7月17日

いろいろと、考えた。悩んだ。
ここから、今まで書けなかった、鈴木家のことを少しずつ書いていければと思う。
少しずつ、何か思い出しながら・・・ハッシュタグで表すとこんな感じ。

#鈴木家崩壊
#名前は一部ボカす
#気持ちを吐き出したいだけ
#いつ消すかわからない
#全部本当のこと

2019年3月某日。
久々に、父と会った。
1対1出会うのは、両親の離婚後初めてだった。
久々に会うと、何を話していいのかわからなくなる。
お互いの近況報告をするなかで、ようやく会話のペースがわかるようになった。
父は60歳だというのに、顔のシワは刻まれ、目や肌に生気は無く、実年齢よりだいぶ老けている印象を与えた。
しかし、表情は5年前のあの日より穏やかだった。
遅くなった還暦祝いを渡したら、父の目は潤んでいた。

2014年7月17日。
普通の人には、おそらくなんてないことの日。
鈴木の父と母は離婚した。
約30数年にわたる婚姻生活を解消したのだった。

母が離婚届を父に向かってたたきつけた瞬間、母をカッコいいと感じた。
離婚する2年前から、父の実家の近くのマンションを購入して住み始めた。
(お金の半分くらいは、父の両親が出していた気がする)
元々の実家からの引っ越しは、鈴木も当時住んでいた広島からその手伝いに行った。
鈴木が実家部屋に残しておいた大量の本やCDを広島に配送したり、不要なものの処分を手伝った。
引っ越し先は、小さいながらも、古い家ながらも、その生活は充実し、満足そうに見えていた。また、夫婦水入らずという状態で、年に数回は旅行に行っていた。
鈴木も、箱根への旅行をプレゼントして、二人とも喜んでいたことを覚えてる。

しかし、父は母に伝えない中で、もはや返済不能の借金を抱えていた。
借金の原因は、父が五反田で風俗店を経営していたときにできた借金である。

なぜ、父は五反田で風俗店をやることになったのだろうか。

当時、父親は埼玉県内のある進学塾を経営する、中小企業に中途入社で勤めていた。
(名前はあえて言わないけど、埼玉県内なら超有名なところだ)
父は、当時の社長と同じ早稲田大学出身ということで、社長に気に入られて入社した。
社長の下で、本流の学習塾から外れ、本流の進学塾の名前を出さない、補習塾的な塾の経営、保育園の経営、飲食店経営等を行っていた。本体とは別名義の会社で。
しかし、どれも思った成果を出せず、社長から「風俗をやらないか」と言われ、風俗店のフランチャイズ組織に加入したのだった。
気づいたら、その社長の口車に乗せらてか、本人の意思かはわからないが、独立させられていたのだった。
家族へは「人材派遣の仕事をやる」と嘘をついていた。
人材派遣には違いなかったが、「出会い喫茶」というのも中々エッジが効いている。

運営資金としてその学習塾の社長から500万、オリコから700万借りたと、父は言った。
運営資金がなくなった父は、母親の貯金を勝手に使い込み、それでも足りなかったのか、サラ金等での借金を運営資金にして店を継続していった。
しかし、雪だるま式に増えた借金は膨らみ続け、ついに破綻したのだった。
借金の総額は、約3200万。
父の借金を確認していく中で、父の最初の会社の同僚から、700万という大金を引きだしていたことが発覚した。しかも、家を担保にしていたのだった。
家は、父親名義だった。
すべて母親名義にしておけば、または母と半分の名義にしていれば、家を担保に借金することもなかったのと母は悔やんでいた。
先に担保で取られると、母への財産分与分が出来なくなるので、マンションの売却と離婚を急ぐのだった。
順序は、マンション売却→離婚→財産分与→自己破産か。
で、マンション売ったとき、仕事の都合や実家の都合で「一人暮らしをする」と言った母の家を一緒に探したんだけど、あまりにも物件が酷くて(大学生や社会人1年生の子が一人暮らしをするなら兎も角、こんなところに50代前半の母を住ませては息子として絶対に駄目だと思った)、方向転換。鈴木と母が二人で住める家を探すのであった。
会社を休んで10件くらいは内覧に行ったと思う。
そして、一番明るく、広い家に決めたのだった。

どんだけ広いかというと、3LDKの約70平米。大人二人は楽勝で暮らせる感じで、部屋も別れていて、生活スタイルがバラバラでもストレスは全くない。
あとで調べたら、今まで住んだ家の中で一番広かった。
母からしても、父が買ったマンションより広く、新しい家だったのだ。これもまた皮肉なものである。

自己破産をしたくない父は、非常に見苦しかったのだが、鈴木が、自己破産をしなければ親子の縁を切ると伝えたとき、ついに自己破産をするのであった。

次回テーマ「父」

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