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学校教員の皆さんとインクルーシブについて考えた

昨日は岩手の学校教員の皆さんと一緒に、インクルーシブ教育について考えました。岩手県教職員組合、岩手県高校教職員組合の合同学習会にて。

「インクルーシブ教育」?
一般にはまだなじみの薄い言葉かもしれません。心身の障害など多様な特性を持つ生徒たちが、隔てられることなく同じ場で学ぶことを促進する教育のあり方。そうした多様性の理解を促す教育。
生徒の特性を理由にした不公平が生じないよう、適切で柔軟な対応を講じること(合理的配慮)が求められます。

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学習会会場の岩手教育会館

午前中はるんびにい美術館アトリエで活動する小林覚さんとの「であい授業」のデモンストレーション。知的障害と自閉症スペクトラムの当事者である覚さんが講師を務める、出前授業です。

県内各地から集まった教員の皆さんに、授業を実際に見ていただきました。(詳しくは後ほどであい授業プロジェクトのFBページで報告したいと思います。)

 
午後は板垣の講演。
であい授業がたどってきたプロセスや、伝えたい人間観について。

人は100点で生まれてくる。死ぬまで、それは増えも減りもしない。人を育むこともインクルーシブも、それを信じることからすべて始まる。

人を育む役目の根幹は、自己肯定感を守ってやること。自己肯定感は土。土を奪われては、どんな樹も深く根を張り青々と繁ることは出来ない。

であい授業は、
子どもたちに理解することを押し付けない。我々が届けたものを、持ち帰るかどうかは子どもたちに委ねたい。

目指すのは、子どもたちに理解してもらうことではなく、理解が子どもたちの喜びになること。昨日までは知らなかったことを知った今日の自分を、嬉しく思えるように。

ところで、
インクルーシブ、合理的配慮を学校で進めようとする際につきまとう困難さは、根本的にどこから生じているのか。

それは人間社会が歴史上いまだ本気で取り組んだことの無かった問題に着手したから。何万年も続いてきた「切り捨て止む無し」への暗黙の容認を、ついに国家を挙げて廃絶することに着手したから。その未知の大転換の最初の数年に、私たちは立ち会っている。

学校が担うのはその巨大な作業の一角。簡単なはずはない。でもアリの群れが山を切り崩すように、砂粒を一つずつ運び出し続ける先に必ず山の向こうの景色が見え始める。
そして盤上のオセロを一枚ずつ白に裏返すように、新たな景色を求めない人は減り、求める人は増え続ける。

最後に、
「相手を信じるとはどういうことか」「表現するとは何か」「インクルーシブを進めるにあたり、具体的に何を次の一手と考えるか」など、様々な切り口からの質疑があり濃厚な会となりました。


以上は講演でお話しした内容の断片ですが、一つ一つのキーワードについて、いずれあらためて掘り下げて書きたいものもあります。


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