじめたら、批評家といふ職業はいよいよあぶなつかしいものになつてくる。」

『職業としての批評家』福田恆存全集第二巻

自分が読むべきと直観した文章しか読まず、それ以外のものを手に取ろうとしない人間は、次第に、未知のものや他者への敬意を喪失していく。

知らず知らずのうちに、そのひとは、謎の喪失、すなわち虚無に近づいているのかもしれない。


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