義務教育終了後の足跡⑥: 卒研から修士

大学院の入試に合格し、与えられた卒研のテーマもそこそこ順調に結果が出てきたところまでは前回のnoteに書きました。

毎日実験、ゼミに向けた勉強や資料作り、バイトや部活など急に充実した日々を研究室に配属されてから過ごしていきます。そうこうしているとあっという間に卒論提出時期に。大学に入学してから文章を書く機会はレポートという形でたくさんありましたが、それらはどれだけひどくても添削されて返ってくることはなく、フィードバックは点数という成績のみでした。単位が取れているか否かしか気にしていなかった私は、なぜレポートの点数が低かったのか、はたまた高かったのかを考察することなく大学生活を送ってきたので、文章を書くレベルはそれはもうひどいものでした(今も変わらないのですがこの頃よりはまし?)。

頑張って書いた卒論の文章は、まず先輩に血染めに(昔は赤ペンだったようですが、今はwordの校正モードによって真っ赤に...)されて、何とか先輩をパスしても指導教官に再度血染めにされて、それはもう大変でした。日本人なのに日本語が書けない。主語と述語がねじれる。なんなら主語もない。みたいな文章だらけなわけです。辛いですが、そもそも添削は私の卒論をより良くしようと先輩や先生が良かれとしていることなのです。添削していただけるだけありがたいことなのですが、当時はその視点に立てませんでした。

当時の卒論に対する姿勢は「いい卒論を仕上げよう!」ではなく、「どうやったら先生のチェックをクリアできるか?」という感じになっていました。今思うとモチベーションのベクトルの向きが随分と違うことはわかるのですが、これが意外と分からないんですよね。多分これは全国の学部4年や修士のみなさんも同じ感じなのではないでしょうか?実際同じ研究室の同輩もまさに私と同じマインドだったと思います。

こうしたマインドは払拭されることなく、何とか卒論を提出。卒論発表会も無事終了し、学士の学位を取得することになります。そして大学院の修士課程に進学します。

修士課程は、卒論で研究したテーマをさらに突き詰めるために研究に没頭できる環境のはずなのですが、実際はなかなかそうはいきません。

修士は修士で修了のための単位が必要で、講義を取らなければなりません。学部の講義とは違い、より専門的で実践的な講義がたくさんあります。講義を受けたり準備をしながら、研究も進めなりませんが、大学院に進学するような優秀な人ならうまくこなせるはずです。講義の内容も研究に活かせるようなものばかりで、「講義」と「研究」は独立のものではありません。研究を進めるにも独学では限界があるので、専門家による講義を受け、内容を研究に活かして発展させる。私個人の見解ですが、おそらくこれが修士学生のあるべき姿なのではないかと思っています。これが出来る人が修士課程に進学するのでしょう。

しかし残念ながら私はそんな学生ではありませんでした。相も変わらず楽な講義や単位を取りやすい講義を選んで単位を積み重ね、講義の受講や準備を理由に研究を疎かにし...

とても修士課程の学生とは思えない体たらく。ですが果たしてこれは私だけでしょうか?意外とこういった修士学生は多いのではないでしょうか?下手したらこういった学生の方がマジョリティだったりするのではないでしょうか?

なぜこうなってしまったのか。前回のnoteの最後に書きましたが、そもそも私が修士で研究するテーマは果たして私の研究なのか。私が純粋な好奇心で知を突き詰めたいテーマなのか。違います。この研究は先生に「与えられた」テーマの「まま」だったのです。

「まま」という書き方をしたのは、「与えれられた」テーマであることが問題というわけではないことを強調するためです。テーマを与えられることは決して悪いことではないですし、研究を始めたばかりの4年生にいきなりテーマを自分で考えろという方が酷な場合もあると思っています。なので、研究スタートのきっかけとしてテーマが与えられることは問題ではありません。このテーマをいかに自分のものにするかが重要だと思っています。自分のものになれば、自ずと好奇心が芽生え、さらに研究を突き詰めたいという熱が生まれ、探求の過程で分からないことは独学か「講義」で補う。

このルートに乗れなかった私の研究をする理由は「修士課程を修了するため」「先生に怒られないため」でした。「先生に怒られないため」なんて小中学生みたいな理由で我ながら呆れてしまいます。このマインドは、卒論の「どうやったら先生のチェックをクリアできるか?」と似ています。これが卒論のときに払拭できなかったことが尾を引いていたのでしょう。もちろんそれだけではありませんが。

厄介なことに元々、言われた通りにすることや上手いこと物事を何となく何とかすることが得意だった私は、「修士課程を修了するため」「先生に怒られないため」にやっていた研究で運よくそれなりの成果を出すことが出来てしまします。そのため、多くの学会で発表したり、論文の共著者として名前を入れてもらえたりします。

この頃から指導教員に「博士課程に進むのを考えてみては?」みたいなことをそれとなく言われるようになりますし、私も満更でもない感情を持ちます。研究に対するモチベーションの向きは相変わらずおかしいのにも気づかず。

今日はこの辺で。修士時代を振り返っていると本当に我ながら情けなくなります。研究に対する姿勢が少しおかしいのに結果が運よく出てしまう。自慢話のように感じる人もいるかもしれませんが、この「能力が伴わない成果」は後々私の精神を蝕んでいきますがそれはまた今度。

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