見出し画像

ポンコツなワイ、休職からの転職を目指すも精神ユラユラである

転職活動は精神的に「クる」

最近やたらと気持ちが落ち着かないです。

休職中の状態で転職活動を開始したことがキッカケです。精神的に安定していた時期での転職活動は相当きつかったのに、休職中の現状においてはかなりの重たさを感じざるを得ません。

なにより、活動を通して僕自身がポンコツになっている実感が若干のショックを招いているのだと思ってます。

数か月前からようやく人と交わることが出来るようになった自分。現状でも人と喋るのがつたなくて、頭の回転を回すのはさらに難しいです。

なんというか、人と喋ってるとフワフワしてて思考が追い付かないというか。考えながら喋ることができなくて、人の話を聞いてから一旦解釈して思考してようやく喋るという感じ。

人とはワンテンポ、ツーテンポ会話がずれます。

長らく休職してしまった影響なのか、それとも別のことが原因なのか?ちょっとわかってないです。少なくとも現状の自分がこれです。

前はあっちゃこっちゃバラバラの会話をつなぎながらパラレルに仕事をしていたような気がします。今はコンビニで買い物してもお金を出したりお釣りをもらうのに拙い会話になるぐらいです。

どんな優秀な方でも精神的な病気を一度体験するとポンコツになってしまう人がいると、どなたかの日記でも読んだことがあります。僕は元から優秀でもなんでもないのですが、前よりポンコツが極まってきた感はあります。

僕は十分オッサンなので、転職においては選択肢が限られてます。ITの世界にずっと身を投じてきたものの、そこまで目立つ職務経歴書を書けるわけではありません。保有している資格をいくつか書けるぐらいです。精神的にやられてるというハンデを負っているのでなおさら厳しい世界です。

前の僕なら、こんな僕を「甘えてるんじゃねえよ」と言って叱り飛ばします。しかしながら、今の僕はちょっとどうにもならなさそうです。

こういう状況下だと「転職は難しい、復職したほうがいいのではないか」みたいな葛藤ももちろんあります。ただ戻っても同じ部署での復帰が義務付けられていますし、自分のやれることはほぼほぼない現実がある以上、復職の道も厳しい道のりなのです…。



今までの人生が奇跡的だったような気がする

人は時に「失敗しても大丈夫」なんて言います。

それってやらかした人間に対しての励ましになるのかな?と僕は思います。誰だって失敗したくないし、僕みたいに大きな失点をすれば這い上がるのが難しい世の中です。こんな言葉を言えるのは最終的に上手くいった人間の戯言じゃねーのと感じるわけです。

実際こうしてはじかれてしまった人間側から見ると、どうにもできそうにない現状と誰も助けてくれそうにもない現実に暗澹たる気持ちにはなります。そりゃこれも甘えと言われればそうなんですけど…

こんなポンコツがよくもまあ今まで生きてきたもんだなと感じます。

学校にはなじめなかったし家庭内でも親と喧嘩ばかりでした。しかしグレる度胸はなくて自分がどうなりたいという強い気持ちもなく、ただただ流されて生きてきた人生です。

学校に馴染めず学校を辞めたいと言い喧嘩になり、社会人になったら仕事場に馴染めず(というか、人とのコミュニケーションが取れない)何度もやめようとしてました。それが何故かナアナアと続いてなんだかんだ何年も社会人やっていたのは何となく危うい奇跡の上になりたっていたようです。

それがひとつのきっかけで精神的に吹っ飛んでしまい、見事に僕の人生がひっくり返りました。やじろべえみたいに危なっかしいバランスをとっていた状況が、いよいよ前後左右にぶち抜いた瞬間です。

まあ、冷静に俯瞰して見ると、遅かれ早かれこういう状況が来るのは必然だったのかなぁと感じてます。今までが上手く行き過ぎただけで、いつかは壊れる人生だったんじゃないかと。ええ、悲しい人生です。

何だか自分の不幸自慢をしているばかりで、note書いてても情けないですねコレ。申し訳ないです。



この世に自分は必要ないと思う感覚

こういう状況の時にやって来る、いつもの感情があります。

「僕はこの世の誰にも必要ない存在だから死んだっていいんだ」という鬱ワードです。こいつに僕は何十年もやられてます。答えなんて出るはずもないやつでして、最悪の自分的バズワードです。

もうね。人ひとりが死んだってこの世には何の影響がないのは分かってんですよ。それは精神状況がまともだろうが、まともじゃなかろうが。それでも究極的に自分の生死を白か黒かで判断する愚策は、自分がさっさと居なくなりたいというある種の逃げに転じるための言い訳みたいなもんです。

この世に僕が必要なわけないじゃんって何度も念じて戦ってます。

僕は天才的な人材ではなく、支えなければならない家庭だってない。明日死んだって問題なしです。

けど、それが生死を決める要素ではなくてもいいんじゃない?と言い聞かしてます。世の中に求められてる人ってどれだけいるのと。そんなんで生死を決めてたら世の中回っていかないです。

死にたい、辛い、逃げたい。分かるよー、わかる。

僕が今そうだもん。答えなんて出ないんですよ。いいの、それで。それなら逃げてもよいって考えるんだ。そう、お前だお前、yazu、お前のことだ!!

…逃げる先があればなぁ…(どん詰まり)

なんつーか、こういうこと考える人って他にもいませんかね?こんな思考してる奴ら集めてみんなで仕事したいぐらいですわ(笑)僕含めてみんなヒステリック起こして仕事にならんのかもしれんけど。

社長になれるだけの頭脳と財力あればなーー!みんな救ってやる!と言えるんだけど。ITを使ったアンダーグラウンドなネタは一杯あるのに、表立ってできないのが辛い。これが社会的に認められる分野の頭がないのが僕の限界(笑)


逃げ場所を探して

生きるには金が必要です。残念ながら。バイトとかからやり直すのも仕方ないかなと思ってます。まだその度胸があるかと言われるとあれなんですが(だから転職活動というあがきをしている)

お金はあったほうがいいのは分かってます。現職は世の中の平均給与を見てもかなり良くて、捨てるのはもったいないと思う部分もあります。でもしょうがない、僕には無理。ルーチンワークで淡々とやる仕事でまずは社会復帰をするしかなさそうです。

生きがいとかは別途考えるとして、まずは自分の生きるリズムを取り戻さないと何にも先には進みそうにないです。

あー、自分という存在がいっちゃん面倒くさいなーと感じながら今日も不安と戦います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?