見出し画像

たかこになる理由

ごきげんよう、たかこです。
いま危うく「いとです」と書きそうになりましたが、たかこです。
今日をもって生後一週間のたかこです。
たかこです。ごきげんよう。


新しいアカウントになってから二つの記事を公開しました。

内容は、
ネット上ではなく現実、リアルで改名をすること、
そのために、今、どんなことをしているのか、これからしていくつもりか、
そんなようなことです。


確か最初の記事で、弁護士さんに相談した折り、
「何故、改名をしたいのか」をまっさきに聞かれた
と書きました。

何をおいてもそれを問われたということは、やはり改名を希望する理由は重要で、何でもいいわけではないのでしょう。

今日はその「理由」について語ろうと思います。


*


何故、改名をしたいのか、理由をお聞かせください。
弁護士さんのこのご質問に、私はだいたいこんなふうに答えました。


「昨年末、父親から首を絞められるなどの暴行を受けた。
警察に通報し、事件化に至った。

私は障害者手帳を所持しており、福祉の援助を受けている関係もあって、医師と市役所の指導のもと引っ越しをすることになった。

転居先は父親にいっさい知らせていない。
警察の助言を受けて区役所で戸籍の閲覧制限を掛け、家族には新住所を知られないようにしている。
転居先の警察も前の管轄と情報を共有し、いくつか助言を頂いている。
たとえば電話番号を変更していないが、当然ながら着信拒否を設定している。にも関わらず何らかの手段でコンタクトを取ってきた場合は即座に通報するよう指導を受けている。
もちろん新居への無許可の訪問(突撃)や、近所で見かけたなどの些細な事態でも迷わず通報してほしいとのこと。

客観的に見ても再犯の可能性があり、父を危険視する必要があるのだと認識している。
父とはもはや加害者と被害者の関係であるとも認識している。

私の名前はその父によってつけられたもので、感情面で言えば非常に不快である。
また、戸籍ロックをしているとはいえ、名前を頼りに探されたら見つかってしまう可能性は否定できない。
私は父から逃げきりたいので、あらゆる手段を絶ち、安全を確保したい。
そのためにも名前を公的、かつ正式に変えたい」


弁護士さんはひしきり聞いてくださった後で、年齢と現在の名前を尋ねてきました。
それにも答えた結果が以下。


「あなたのケースではすぐに改名することは、判例を見てもほぼ不可能。
まず通称名をつけて名乗り、少なくとも三年ほど実績を作る必要がある。
時間はかかるが改名できないわけではないので、地道に努力していくしかない。

今、弁護士ができることはこのアドバイスぐらいしかない。

あとは弊所のサイトに改名についての情報をまとめてあるので、それを参考に動いてほしい」


すぐに改名できるとは思っていなかったので、まったく問題なしというか、逆にすぐにでも改名できますよ!と言われたら躊躇したかもしれません。
だから落胆することなどありませんでした。むしろ良い情報を多く得られたので良かった。
ただ、一応、気になることをいくつか質問をしてみました。


「すぐに改名できないのは、理由が感情論に拠っているからですか?」
「そうですね。改名の根拠としては弱いと言えます」
「年齢も関係ありますか?」
「あります」
「障害者であることは?」
「関係ありません」


これでこの時点で知りたいことはほぼそろいました。

その後、その弁護士事務所のサイトを改めて閲覧して情報量を増やし、他にもいくつか検索をしてわからないことを解決して、「まずは通称名」というところに戻ってきました。

これが現状です。


*


何故、改名をしたいのか。
できる範囲で極めて簡潔に答えるならば、
「私は私の首を絞めた人間がつけた名前を名乗りたくない」
これがいちばん伝わりやすいと思います。

けれど心情としてはもっと複雑で、自分でもまだすべて消化しきれていません。


ちょっと誤解のないように書いておきたいのですが、私は家族と縁を切りたいとまでは考えていません。
だいたい縁なんて切ろうと思って切れるものでもないし。

転居してから役所で新たに福祉の援助を申請する際、担当職員からも聴かれました。
「家族は縁を切りますか」と。
私はそれに、
「縁を切ると言うと一生のことなので無責任なことは言えない、ただし五年ほど確実に距離を取りたい、連絡を絶ちたい」
と答えました。
すると「何故、五年なのですか」と、また質問があったので、

「もともと問題の発生源であった家族からの更なるトラブルやストレスがない状態で精神科での治療に改めて専念し、心身のメンテナンスに努め、適切な指導のもと適切な職に就き、安定した経済状態を確立し、福祉の援助も最小限、できればゼロでも問題ないレベルに至って社会的として自立するまで、今から五年くらいの時間が必要だと考えています。
五年後、父親は八十歳です。介護が必要になるだろうと推測します。
同居している兄は現時点で二十年以上のひきこもりですので父に対応できるとは思えません。
恐らく行政が父の介護について私に連絡をしてくると思われますが、その時に冷静な判断をできるようになっていたい。
そうなれるまで五年はかかると目算しています」

こう答え、了承を得ました。

公的福祉援助の申請時、できれば家族の援助を得られればそれに越したことはないため、福祉職員が家族に連絡を取り支援を促すことが一般的です。
ただ今回は事件があったという事情を踏まえ、同時に上記の私の意志を尊重し、家族への確認は省略してくれたそうです。これはお役所にしてはなかなか柔軟な対応だと思います。
(転居前の福祉担当がちょっとアレだったのはやっぱりアレだったんだなあ)


また話が逸れました。
まあ、こうやって逸れまくるくらいに父親については思うところがありすぎるということでご容赦頂ければ。


改名の検討は今回がはじめてではない、とも既に書きました。
実際は十代から、おとなになったら改名したいと思っていたのです。
自分の名前が嫌だったし、家族に居場所がないと感じていたし、自分が自分でない感覚がずっとありました。

(これが離人感というもので、私の病気の中核にあることを知ったのは二十代になってきちんと定期的な通院を始めてからです。
記憶の限りでは五歳からずっと離人感がありました。
たとえば周囲のできごとがすべてテレビの中のように見えていたので、母親も毎日べつの役者さんが演じているふうに見えていました。昨日はニコニコしていた母が今日は怒り狂っているのは役者さんが違うからそれぞれの個性なのかなとか。
頭ではちゃんと母親は母親だと理解しているのですが、実感はまったく伴っていなかったし、今でもそうです。
私が異常なほど記憶力が良く、かなり細部までまるまる憶えすぎてしまっているのも、この離人感と関係があるものと推測されています。なんというか、日常っていちいち覚えてないし覚えてられないんだけど、映画やマンガやゲームなら記憶しやすいってないですか。
私は五歳からずっと途切れずそんな感じです。
これがふつうだと思っていたけど小学三年ごろに他の子はそうじゃないとうすうす察してからが苦悩のはじまりでした。
言語化できるようになっても周囲に打ち明けることはできなかった。理解を得られることだとは思えませんでした。ある時期までは)

自分が自分でない感じはやはり違和感が強く、つらい時は本当につらいから、自分のために自分で名前をつけることで何となく解消したりもしていました。
幸い幼少期からマンガを描いていたのでペンネームをつけ、子どもであることを利用し「ペンネームで呼んでね!」と無邪気を装って言うこともできました。

それと同じことを今やっているわけですね。人生、退屈しなさすぎますね。

思えばマンガ家になりたい、作家になりたい、というのは、実際に創作が好きだったからではありますが、「デビューしたら社会的に筆名で通るから」と、改名願望がちょっとかたちを変えた何かの産物であったのかもしれません。


実際のところ、名前を変えても何かが変わるとは思っていません。
自動的には何も変わらないという意味です。

何故、改名をしたいのか。
これはつまり、改名をすることによってどうなりたいのか、と、かなり具体的な話でもあります。


改名のために動くことを通して、今後、いろいろなことが起こるでしょう。恐らく。
それを受けて私がどう変わるのか、はたまた変わらない部分はどこか。
見ものです。


*


四月四日に通称名を告知し、改名に踏み出すと決めたのですが、この日付にも意味がありました。

二〇二一年の復活祭は四月四日でした。
私は一九九九年の四月四日の復活祭にカトリックの洗礼を受け、ベルナデッタの霊名(洗礼名)を頂いています。当時二十二歳。

復活祭は移動祝祭日で毎年ちがう日になるので、一九九九年以降、四月四日が復活祭にあたるのは、確か今回で二度目だったかと思います。
(調べたら前回は二〇一〇年の四月四日が復活祭でした)

親の宗教である創価学会から離れ改宗することはやはり十代から考えていて、親の庇護下にあるうちは甘んじ、成人するまで堪えることに決めていました。それが嫌なら成人を待たず家を出るしかありません。
途中でイギリスに留学し、イギリスが第二の故郷となってからは、イギリスでは成人は二十一歳という習慣に倣って二十一歳まで待つことにしました。
二十一歳になり教会に通いはじめ、一年間、神父さまのもとで勉強をし、二十二歳で受洗。

もちろん洗礼名は私にとって大きな意味がありました。
今となっては教会にはほぼ通っていないし、洗礼名を名乗る機会もネタ以外では持てないのですが、それでも自分には自分の望んだ名前がある(洗礼名は希望を出せたので)、自分の選んだものがある、このことは、私にとって確かな支えになってきました。

タイミングよく今年の復活祭が二十二歳のあの日と同じ四月四日。
ならその日に改名をはじめようと思ったのです。


ふりかえると、私は生まれたときに親からもらったものを、二つ、捨てています。
一つは宗教。ひとつは名前です。
結果や過程はどうあれ、父親も母親も、そのときは私にとって良いものを与えようとしたのだろうと思います。
でも私が成長するにつれて、どちらも自分のものとして受け入れられず、なじむことすらできませんでした。

こういうことを書くと「何でも親のせいにする」と言われがちなのですが、その通りです。
でもそんなの私だって嫌だから行動をするのです。

不満があるなら解決すればいい。

創価学会が嫌なら自分で選べばいい。
選べるんだから。そのためについてまわる面倒は自己責任。
名前が嫌なら自分で変えればいい。
変えられるんだから。それにかかる時間や手続きはせっかくだから楽しめ。生涯で一回きりだろうし。


そして既に改宗をした私が言えること。
私はきっと改名をできなくても満足をする。
これは間違いありません。
うまく言えないから下手に言います。私はそういう人間なんです。


また、父の介護について、先にちょっと書きました。その補足をしておきます。
弁護士さんには、父から逃げきりたいと言いました。これは事実です。
あくまで、自分の意志がそうであるうちは、という意味です。

父の介護をするかしないか、冷静に考えた結果、すると決めたら逃げることをやめます。両立できないので。
でも「連れ戻される」という意識を持つなら、介護をすべきではないでしょう。逃げ続ける方がいい。

ともかく、仮に介護をするとして、父に再会したとします。
そのとき私の改名が叶っていたとします。
父親がそれで激昂したとします。
じゃ、さよならです。

首を絞めた後の五年間、あなたは何をしていたのですかという話です。
首を絞められてからの五年間、私は引っ越しをして、新たな環境で治療に集中し、改名のために動き、より良い人生を築き、選択に選択を重ねて介護についても自分で選択をした(理想的な予定)。

それが父の気に入らないなら、ではご縁はここまでと最終的な選択をし、颯爽と立ち去ります。
それくらい強くなっていたいのです。せめて五年後には。

介護なんてきれいごとじゃないんだから、ましてやこの関係性でやると決めるのは相当な覚悟のはずです。
それを理解できないのは年のせいではなく、父の質です。五年間、父がそれに何の手も打たなかったなら知ったこっちゃないです。

改名しても「ああそう」で済ませ、私のことはヘルパーさんぐらいに捉えて「たかこさんメシくれ」ぐらいなら何の問題もありません。
むしろ改善されています。五年間、父も何かしらしていたのだろうと察せます。

これはあくまで何の根拠もない空想の話なので、五年後、どうなっているかは未知数ですね。
介護をしない選択肢を、間違っても忘れないでおきたいものです。


*


改名の理由についてだけ簡潔に書くはずが、ずいぶん長くなりました。
けれど、どれも理由につながることです。

結局「感情的に受け付けない」の一言でまとまるのでしょう。

改名をした友人がいる、とも既に書きましたが、彼女のケースは私とちょっと似ていました(親との確執)。
彼女は確か二年ぐらいで改名が通ったと記憶しています。
キラキラネームでも珍名でも難読でもありませんでしたが、彼女は当時、十代でした。四十代の私よりは改名しやすかったかもしれません。

調べた範囲では、改名しやすい年代は圧倒的に十代だそうです。
もちろん十代だから理由は何でも良いということはなく、ただ単に「変えたいから」では変えられません。
改名には相応の理由が必要で、理由によってやり方も時間も変わってきます。
実績を作っていざ家裁へ、となった段階でも、弁護士さんがついているか否かでもまた違ってくるようです。
円滑に進めたいなら弁護士さんをつける方が良いらしいので、改名貯金もしておきます。


ですが、既に書いたとおり、案外と通称名が浸透しただけで充分と思えたらそれで良しとするかもしれません。
三年の間に何が起こるかなんて、わかりません。
もしかしてパートナーができて、本名のほうが好きって言ってくれたら、どうかな。それでは私の意志は変わらない気がする。どちらかというと「黙れよ」って感じだな。
まあ、まだ通称名になって一週間ですので、あまり先ざきを想定しないようにします。

でも一週間でも結構いろいろ再登録できたりしているので、やろうと思えばやれることって多いなと感じている次第です。

来週の予定。
通院があるのでカウンセラーさんからの呼び方を変えてもらうとか、受診券の名義を変えてもらえるかを相談してみます。
ボランティア総会で時間を設けて頂けたので他のメンバーさんへのご説明と名簿上での私の名を「たかこ」に改名のお願いもします。
あとは郵便局の再登録です。これをしておかないと「たかこ」宛ての郵便物が届きません。マイナンバーカードと印鑑を持って郵便局の窓口で申請してきます。
来週はそれぐらいできれば上出来でしょう。


*


何にせよ「理由」って結構あとからついてくる。
と思っていたりするので、明確にするのはなかなか難しいのですが、伝わりやすい理由を持っておくほうが便利かもしれません。
たまに自分の中で考えて、定期的に整理してみたいと思います。改名の理由。

と言いつつ、いまだに「なんでカトリックになったの?」と聞かれても、「なんででしょうねえ」としか答えられない。
ほんと、なんででしょうねえ。
はっきりした理由がなくても洗礼は受けられるからねえ。
言っちゃえば洗礼を受けられなくても信仰は持てるからねえ。
そんなもんじゃないの。
と思っています。
そういえば『理由』っていう本があったっけ。と調べてみたら宮部みゆきさん。ちょっと読んでみよう。
宮部みゆきさんといえば、神戸児童連続殺傷事件のルポについて「わからなくていい」と書いていたのが印象的だったな。「どうしてあんなことになったかなんてわからなくていい」って、なかなか言えないよなあ。「なんで人を殺しちゃいけないの」と聞かれたら、理由なんてわからなくていい、理由なんかないから、と答えたい。
そういうかたちの「理由」もある、というところで、これ以上、脱線しないうちに筆を置きます。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?