父と通販会社

公文式を辞めた父は、通信販売をする会社に入った。
後から聞くと、個人経営に毛が生えたような中小企業である。
正直、何やっていたのかも、その会社に入った経緯さえも、よくわからない。
当時の母には「公文式の説明をするときにスカウトされた」と言っていたが、
離婚のタイミングで「チラシを見て電話をした」ということが発覚した。
話が違うし、もはや何を信じていいのかわからない。
その通信販売の会社は、本当に、個人経営に毛の生えたような数人規模の会社で、父は役員になっていた。母の話によると、公文式を辞める際には「役員になるから」といろんな人に言い回っていたそうだ。
今思うと、父は見栄っ張りで、周りにいい格好をつけたがっていた。
早稲田大学ボート部のOBである父は、早慶レガッタという対抗戦があるとそこによく行っていた。現役の女子学生だけにと言ってケーキを差し入れすることもあった。

父の性根の部分は「お人好し」「嘘つき」「見栄っ張り」と言ったところだろうか。
あとは「儲け話」が好きなんだろう。
パチンコや競馬といったギャンブル的なモノにも手を出していたり、海外の外国くじや、怪しい副業に手を出し、その連絡先として実家の電話番号が使われていて、電話が頻繁に掛かってくるようになり、電話番号を変えたこともある。

引っ越した先のマンションは、Yハウスよりも狭くなった。
Tマンション。そこは国道17号線に面していて、その当時ファミリーレストランのデニーズの上にあった。そこで、小学校4年生から大学4年生までの約13年間を過ごした。

小学生の高学年になると、家族旅行をすることはなくなった。
その代わり、夏休みになると母の実家である栃木によく行っていた。
少年野球はやらせてもらえなかったが、水泳と公文式はダラダラとやっていた。
少年野球をやらせてもらえなかった理由を推測すると、親への負担がとても大きかったからに見える。お茶当番等による時間的拘束と、野球用品購入のための経済的負担の二つの側面が問題だったのかと、今になっては思う。(横浜ベイスターズの筒香選手が問題提議をしてるけど)また、小中高で本格的にスポーツをしてこなかった父母にとっては、少年野球のようなスポーツ少年団に対するに知識が疎く、イメージ先行で「やらせない」という方針を選んでしまったのかもしれない。

鈴木は中学になったとき、父の通販会社が倒産した。
何でも無いの平日の授業参観に予告なしで父がきていて、とても驚いたのを思い出す。
父は通販会社の社長にだまされて、会社の運営資金にすると言われて、700万の借金をサラ金で借りるも社長がトンズラ。父が借金を背負うこととなった。
業者内でリストが回ったのだろう、家にはサラ金関係のはがきがよく来るようになった。
また、父は役員だったので「失業保険」が出なかった。
鈴木家は経済危機を迎えることになった。
お金を持っていなかった父。結局は、父方の祖父が弁済したようだった。
それだけではなく、3ヶ月分の生活費を渡されてこれで生活するようにと経済的な支援をされた。後から聞いた話だと、母は父の次の仕事が決まるまでの同居を望んだが、それは却下されたようだ。
鈴木は中学では野球部に入っていたため、新しいグローブや、練習用のベースボールTシャツが欲しいと言い出せなかった記憶がある。

父は、埼玉県内の学習塾を経営している会社に再就職をした。

次回「父と某学習塾」

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