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webライターになりたいかもしれない話



自分はもしかしたら、webライターになりたいのかもしれない・・・。


そう思った2024年の5月。場所は札幌、すすきの近くにあるとあるマンションの中。




この町に移住してきてから早くも1年が経つ。
早いものでもう1年だ。札幌に来ると決めた1年前のことは今でもよく覚えている。去年のゴールデンウイークが終わって、自分はすぐに長野県の野辺山にあったホテルの寮を退去したのだ。そして、選択の余地もほとんどないままに札幌に移住した。本当は数ある都道府県の中から次の行き先を吟味してみたかったのだが、自分の持ち金と時間がそれを許してはくれなかった。当時は長野の山奥でリゾートバイトを五ヶ月ほど続けていて、もうそろそろ派遣契約の終了が近づいている状況。その状況下で今の職場を延長するのか、または別の場所でリゾバを再開するのか、そんなことを悩んでいた時だった。退去日が迫る中、なんの因果か、札幌のマンスリーマンションが割と安値で借りられる情報を知った。自分は迷う余地もなくそこの一室を借りたのだった。


その時は、リゾバを続けるモチベーションもちょうど下がり気味だったようなタイミングで見つけた選択だった。札幌移住への道を選んだことは、こうして生活して1年が経った今も、ベストな選択だったのかどうか、判別がつかないものとなっている。自分は心のどこかで、新天地に行けば、とりあえずは自分の持ち続けているモヤモヤから解放されるものだと信じていたらしい。でも結局は、札幌も、長野も、その他数々の通り過ぎて行った街々も、自分を変えてくれはしなかった。自分を変えてくれることばかりを無意識に追求していて、自分が変わって行くための、自発的な行動から逃げていたようであったのだ。


自発的な行動、それは一体どういったものだろうか。自分の生活のどれが自発的で、どれが自発的ではないと言えるだろうか。今こうして文章を書いている自分は自発的だと胸をはって言える。食事をする自分、買い物に行く自分、日常生活のさまざまな自分が、自発的な選択の連続を繰り返して成り立っている。自発的な自分はとても居心地がよくて、解放的で、自由であるのだ。それは今になって気づいたことだ。親から口すっぱく言われてイヤイヤ始める勉強なんて、一ミリだって充実感を与えてくれない。口癖のように言われ続けた「部屋を片付けろ」の一言は、自分の心にある自発性を殺してしまう呪文のようなものである。自分はそうやって自発性をありとあらゆる場面で殺されかけながら生きてきた。自分だけでない、きっとこれを読んでいる人にだって、心当たりがあるはずだ。無理矢理やらされている自分に、心を殺されているような感覚。その反面、自分が望んでやり進んでいく、その行動に心が活性化されるような感覚が存在することもまたしかり。


そんな、自発性がひたすら萎んでいく中で、やりたいことなんて見つかるわけもない。学校では無理矢理レールの上を歩かされてきたのだ。それが社会人になったからといって、レールがいつの間にか消えていることにも気づくわけもない。人生は誰かに指図されて生きて行くものだと、誰かに背中を預けて、頭脳を預けて、その命令から逸脱しないように生きて行くものだという考え。そういった考えがとても根強く残っていたのだ。たとえいくら読書をしたって、どれだけ自由を謳う音楽に出会ったって、自分の生活とは無縁のものとしか捉えられなかった。それほどまでに自分は頑固な固定概念に苦しめられてきたのだ。





固定概念に苦しめられながら、札幌で1年を過ごした。札幌にある民泊の会社に雇われて細々と暮らした。せっかく長野の山奥から出てきたのに、また人に雇われるような形をとってしまったのだ。それは結果として自ら自発性を潰して、また苦しむ羽目に陥ってしまうものとなった。そしてまた性懲りもなく、過去を踏襲するかのように、どうして自分はこうも息苦しいのだろうか、何が自分を苦しめているのだろうかと、考える日々が続いてしまったのだ。


孤独に考える日々が1年間続いた。職場の民泊では誰かとコミュニケーションを取ることが全くと言っていいほどない。一人で黙々と作業をするのが基本だ。そして家に帰っても一人。頻繁に連絡を取り合う友達もいない。家族とも疎遠気味だ。それはそれは孤独な1年が続いたわけである。そしてその孤独は、自分を内省するきっかけを無理矢理にでも生み出していたことに、ようやく気づいた。そして自分は、誰かに身を預けているこの状況が、誰かに判断や責任を委ねているこの状況が、納得できないものだと思い悟ったのだった。


人から押し付けられていたことや、グループや組織で暗黙としてまかり通っていたことなどが、今までの自分を苦しめていた。そんな苦しめられている自分を、いないものだと黙認してきたのだ。しかし何も押し付けられる筋合いはないはずだろう。だって自分は、自分で動いて生きて行くことの素晴らしさを知っている。自分で読書をする、自分で住む場所を決められる。自分で会う人を決められる。そんな自発的な行動に囲まれた自分が、誰かに無理矢理動かされる必要なんてどこにあるのだと言えるだろうか?


自分から動いていきたい。それだけで人生を動かしていきたい。もう誰かの下に着くのは嫌だ。そんな心の声が聞こえるようであった。では今の自分から自発性を殺しているものはなんだろうか、そう考えた時に浮かんだのが、今の仕事であった。


民泊の仕事は接客もしなくていいし、ただ客室の清掃をメインに行なうだけだ。気楽なものである。ただ、自分の決めた動きではない。あくまで自分を雇ってくれた人が決めたレールに従っているだけだ。これは決して、自分が敷いたレールではない。そう気づいた時、これが自分を苦しめている原因だと悟った。自分は変わらなければならない。しかし同じように転職したって、また同じように窮屈を感じる。おそらくこれは「どんな仕事をするのか」が関係しているわけではない。「どんな形で仕事をするのか」に関係しているものだろう。


そう結論づけた自分の頭の中に、ふと「フリーランス」の単語がちらついた。今まで何度も聞いたことのある単語が、今更になってふと自分の人生において大きな意味をもたらしてくる予感を感じた。全部、全部自分でしてしまえばいいんだ。自分がどれだけ仕事をするかも、どれだけ休むかも、どれだけ税金を払って、どれだけ世の中の仕組みを知るかも。全部が自分次第、そんな形にしてしまえば、自分は自分から生きて行くことの自発性を取り戻すのではないかと信じている。


自分にインターネットのノウハウはない。ソフトウェアの知識もなんとなくでしか理解してない。できることといえば、こうしてカタカタとタイピングを鳴らすだけのものだ。webライターなんてなおさらわかったもんじゃない。けれど、その「わからない」の海に飛び込んでみることに、とりあえずは躊躇もなくて、それで自分は、ライティングをどれだけ勉強すればプロになれるか、とか、月収いくらもらえば満足か、とか、そんなことは横に置いておいて、今は純然たる興味の元に、やっていこうかと思う。



これからが楽しみで仕方ない。とりあえずは、noteで活躍されている先輩方の後を追ってみることにする。








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