性の起源と進化一行動生態学の視点から

 長谷川眞理子『生き物をめぐる4つの「なぜ」』(集英社新書)の第1章「雄と雌」には、⑴性の分化一性があることの至近要因、⑵性差の発達要因、⑶性があることの究極要因一性差はなぜあるのか?/性はそもそもなぜあるのか? ⑷性の起源と系統進化、について詳述している。

●性の分化と性ホルモン
 多くの生物では、性染色体がどんな組み合わせであるかによって、雄になるか雌になるかが決まる。哺乳類は全て、性染色体がXXという組み合わせならば雌、XYという組み合わせならば雄になる。
 雌に男性ホルモンであるテストステロンを大量に投与したり、雄に女性ホルモンであるエストロゲンを大量に投与すれば、多くの第二次性徴は変化する。後者を投与すれば、男性に豊かな乳房をつくることができ、女性に前者を投与して運動させれば、筋肉もりもりの体になる。
 精巣と卵巣、ペニスと膣は、胎児のときに作られてしまえば、大人になってからいくら性ホルモンを投与しても、これらを作り変えることはできない。しかし、これも、胎児の初期にまだ発生途上の段階で大量に投与すれば、卵巣になるところを精巣に、卵巣になるところを精巣にさせることはできる。
 つまり遺伝子は、その個体が雄であれ雌であれ、「雄ですよ」という最初のスイッチを入れるだけなのであり、あとはすべて、それ応じて分泌される性ホルモンが性差をつくっていくのである。性差のおおもとの原因は、胎児期に発現するY染色体の「性決定因子」であるSRY(sex-determining region Y)遺伝子があるかないか、そして、あとの原因はすべて性ホルモンの働きにあるといえる。
 2013年9月6日付のアメリカの科学誌「サイエンス」誌に掲載された共同研究(ウイルス研究所・理化学研究所・東大・阪大准教授・オ-ストラリアクイーンズランド大教授らの)によれば、マウスの性が決定する「性決定因子」の仕組みに関する新たな知見を発見したという。
 これまでどのような仕組みでヒトやマウスの「性決定因子」が発現するのかは大きな謎であったが、ヒストンというたんぱく質のメチル化修飾の除去化が「性決定因子」の発現における中心的な役割を果たしていることが明らかになったのである。
 
●性差の発達要因
 第一次性徴が生じる直接の原因は、SRY遺伝子の有無、第二次性徴が生じる直接の原因は、その後に分泌される性ホルモンの作用であることが明確になったが、その後、性差は個体の一生の間にどのように発達するのであろうか?
 両性ともに、生殖腺が分泌するテストステロンによって骨の成長が促され、思春期のスパートと呼ばれる、急激な成長の伸びが始まる。この時期を目安として、男子では声変わりや髭が生え、女子では乳房の発達や初潮が起こる。テストステロンはまた、両性におけるわき毛などの体毛の成長を促す。では精巣と卵巣の発達自体は何によって促されるのか?
 鍵となるのは、生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の働きで、これは脳の視床下部から下垂体を通して、生殖腺に働きかけるホルモンで、これが一定の間隔で規則的に放出されるようになると、生殖腺が発達し始める。性的に成熟する準備ができたかどうかは、社会環境や生殖環境にも左右されるので、このGnRHがいつ規則的に放出されるようになるのかは、一義的には決まらない。脳の下垂体がその時期を決め、GnRHを規則的に送り出し始めるようになると、生殖腺の成熟が起こる。

●性があることの究極要因
 性ホルモンなどによってもたらされる雄と雌の違い、性差そのものが一体なぜ存在するのであろうか?換言すれば、無性生殖ではなくて有性生殖があるのはなぜか、という究極要因についての疑問である。
  長谷川眞理子によれば、後からつくられた文化的社会的性差であるジェンダーを作り上げてきた人間社会の歴史が仮に1万年あったとしても、有性生殖の歴史はそれよりもずっと長く、30億年の歴史を背負っている。モンシロチョウ、カエル、ジュウシマツ、ゾウアザラシに至るまで、雄と雌に分かれた有性生殖生物には性差が見られるから、それらを、彼らが社会的に作り上げて各個体に押し付けている創作だということは不可能だ、と指摘する。
 ダーウィンによれば、雄と雌の違いが生じるには、次の2つの過程が働いている。第一は、配偶者の獲得をめぐる競争が、雄同士の間では非常に激しいけれども、雌同士の間ではそれほど激しくない、ということである。
 性差が生じる第二のプロセスは、雌による選り好みである。雌の獲得をめぐって雄同士が競争し、雌同士にはそんな競争がないのならば、雌が、より美しい羽、より鮮やかな色の雄を選り好みができるため、飾り羽やからだの色彩など、雄同士の闘いに使う武器でない形質は、このような雌の選り好みによって進化したのだとダーウィンは説明した。
 有性生殖は、毎世代、子供の遺伝子の組み合わせを変えることによって、次々と襲ってくる寄生者をかわすことができるという大きな利点がある。つまり、有性生殖は、無性生殖に比べて、親の世代に生じた遺伝子の傷を修復することができる、その上、次々とやってくる寄生者に対抗して身を守ることができる、という二点で決定的に有利であることが、有性生殖が進化した究極要因である。

●性の起源と系統進化
 最後に、雄と雌があるということは、生命の進化の歴史の中で、いつごろ、どんなところから生じてきたのであろうか?生命が地球上に出現したらしいことを示す最古の痕跡は、グリーンランドの岩の中に見られ、それは、およそ38億5000万年前のことである。
 地球そのものができたのは約45億年前なので、地球の表面が落ち着いてきてほどなく、生命が誕生したということである。有性生殖がどのような道筋を経て進化したのかを垣間見せてくれる面白い現象が、細菌の仲間が行う「接合」という互いの遺伝子の一部を交換する現象である。
 接合がなぜ性と密接な関係があるかと言えば、それは、無性生殖をして増えていく細菌たちであっても、こうやって時々は自分の遺伝子の組成を変えることを示しているからである。性の本質は遺伝子組み換えを行うことにあり、子の遺伝的な組成を親とは異なるのものにすることである。
 粘菌の仲間などでは、交配のタイプが600以上もあるものがあり、それぞれ、交配可能なタイプの相手とのみ遺伝子を交換する。つまり、雄と雌がなくても、個体同士が遺伝子の一部を交換し合うという現象が、「性そのものの始まり」といえる。
 単細胞の細菌類が互いに少しずつ自分の持っている遺伝子を交換し合うということと、2つの細胞が合体して遺伝子の量が2倍になった状態から、その遺伝子の量を半分にするという技術とが合わさって、有性生殖が生まれたのである。

●上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』
 上野千鶴子は『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)において、「国民国家をジェンダー化する試み」として、次のように指摘している。

<「ジェンダー」の発見は「家族」という「もうひとつの社会」を発見することを通じて、公的世界からの「聖なる保護区」としての「私領域」の神話を壊し、家族が国家や市場から少しも自律的でないことを明らかにした。…
わたしはかつて『家父長制と資本制』のなかで近代社会の公私の分離を「市場」と「家族」のあいだの分離と同義に捉え、「市場」と「家族」のあいだの二元的弁証法を分析すればこと足りる、と考えていた。マルクス主義フェミニズムの立場からは、市場は家族という「外部」の存在抜きには成り立たないことが論証されるが、市場の「外部」には、もう一つ、国家という非市場的な領域がある。…わたしは「近代」を「市場中心主義」的に捉えるマルクス理論を、その利点と欠点とともに継承していたといえよう。…近代の母性主義をめぐるフェミニズム研究が明らかにしたのは、「母性」もまた「近代」の発明品であり、母性主義は近代の産物…「慰安婦」問題が突きつける問いは、たんに戦争犯罪ではない。…「女」という位置は、「女性国民」という背理を示すことで国民国家の亀裂をあらわにするが、そのためには「女=平和主義者」という本質主義的な前提を受け入れる必要はない。「国民国家」も「女」もともに脱自然化・脱本質化すること一それが、国民国家をジェンダー化した上で、それらを脱構築するジェンダー史の到達点なのである。>

 後からつくられた「文化的社会的性差」を意味するジェンダーは、マルクス主義フェミニズム思想によって、「国民国家」も「女」も「脱自然化・脱本質化」すること、すなわち「国民国家のジェンダー化」を目指すジェンダー論へと発展しているが、そもそもジェンダーとは一体何か、について、「脱自然化・脱本質化」するのではなく、前述した行動生態学の科学的知見に立ち戻って、性や性差があることの「自然」の「本質」から根本的に見直す必要があろう。「母性」は「近代の発明品」ではない。

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