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できる、できないは別にして理想の教育制度を語ろう7

*昨日の続きです。

*magenta-hikari様のコメントの続き

世界の文化多様化をも理解できる国に日本がなれば、
素晴らしいだろうなあと思います。

*小鳥遊 樹のコメントの続き

「世界の文化の多様化をも理解できる国に日本がなる」ためには、
日本国内の多様化と重なるのですが、
自分がマイノリティになる勇気を持つことですね。

サイレントマジョリティの歌詞の解説みたいになってしまって恐縮ですが、
若者は“自分たちには自由に生きる権利がある”のだと、
気がつかずに大きくなってしまう。

ゴールだと思って一生懸命走っていった先に、
自由や喜びや幸せや充実感が何もない違和感に愕然とするのです。
それでも敷かれたレールから飛び降りる事はできない。
それは失敗を経験していないからです。

必死になって努力して得たものが、
欲しいものでなかったことに気がついても手放す勇気は持てないのです。
何もなくなったらどうなるか分からないから怖いですよね。
結果「ルールを説くけどその目は死んでいる」人生になってしまいます。

それほどに日本は親の愛情という名の庇護が強い国です。
親御さん自身も「これはこういうものだ」と言われながら育っていますから。
総中流化してしまったことの弊害でもあるのですが、
出る杭や尖った才能の芽は異常なまでに叩かれます。

これがいじめやいじめられにつながっている事を、
冷静に認識することから始めなくてはなりません。

日本で今一番必要なのは、
全員と仲良くして友達をたくさん作る能力ではありません。
大人も子どもも自我を追求して、
突出した他の個性を認め共存し、
冒険と失敗を応援・容認する空気なのです。
これは意識の問題で、お金はかかりません。

けれど、世の中全体の空気が、
“冒険なんかしていたら元に戻れないよ”とか、
“失敗しないように頑張らなくちゃ”になってしまっているのです。
その価値観でいるから、
誰かが何かで失敗をすると見せしめのようにして、
攻撃し制裁を加えようとしてしまいます。

人が立ち直れないほど叩いちゃダメなんです。
言霊って飛んでいきますから、本人がいないところでも言ってはいけない。
気持ちが追い詰められるのです。
起きてしまった事件や事故は、冷静に法の裁きに委ねる。
法に関わらないようなことは当事者たちの問題で他人には関係ない。

自分の人生を一生懸命に生きている人は他人を気にしないですよね。
気にしている暇がないのです。
だから関係の無い人様を叩くことは、
自分の人生を生きていない人の鬱憤の発散でもあります。
人は誰も人を裁けるほど偉くはないと全員が分かる必要があります。

すなわち、
・自分の頭で考えて、一人で責任を持って行動する
・孤立すること(孤独であること)を恐れない
・自分を大好きで大切にできる
・やってみたい好きな事を、努力し苦労してやってみる
・本当にやりたくない事を手放す勇気を持つ
・勇気を持って挑戦や失敗を繰り返している

そのうえで世界と繋がるためには、
“マイノリティを経験するために守られた世界から飛び出すこと”
“思う通りにならない不自由さを経験してみること”だと思います。

親の情の厚さが庇護に働くと子どもの成長を奪ってしまいます。
“そんな危険なことはやめなさい”
“そんなこと無理、あなたに出来るはずがない”と、
子どもに言わないで欲しいのです。

心に降りてくる様々な冒険を経験してこそ、世界と繋がる事ができる。
それを応援する世の中の空気が必要です。
“失敗したの?
そっかぁ、またひとつ経験値をゲットできたね。
それってすごい事なんだよ。応援しているからね”と、言ってあげて下さい。

日本人の特徴である
“自分の無さ”や“集団に埋没する違和感の無さ”が良い意味で働けば、
祭り事や流行にどっと流れるという事にあります。
安全で楽しいものに対してマジョリティ化するのが上手です。
それは決して悪いことではないと思います。
みんなで盛り上げて協力し達成感を共有する。

だから異文化や宗教を取り入れることに抵抗がなく、
お正月、節分、バレンタインデー、ひな祭り、ホワイトデー、
イースター、ゴールデンウィーク、子どもの日、音楽フェス、
ファイヤーフェスティバル、ハロウィン、クリスマスといった具合に、
一年中お祭り気分で盛り上がれます。
四季折々の花見や祭り、初物や解禁日などの一番乗りも大好きですね。

もともと器用で真似ることが上手ですから、
海外の映画や音楽、料理や芸術などのムーヴメントもすんなり取り入れて、
独自の文化に昇華することも得意です。
その才能が世界中の美味しい料理や文化を日本で再現することに、
一役買っているのです。

ただ、それぞれの人生を確立しなければならないシーンにおいても
無意味なマジョリティーを維持させようと思ってしまうから、
マイノリティーを排除してしまう。
これは日本人の特徴が悪い意味で働いてしまっています。


すなわち
・人と同じ時期に同じ速度で理解が出来ない子は能力が低い
・人と違う性質の子は仲間外れになっても仕方がない
・親の理想に向かって努力出来ない子はダメな子
・学校で扱われている教科の点の高い子が偉い子
・人と違う見た目の子はいじめても構わない
・何に対しても一生懸命で努力する事が人として立派
・みんなが問われている問いに対して同じ態度や答えを出す事が重要

これらの間違った認識を改善できるのは、家庭での親の愛なのです。
「大丈夫、あなたはあなたのままで素晴らしい」と言ってあげて欲しい。
愛されている子は、穏やかで人を愛し守ろうとします。

理想に向かって伸びきったゴムを無理やり引っ張られている子は、
常にイライラし他人も攻撃します。
だから家庭での愛が世界平和に繋がるのですね。

島国であり鎖国があった歴史を持つ日本は、
いい意味では価値観が統一されていて安全で、
悪い意味では画一的で閉鎖的です。

今後インターネットなどで全世界の様々な文化の多様性を予習し、
実地で冒険に行って、
人と繋がれる世界を目指す人が増えることを願って止みません。

寿命が長くなり、子育てが終わって還暦近くからでも冒険は十分可能です。
娘が巣立つ時に私に言いました。
「世界中どこどこまでも、好きなところに行って冒険してきて」と。
来年は初めて語学留学する予定でいます。
慣れてきたら世界中を旅しようと思っています。
そのために一生懸命働くことは私の喜びです。

私も娘に言っています。
「自由に生きてください。それだけが願いです。」と。

長い文章を読んで下さってありがとうございます。

今日もおかげ様🙏

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