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(10) 遂に、新旧交代の時がやってきた。

 「あのオウンゴールで監督は誰を褒めると思う?」姉のフラウが答えが分かっているような顔をしながら、弟のハサウェイに訊ねる。              「それはカイトだ。中央突破すると見せかけて、左右の味方2人の動きを変えた。後方の選手にバックパスして、スルーパスで抜け出るよりも、クロスボールの方が、カイト自身がオフサイドを取られる可能性が低くなる。タメの時間も出来るし、クロスボールの方が攻め手が2人になるからね。でも、カイトが折角ディフェンスを惹き付けて、クロスボールを上げやすくしたのに、ミスキックになっちゃった。落ち着いて蹴り込む時間はあったのに、慌てちゃったんだろう。ディフェンダーのスライディングの方がゴールに近いから、足に当たったけど、あれはカイトのスピードが相手のプレッシャーになったからだ。相手をスライディングさせたのも、カイトの動き出しの速さだし、あれはカイトのゴールと言えるよね・・」               母親のヴェロニカが「なるほどね・・」と感心しながら聞いていた。   この日、バレンシアジュニアチームの一行は神戸に宿泊していた。スペイン人選手たちはコーチ陣と中華街に夕飯を食べに行ったのだが、日本人は日独戦をテレビ観戦してから、夕飯を食べようとしていた。連日の試合で疲れているのだろう。陸と零はヴェロニカとフラウのベッドで寝ている。桃李も座りながら寝落ちしそうになっている。一志も零士も眠そうだ。ハサウェイとフラウは食い入る様にテレビを見ているが・・             日本はここまで組織的な守備で相手を囲み、相手のチャンスを紡いで来た。2人に対して3人が付くので、どうしても1人分、数的不利な状況が生じるが、そこをハードワークして誰かがカバーしてゆく。日本が初めて予選を突破した、2002年大会と非常に似通った戦術だった。当時より向上したのは3バックの強度位だろうか。これも予選からの戦い方で、日本人からも古いと言われている。前監督と違うのは、カタールリーグの2人と海斗ともう一人の右のMFとの4人による可変的な動きだった。桃李は、その右MFの選手が調子が悪そうだと心配していた。ピッチに出てきた時に、右のMFは居なくなり、ボランチの1人が上がって、新たにディフェンダーの選手が入った。「4バックかな?それとも誰かがボランチになるのかな?」フラウが言うと、「あのディフェンダー4人にはボランチなんて出来ない。4バックで、海外組の3人が上がるようになる。でも、ドイツが本気になるから、中盤はきついぜ。前の2人が前半みたいに動かないようだと本当にキツい。今日の零は、久しぶりにFWに付いたら、思いっきりサボっただろ。あれ、すっごく辛いんだよ。今日の中盤は相当辛いぞ。零と同じで ごっつあんゴールだけを狙ってるから」桃李の仕草に皆が笑う。零が寝てるから言いたい放題だ。テストマッチなので、選手の交代枠は9人ある。後半の日本は戦術的な変更よりも個々の選手をチェックするだろうと言いながら、陸が起きてきて、タブレットを起動させると、少し眺めてから桃李にタブレットを渡した。  「ホントだ。ディフェンダーにカイトとボランチの2人が入って、前線をガラッと変えるのか・・」桃李がつぶやくので、子どもたちがタブレットを眺めだした。「リク、なんで分かるの?」「それは・・ここだけの話なんですけど、このタブレット、カイトの代表用AIなんです。勉強になるから試合中に見て、みんなに説明してくれって言われました。変なテレビ解説の説明を聞くよりも参考になるからって。個人マネージャー達も兄弟も居るし、端末もそんなに要らないそうです」 ヴェロニカは驚いて、桃李の持っているタブレットを眺めに行った。「それって、凄く面白いじゃない」と思いながら。設定では後半の10分でFWの2人とMFを1人、15から20分で中盤に3人が入るプランになっていた。1人は不測の怪我などの枠にするのだろう。事前にどういう布陣になるかも分かって、ヴェロニカも食い入るようにテレビを見る。確かに面白さが増した。ドイツの波状攻撃が増すと、坂出監督は10分立たずしてFWの2人を変える。ヴェロニカが気になったのが、2人共、足を引きずるようにピッチの外に出ていった。どうしたんだろう?と思った。そして次の交代で中盤の3人がやはり辛そうにビッコを引いて出ていった。これで8人変わった。年齢層も30代は1人も居なくなり、後半から入った選手が走り廻る。ドイツもレギュラー選手を投入して、日本の防御を破壊しようと試みる。今度はAIにデータがあり、選手もイメージトレーニングが出来ているのでドイツの攻撃を次々と封殺してゆく。ディフェンスに入ったカイト、ボランチの一人、後半から入った1人の3バックが魅せる。ディフェンスの常識を変えたかのように躍動して、ボールを奪取し、相手を止める。欧州リーグのアフリカ系のディフェンダーの選手のように、攻撃する間も与えない素早さで、相手のボールを奪取してゆく。その後の日本のカウンター攻撃の回数も増し、本番でも想定される、日本が先制した場合の攻撃的な守備体型を実演していた。子供達が「すげえ」と何度も言う。あのドイツの攻撃陣に、全く仕事をさせない。ここで、もし日本の前線にバックアップメンバーの「あの4人」が居たなら、と誰もが想像する。何も海斗達がディフェンスを担う必要はない。火垂も、歩も、そして圭吾も、杉本も居るのだから・・。ヴェロニカは胸が踊り、熱くなった。「サムライブルーはもの凄く強いんだ・・」と、遅れ馳せながら理解した。AIはこのままゲームセットを目指して、ディフェンダーを投入して4バックにして、陣形を更に強化するプランを提案していた。圭吾と歩が、コーチ達と端末を見ながら相談している。火垂と杉本が、出番に備えてアップしている選手をディフェンダーだけを残して、アップのペースを上げている映像が流れた。端末の情報には、控えのディフェンダー選手の候補者が表示されていた。「やはり、AIが凄いのかな?」とヴェロニカは思った。監督さんは、どうするんだろう?と思った時に、監督はAIの候補者ではないディフェンダーを選んだ。まだ二十歳前の若い選手だった。「あれっ?」ヴェロニカは首を傾げたが、子供達は「ナイス、選択!」と言っている。若手のディフェンダー選手が入ると、FWの一人が出ていき、海斗が1.5列目に上がった。守りではなく、点を取りに行く選択をした。「そうだよな。オウンゴールで勝つのはフェアじゃない。これはテストマッチなんだし、ドローで終わってもいいよね」と桃李が笑い、陸が頷いた。その後、味方からパスを受けた海斗が、前線に2度、決定的なスルーパスを出したのだが、FWがフカしてしまい、ゴール枠を捉えずに外れた。もう1度はキーパーの正面に蹴ってしまい、片手で難なく処理して、笑った。片手というのが屈辱的だった。「今のはさ、俺の出番だったな」寝ていた零がムックリと起き上がって言うと、一同爆笑した。結局、1-0で試合は終わった。                         ーーー                               英米中3カ国は、日本を同盟国だと勝手に思い込んでいただけで、日本には実はそんなつもりは無かったのではないかと、今更のように受け止めていた。先日の国連総会もリモート参加で済まし、G7とG20、COP26も多忙を理由にリモート参加を要請している。モリが春のG20で記者に心情を吐露していたのも記憶に新しい。「懐疑的な場だ。リモート参加で事足りるのではないか。わざわざ一堂に会してまで話をする必要はない」と。確かに日本が全ての世界公約を達成しているので、誰も文句を言えない。そこに宇宙開発事業の直前で大忙しなのだという。今年の3月にプルシアンブルー社が会見で火星探査計画の概要を伝えた際も、詳細の説明まではしなかった。参院に一議席しかない少数野党が、計画の詳細と、これまで費やした予算の公開を求めたのだが、官房長官が「計画の詳細はまだ明かせない。予算は項目に特に計上はしていない」と突っぱねた。宇宙開発の予算は防衛費やメーカーの開発費が該当し、国として予算計上をする必要がなかったというオチだった。 台湾とロシアがトップバッターとなって探査活動を個別に行うのも、米中英には当て擦り以外の何者でもない、と思っていたら、火星に向かう機体見学の取材が認められた100社には、The Nationも含めて日本のメディアは1社も入っていなかった。その理由も黙して語らないのだが、違う意味で日本の公平性を示したりもする。日本のこの内々で事を済ませてしまう姿勢から、まだ他に何か大事なことを隠しているのではないかと誰もが考えてしまう。実際、火星に基地や工場を建設するとは、誰もが思っていなかった。官房長官の定例会見の場では、アメリカ、英国、中国のメディアは、日本の黙して語らず的な姿勢に食って掛かってゆく。それを官房長官が楽しんでいるかのようにノラリクラリと躱してゆく。「なぜ、3カ国を含まないのでしょうか?」官房長官は答える「含んでいない訳ではありませんよ。ご存知でしょうが、順序的に米国が200何番目かで、以降で英国、中国と続きます。今は最初の10カ国と協議している段階です。それ以上の数の国々も含めて調整するのは現実的ではないのは、ご理解いただけますよね?」と笑う。大国だから、G7だからと一切、特別視しない。宇宙開発は公平なものであるべき、というのが日本の基本的なスタンスだった。ロシアはカザフスタンにある、ロシアの所有物であるバイコヌール宇宙基地を貸与するからという背景があるのと、ロケットも航空機も、ロシア領内を通過する必要が有る。台湾は軍事協定を結んでいる「国」であり、日本の「隣国」にあたり、台湾も時々種子島宇宙センターを打上げでご利用頂いている、という理由があるからで、勘ぐられるような他意は一切ありませんと言われれば、引き下がるしかない。そんな事よりも、モリが倒れたという報を受けて官邸内は慌ただしくなっていた。日本政府は平静を装っているように心掛けながらも、危機管理体制を敷いて、モリが「居なくなる」不測の事態に備えていた。本人の意識は戻ったとは言え、原因が今一つ特定できなかった。現地の自衛隊病院では「過労」と診断され、医師でもある3人の大臣が「心配御無用」と伝えてきても、首相は医師団の派遣を指示した。柳井と阪本にとって、最優先事項はモリの健康状態へと変わっていた。                  ーーー                               試合後、日本代表の4選手の怪我と疾患がサッカー協会とそれぞれのクラブから公表された。調子が上がらないのは実は、体の不調が原因だったと明かされる。ここまで、コーチ陣と協会とクラブ間で密に連絡が取られていた。今回の代表メンバーの選考の経緯は、監督の直前の変更に伴う異例の措置で、23名プラス、バックアップメンバー4人で、今後の練習試合で入れ替えの可能性が高いと、各選手、各クラブに伝えられていた。予選を勝ち抜いてきた主力選手達への恩賞的な23人のメンバー発表だったと言う訳だ。「最初の選考で選ばれた」という実績は公的なものとして選手達に残る。イタリアW杯のメンバーとして。しかし、残念ながら本線前にベストな状態にならなかったので、バックアップへ廻ったと対外的には伝え、FIFAへの最終登録日でゴソッと入れ替える策を取った。「外された」と選手は思わないのも、AIによるデータが如実に示しており、選手もクラブも了承した上での今回の「故障者リスト入り」となった。日本代表の公式試合では、今後は公平性を維持しながら候補選手全員が選考を納得するものへと代わる。      バックアップメンバーとの入れ替え、代表選手の交代が各社から報じられる。モリ4兄弟の代表入り、エスパルスOB7人の揃い踏みに、ドイツ戦を見るまでワールドカップをすっかり忘れていた日本内で、それなりの騒ぎとなる。しかし、当日に世界中を駆け巡ったニュースで代表メンバー変更の報道は立ち消えてしまう。「ベネズエラ、モリ大統領 暫く静養へ」カナモリ首相がカラカスで会見に臨んで報告した。不眠の日々が続いて、そこに心労が重なった、暫定的に大統領職を兼務とすると、カナモリ首相が述べた。   ー                                「私が県知事の頃からの秘書として、彼が政治に関わるようになってから今までの13年間、本人には毎日が満身創痍な状況が続いていたようです。側にいながら、彼が追い込まれていた状況にあると、全く気付きませんでした。日本や世界の為に、そしてベネズエラと中南米の為に、爽やかな顔をして対処しておりましたので、まさか極度の重圧を感じていたとは思いもしませんでした。火星に向かう直前までやってきて、彼の描いた日本の再生構想は終着点に辿り着こうとしています。経済と政治が絶妙にリンクし合いながら成長し、北朝鮮、ベネズエラ、タイ、ビルマ、そして過渡期にある旧満州とチベット、中南米と、共に成長を遂げて参りました。モリで無ければ、正直出来なかった。彼が居たからこそ、ここまで成し遂げられたと私は考えています。今回、燃え尽き症候群に類するものだと医師団から診断されました。 一定期間の休息がどうしても必要となります。私たちには、今ここで、彼を失うわけには行かないのです。ベネズエラ国民の皆様にはご心配とご迷惑をお掛けいたしますが、本人の健康状態が回復するまで、暫く国内で静養させていただきます。日本での火星探査の式典参加も、今回は見送ります。暫く海外への移動も控えます。義理の母親として、息子の健康管理が出来なかった事を深く反省しております。国内外の大勢の方々に、彼の不在という事態を向かえてしまい、誠に申し訳無いと考えております。また、マスコミの方は暫く取材などはご遠慮頂けると幸いです。決して芳しくはない状況をご勘案頂けますよう宜しくお願い申し上げます」最後に、深々と頭を下げ続けた。これで、ロケット打上げの式典に、主役の一人が参加しない。暫くカラカスとサンクリストバルの両方の私邸で過ごすことになる。スザンヌが出産した赤ん坊を庇の付いた籐籠入れて、乾季入りしたベネズエラでの日々を、畑作業などに取り組むモリの姿を、家の者達は見ていた。夜中に目が覚め、そのまま明け方まで眠れない日々が続いてリズムを崩した。年齢的なものもあるだろうと、日本の医師団から言われたが、モリは何も言わずに黙って医師達の話を聞いていた。内科医の櫻田にも、感染医の越山にも、精神科医の幸乃にも、勿論家族にも、スーザンにも倒れた真実を伝えなかった。母乳の出ないスザンヌの代わりにミルクを与えて、オムツを替え、首が座るまで籐籠に入れて常にそばに置き、生まれたばかりの我が子と一緒に日々を過ごす日々となる。「リハビリにはいいかもね・・」精神科医の幸乃が呟くと、皆が一斉に頷いた。                          昨年、ベネズエラに来て数ヶ月の頃に、モリは過労で倒れた事がある。当時の「休まない大統領」という呼び名が復活し、「#ゆっくり休んで」というハッシュタグが溢れた。火星探査で爪弾きされた格好の米中英3カ国も黙り込み、マスコミもモリに関する報道を自重するようになる。まるで故人の業績であるかのように、モリの12年間の実績の数々を掲載した日本の新聞社が「引退した訳ではない。不適切で、礼を失する記事だ」と糾弾されていた。それでも、モリはこの時を境にして表舞台から去ってゆく。不眠以外に特に体に異常はなかったのだが、早世した人物であるかのように、その姿を公の場で晒すこともなくなってゆく。この為なのか、日本はG20にもCOP26にも「諸般の事情により参加を辞退します」と伝えて、リモート参加すら断った。日本不在のままだと、国際会議が非常に薄っぺらいもののように人々の目に写った。世界経済を牽引している筈の当事者が居ない。二酸化炭素の削減のトップランナーが居ない。環境問題で世論をリードする日本が居ないと、上っ面の机上の空論を述べるだけの各国の集合体になっている事に、世界は気づいた。「これは世界にとって大損失だ」「杜氏に仕事を押し付け続けたのは、日本政府だけの問題ではない。どこぞの大国であり、世界各国なのではないか」と米中政府を暗に糾弾し、足蹴にする論調が暫く続くのだが、やがてそれも下火になってゆく。実際、モリが居なくとも、世界は淡々と動いていた。                           ーーー                               W杯前にイタリアで始まった総選挙で、いつの間にか発足していたNeo Partito Socialista(新社会党)という7人の候補者の小政党が、選挙戦の台風の目となっていた。大学教授3名、環境物理学者、セメント会社元技術者、航空機メーカー元技術者、国営製鉄会社元技術者の7名が、イタリア主要7都市から、それぞれ立候補していた。学生に組織された選挙事務所の支援を受けながら、「日本の与党、北前社会党の政策を見習おう。環境対策をしながら経済活動を行おう。セメント、航空機、鉄鋼のそれぞれの会社が急に息を吹き替えしたのは、どのイタリア企業もカーボンニュートラルに舵を切ったからだ。ジェノア市で始まった無償のリフォーム事業を、イタリア全土に広げて、自家発電による電力収入を各家庭で持とう。W杯の終了後、セリエAのシーズン終了後に、全国のスタジアムの外壁工事を行い、国鉄の高架外壁、駅舎の外壁、全国の公共施設の外壁工事を実施して、自然エネルギーの比率を上げようではありませんか」と各地で訴えた。資料やデータ類は全て、日本の実例が紹介され、イタリア全土に齎される効果予測値も公表された。新社会党には豊富な選挙資金力があるのか、人目を引く社会党のCMが大量に流れ、新聞には説得力のある意見広告が毎日のように掲載された。投票3日前にして、新社会党の7名は他候補者を大きく引き離して、トップ当確だろうと報じられていた。イタリア与野党全ての政党が、選挙終了後には、新社会党との政策提携を行うという公約を掲げるまでになっていた。たった7人の政党が主役になっていた。新社会党の代表で、ローマ選挙区で立候補しているセルジオ・ロドリゲス教授は「我々の政策を受け入れられないはずのホラ吹き政党とは組むつもりは無い。あなた方には信念はないのか?恥を知れ!」と発言した。新社会党の掲げたマニフェストは、日本の与党の実行中の政策ばかりだった。要は「あなた方の政党は日本と組めるのか?」と問われているようなものだ。右翼政党、移民受け入れ反対を掲げる政党、EU離脱を唱える政党とは到底組める筈も無い、と誰にでも分かる。それ故に極めて自然に、リベラル系政党、環境問題重視系の政党が躍進していた。各党の選挙演説はシンプルなものだった。「ジェノア市内のリフォームした家が、毎月日本円で平均3万円の電力収入を得るようになっている。しかも、電力収入は自分達で利用した残りの電力を売電したものだ。実際には5万円近い費用を毎月手に入れられる。これをイタリア中に展開するという話なのです」この選挙は楽勝だった。反対する有権者を捜す方が困難だ。日本が何故、イタリアの企業を傘下にしたのかが話題になる。しかもこれは経済活動で内政干渉では無い。そもそも、イタリア国民に民意を問うている選挙だ。当選すれば、それはイタリア国民の意思に基づいたものになる。当然ながら日本政府は「イタリア国内の選挙には、我々が関与する訳には参りません」と言うだろう。しかし、CM、広告の制作はAngle社だし、潤沢な選挙資金は日本資本の企業から「貸与金」として全額貸し出されている。政策がスタートして、企業が収益を上げるのに応じて、貸与金を徐々に減額するという、借款に近い貸与方式だった。日本政府が新社会党に関与しているのは、誰もが分かっていた。このイタリア総選挙の報道を受けて、地中海に面する国々の中に、新社会党を掲げる組織が胎動してゆく。イタリア同様に、選挙で当選する確率が極めて高い党となると考えたようだ。学生達が支え、教員達が立候補を目指して、市民団体と呼応して新しい政党を作ると、日本の与党に秋波を送り始める。日本の北前社会党の国際部に属する国会議員が、各国へ「招かれた」と言って、出かけるようになる。 11月に中間選挙のある米国議員と立候補予定者は驚き、総選挙が行われる英国議員と候補者は震撼していた。「Neo Social democratic Party」が、ニューヨークとロンドンで旗揚げされていた。どんな候補者が、どの選挙区で立候補するのか、注目を集めてゆく。「日本の与党が、海外進出へ」イタリアの選挙の模様を世界中のメディアが取材に訪れる。W杯以上の取材陣の多さだった。各メディアは伝えてゆく「イタリアの国政が、日本の政策と連動したものとなるかもしれない。これは物凄いインパクトを齎す可能性があります。日本という成功例が実際にあるので、極めて踏襲しやすい。一方、右寄りの与党や野党に取っては、死活問題となります。真っ向から政策が対立しますし、何よりも、今のイタリアの政治も経済そのものが米中のように停滞しています。イタリア国民が新社会党を受け入れるのも、当然と言えます。何しろ、の日本経済は好調なのですから。また、新社会党はアメリカとイギリスでも発足し、それぞれ10人を越える候補者を擁立しようと準備を進めている状況です。アメリカの民主党、共和党、イギリスの保守党、労働党は、日本与党の進出に、少からず動揺しています」と報じられる。プルシアンブルー系列の企業株は最高益を更新し続けていた。宇宙開発に加えて、英米伊各国での環境ビジネスへの進出が進むだろうと「先読み」が重なっていた。           ーーーー                              日本政府が沈黙を続けるだけ、米英政府は怯え、従来政党を覆うかのように恐怖の度合いが増してゆく。英米の国民は新社会党の設立を歓迎し、学生を中心に組織がされ、支援体制が作られてゆく。拠点となったのは日本のカフェHookLike Cafeだった。ガソリンスタンドの併設店でもあるし、日本のスーパー、インディゴブルーの中にもある。嘗ての英米の政治を語り合う場としてのティーパーティーが、日本資本のカフェに場を変えて議論されてゆく。ビル建設、造船、鉄鋼の国際入札で日本資本の企業に勝てなくなり、自動車、IT、流通業、不動産業、兵器、農機は独走態勢にある。この日本の産業への投資は、最終的には全てが宇宙開発に向けられていたのだと、マトリクスを書けば誰にでも分かった。アメリカ1st、中華思想と言った、自国だけが富むだけのものではなく、全ては未来の為だった。日本人は自分達の姿勢を表立って表明しない。実際、描いたビジョン通りに粛々と事を運んだが、思想や考え方の異なる相手から一々理解と賛同を得ながら、進めていった。アングロ・サクソン中心の英米では、この日本人の「黙して語らず、結果が全て」と言った姿勢は、容認出来ない箇所はあれども、方針そのものは見事だった。英米では全国で太陽光発電は難しくとも、日本の水素発電事業は有益な事業だ。                            フランス、スペイン、ポルトガルと言った地中海性気候や温帯の国だけでなく、EU各国のリベラル系の政党が次期EU大使に内定している柳井太朗が居る平壌に訪問し、面会を繰り返していた。来年、再来年の選挙を睨んで日本との政策協定を結びたい、というのが主旨だった。太朗はロシアのアルテイシア副外相が言っていた「EU各国があなたと前首相の元へ集まってくるでしょう」と言っていた意味を、ようやくこの時に理解した。次期駐米大使に内定しているプルシアンブルー社会長の阪本の元には、米国大使や共和党、民主党の議員が面談要請を出して、東京へ訪日攻勢をしているという。英国政府と保守党・労働党の各議員はEUに属していないので、日本へのパスが無く、行き場を失っているという。2020年のブレグジットがイギリス議会の世紀の失態だったのだと今更ながらに痛感しているだろう。        ーーー                                    静岡の県庁や県内各市の市役所では、エスパルスOBの7選手が代表チームに入ったと先走りして作り、掲げる事が出来なかった垂れ幕を各庁舎に掲げていた。主要都市ではパブリックビューイングを行い、市民が集まって日本代表チームに声援を送っていた。先のテストマッチ、ナイジェリアとの第二戦では、テストマッチ初戦のドイツ戦で疲弊した海斗を休ませて、火垂と杉本を前線に投入し、3バックの左に歩が入る布陣で、プレミアリーグで対戦しているナイジェリアFW陣を、ここでもデータ通りに見事に封殺した。 火垂と杉本の2人の仕掛けで杉本がゴールし、セットプレーから、歩のフリーキックを火垂が頭で合わせてゴールし、2-0で勝利した。その3日後のテストマッチ最終のブラジル戦が、ローマ・スタジオオリンピコで行われる。選挙前で新社会党フィーバーの余波もあって、世界最強のブラジルに日本が、挑む好カードに客席は7万人の満員だった。イタリアの警察も本大会前の警備の予行演習となっていた。  セリエAジェノアに移籍した圭吾も、この日はベンチ入りしていた。故障明けでナイジェリア戦後半の20分間を試しで出したが、この日もベンチスタートだった。驚いたのは代表戦で歩が初めて2列目に入った。本人は7年前のマラカナンスタジアムのリベンジのつもりでいたが、残念ながら当時の選手は一人もいなかった。それでもプレミアリーグで10番を背負っている歩は、試合前にブラジルの選手から歓待を受けていた。7年前の事件を詫びる選手も居た。前半はブラジルの10番と歩の技の攻防となり、スタジアムが沸きに沸いた。ゴールに互いに結びつかないまでも一進一退の攻防を見せる。日本が本気のブラジルを相手に、全く引けを取らない戦いをしているので、大画面を見ている静岡の往年のサッカーファンは涙ぐんで観戦していた。パブリックビューイングで熱い声援を頂いても、全く選手には聞こえないのだが。                 日本は後半から圭吾を投入し、得点を狙いに行く姿勢を見せる。後半の途中から海斗を投入して、相手を更に撹乱してゆく。杜兄弟の4人が全員同じような髪型をして、体格も背格好も似ているので、ブラジル人には背番号以外の見分ける術が無かった。4人がポジションを流動的に変えるので、補足するのに手間取っていた。それこそ背番号で確認し合うしかなかった。テストマッチなので前半は極めて紳士的で、しかも歩が日本チームに居るのでフレンドリーな状態だったが、圭吾と海斗入って日本の中盤が強固になり、日本が押し込む場面が多くなると、互いが少しづつヒートアップしていく。ナイジェリア戦では選手交代枠9人中、5人を変えたが、坂出監督は本戦と同じ3人交代と決めて臨んでいた。2枚目のカード、海斗を投入し、エスパルスのOB7人がピッチに揃っていた。日本の関西に移動していたスペイン・バレンシアのジュニアチーム一行はクラブオーナーとトップチームのレギュラー2人が出ている試合を、ホテルの会議室の大きなテレビで観戦していた。小さな弟達は、世界最強のセレソンを追い込んでいる兄達の、その一挙一動を見逃すまいと8人で手を握り合って見ていた。その繋がった手を、後ろ姿を見てヴェロニカは泣いた。この子達も戦ってるんだなと。        ボランチの圭吾がインターセプトした瞬間に、日本の前線の選手が一斉に反転した。「さぁ、行くぞ!」中央で見ているリクが大声で叫んだ。日本が狙っているカウンターだった。7人がコクリと同タイミングで頷くので、ヴェロニカは笑い泣きしてしまう。圭吾が前を見ながら右斜めゴール前に居る歩に向かってピンポイントの弾道を放つ。ジャンプしながら歩が足でトラップして、そのままドリブルして歩が切れ込み、杉本との壁パスで相手のボランチを抜き去った。相手エリア内はに侵入するとスタジアムは大歓声だ。歩に向かってディフェンダーがスライディングしてくる。場所こそ違えど、7年前の事故の再現映像のようだった。親達はデジャヴュを見ているかのようで思わず目を覆った。歩にはスライディングタックルしてくる相手が見えていた。ボールをひょいっと浮かしてそれを腹で抱え込むようにしてジャンプした。「躱したっ!」アナウンサーが絶許したが、スライディングした選手の右足が上がっていた。スパイクの裏で飛んでいる歩の足を祓った格好になる。「ちくしょう、きったねぇゾ!」テレビを見ていたレイが日本語で大声で叫ぶが、スペインの子供たちもレイが何を言ったのか意味は理解した。脚を払われた歩は、着地体勢が崩れて伸ばした左手から地面に落ちてゆく。とっさに肘を曲げて落ちる衝撃を和らげる為に面で受け止めて体重を分散したが、肘に激痛が走った。しかし同時に「大丈夫だ」とも思った。そのまま腕を前へ出して、腕全体で体重を受け止めたのが良かった。それでも肘は捻挫したかもしれない。審判の笛が鳴った。大多数の人々はどんな色のカードが出るのか注目したが、家族達は倒れた歩がどうなったのかが心配だった。圭吾が、火垂、海斗がダッシュして倒れている歩の元へ集まってくる。歩が横たわったまま笑って「生きてるぜ〜」と言うので兄弟も味方選手もホッとした。カードは一発退場のレッドだ。日本が残り時間7分で数的優位となった。練習試合前に、本大会にこの日のカードは影響しない取り決めを交わしていたが、選手が忘れる程に、熱くなっていたということだ。      「なぁ、アレ、ここでやろうぜ」歩が圭吾にそう言って、火垂と海斗と3人で話しながらゴール前に走っていくと、3人が散った。日本でテレビ観戦しているリクが言う「ハサウェイ、よーく見とけよ、このセットプレー、パクるぞ」「分かった!」このやり取りだけで、後方に座っているヴェロニカはハンカチで目を押さえる。                      ボールを圭吾がセットして周囲を見回す。直接狙える距離でもある。海斗が壁の手前で一番圭吾に近い場所で、ブラジル選手と小競り合いをしている。火垂は壁の間中に味方選手も含めてゴチャゴチャと縺れあっている。歩は壁の逆側に陣取っている。一人歩にマークが付いている。蹴るのは右足しかない。それでも左で蹴ろうと右側から助走していくと、直前でトリッキーな動きをして強引に右足で振り抜いたボールはカーブが掛かってゴールから僅かに離れてゆく。ブラジル選手は一瞬、逆をとられてガクッとしている間に、歩が視界から居なくなっていた。ブラジルの選手達が気が付いた時には歩はボールの落下地点にいた。「ボレーが来るぞ!」そんなポルトガル語が飛び交っていた。歩の元にブラジル選手が一斉に詰めてゆく。歩が落ちてくるボールに合わせて、シュート体勢に入った。そこで僅かに一瞬動きを止めると、またブラジル選手がタイミングをズラされてガクッとした。日本人選手が一斉にゴール前に詰め寄ってゆく。「ノートラップシュートじゃないのか!」リクがテレビに向かって言った。日本人選手の何人かがジャンプしようとすると、ブラジル選手が慌てて日本選手の背中や袖のユニフォームを引っ張る。キックと同時に日本の選手が一斉に散って跳躍すると、ブラジル選手もジャンプする。しかし、ボールはその集団の塊の頭上を越えてゆく。フリーとなった圭吾がそこで跳躍していた。この映像を見ていた日本人の6割が、大声を上げていたのではないだろうか。実況のアナウンサーは絶叫していた「いっけー!」 圭吾は頭を振り抜き、ネットに突き刺さった。日本がブラジルを破った。マイアミの奇跡と7年前のマラカナンの逃げ切ったゲームの再現では無かった。ブラジルに大いに負け越している日本の3度めの勝利となる。しかも、初めてブラジルから主導権を握って勝った試合となった。歩は、笛が鳴った瞬間にグラウンドに突っ伏して泣いていた。セレソンが集まってきて、背中を擦られ、抱きしめられ、セレソンの10番とユニフォームを交換する。背番号は30番だが、日本の司令塔として歩が認められた瞬間でもあった。試合後のブラジルのメディアのインタビューで、ポルトガル語が分からずにスペイン語で言った。テレビを見ていたバレンシアの子供達には直ぐに分かった。「凄く楽しかったです。ブラジルの皆さん、決勝トーナメントで また戦いましょう」 ー                                 (つづく)              

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