近況報告 from メキシコ!と、メキシコで考えたいこと
11月からメキシコに来ています。
今年初めはスペインにいたり、そのあとブルガリア行ったりポーランド行ったりと、相変わらずフラフラしており、落ち着きのない人生を歩んでおります。30代も後半になれば落ち着くでしょ、とか言われてきましたが、そんな気配は一向にありません。むしろ、歳を重ねるごとに過激に、自由になっていっている気すらします。笑 多分僕の人生はずーっとこんな感じなんでしょう! それもまたよし!
JICAの専門家として、主にスタートアップのエコシステム強化のお仕事をしに来ておりまして、また仕事の話もぼちぼち書いていこうかなーと思っています。
その他にも、大好きなダンスをよりレベルアップすることとか、やりたい事たくさんです。
その中でも、メキシコで深めたいことの一つに、古代文明の勉強があります。ちょっと自分の頭の整理もかねて、何を考えているのかを以下に書きます。
国って必要なんか?
小さいころ誰しも、「世界が皆友達になって戦争なんてなくなればいいのに!」と思ったことがあるかもしれません。もしくは、「国境なんてなくなって、世界が一つの国になればいいのに!」とかも思ったことがあるかもしれません。
大人になるとそんなロマンは消えて、「暴力は動物の本能だから戦争はなくならないよ。。。」とか「理想よりも国益第一!」と考えるようになったりするかもしれません。
僕らは「国」という単位で物事を考えることが当たり前になっています。このブログのタイトルだって「メキシコに来てます」ということで、国を単位に考えているし、いろんな場所を旅していると「どこからですか?」と聞かれて、「日本からです」と返事をします。
多くの人にとって世界を考えるときに「国」は最も大事な単位の一つだと思います。もちろん僕にとっても。
でも、「国」が必要かどうかは自明ではないと思っています。
人類の歴史の大部分において「国」は存在しなかった
なぜかというと、人類の歴史の大部分において「国」というものは存在しなかったからです。
人類(ホモ・サピエンス)が生まれたのは約30万年前と言われていますが、現在のような「国民国家」「主権国家」が生まれたのは1648年のウェストファリア条約と言われているし、何らかの形の文明の始まりも紀元前3000年くらいと言われていると思います。
ので、30万年のうち、29万5千年くらいは国なんてなかったわけです。
全体から見れば、国があるという世界の方が異常事態です。
国がなかった時の方が「良かった」のか?
でも、人類の歴史の大半において国がなかったからと言って、国がない方が良い、とはもちろん限りません。
世界は、国がなかった時の方が「良かった」んでしょうか?それとも、今みたいに国があった方が「良い」んでしょうか?
これは学者の間で意見が分かれているところですが、このブログでも何回か紹介しているこの本において、国(とか、何らかの官僚的な統治機構)なんてなくても人は自由に平和に共存してたんじゃないの?ということが言われて、世界中で論争が起きています。
従来、人類が今に至る大きな歴史観は、大きく分けて以下の2通りの説明がされてきました。(という僕の理解です。。。)
①人間の本性はジコチューだ。なので放っておくと争いがおこる(万人の万人に対する闘争)、なので、国とか、警察とか、法律とかを作って管理することによって世界は良くなる。(ホッブス派、性悪説派)
②人間の本性は善だ。昔、狩猟採集民族時代は皆、平等に平和に暮らしていた。けど、農業が始まって、土地を管理する必要が出てきて、さらに富が蓄積されるようになって、多くの人が一つの場所に定住するようになって、何らかの統治機構が必要になった。なので、仕方ないけど国とか警察とか法律で人々をコントロールことによって世界は良くなる。(ルソー派、性善説派)
いずれにせよ、現代社会では何らかの官僚機構を作って人々を管理するのが良いよね、という結論です。一定規模以上の人の集団を管理するにはそれしかないよね、と。
(ちょっと話はそれますが、ベンチャー企業の経営とかも、社員が30人くらいまでの時は、ちゃんとした評価制度もなく、階層もなく、みんながワンチーム!みたいな感じで和気あいあいとやることが多いです。が、50人を超えてくると、階層構造とか評価制度が必要と言われています。社員数が一定規模を超えると、組織を保つために管理が必要になる、という大方のコンセンサスがあります)
でも、この本はそれに対して疑問を呈しています。
どうやってかというと、古代文明を研究することによってです。(この本の著者は人類学者と考古学者)
官僚的な統治機構のなかったテオティワカン文明?
ここでメキシコに戻ってきます。
僕が住むメキシコシティの近くにテオティワカンという古代文明の遺跡があります。
紀元前に栄えた都市で、人口は20万くらいいたと推測されていて、当時の世界で6番目に大きい都市だったと考えられているようです。
さて、20万の人口の都市には必ず何かしらのリーダー(大統領とか首相とか宗教家とか)がいて、階層構造を持つ統治形態があった、と考えられていました。
Wikipediaにも「規模から考えると神権的な権威が存在し、高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている」とハッキリと書かれています。
でも、この本に書かれている最近の研究で、どうやら違うんではないかということが言われているらしい。
テオティワカンはこれだけのサイズの都市だったのに、リーダーはおらず、みんなで仲良しこよし平等に暮らしていたんではないかと。
もし本当にそうだったのであれば、現代社会においても必ずしも国とか官僚的な統治機構は必要ないんではないか、というのが筆者の主張です。
当然、古代の社会と現代社会が状況が違いますし、今すぐに国とかを解体して、みんな仲良く平等に平和にやっていこうね、とはならない気がしますが、新しい世界の統治の仕方が視野に入ってくるのかもしれません。
これからの世界を考える
そんなユートピアみたいな話あるか!って感じもしますが、とても興味深くてある種ロマンチックな話な気もします。
せっかくメキシコに来たので、テオティワカンはじめ、古代文明を勉強することでこれからの世界の在り方も考えてみたいなあと思っています。昔は人々はどう生きていたんでしょう?そこから学んでこれからの世界に生かせることはあるんでしょうか?
昔は、遺跡とかに行っても「フーン」くらいにしか思わなかったですが、いろんなことをつなげて考えらえるようになると更に世界はおもしれーなーと思う今日この頃です。
メキシコでの仕事の話やダンスの話はまたレポートします!
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