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#2-1 STPにサヨナラを_前編(UX戦略の教科書)

第1章では、デジタル社会が到来したことでUX戦略を策定する必要性が高まっていることを説明した。しかし、いざUX戦略を策定〜実行するプロジェクトを進めると、ほとんどのケースでプロジェクトメンバーや経営層から戸惑いの声があがる。なぜならUX戦略を策定・実行するためには、これまで経営戦略やマーケティング戦略などの世界で常識とされてきたナレッジや方法論を脱学習する必要があるからである。

だが、ビジネス書などを通じて経営戦略やマーケティング戦略のナレッジ・方法論を熱心に勉強してきた人や過去の成功体験がある人にとって、これまでの常識を脱学習して新たな考え方に移行することは極めて難しい。例えばコトラーが書籍で解説している伝統的なナレッジ・方法論を「時代遅れの考え方」としてバッサリと切り捨てるのは容易なことではない。

このような状況を放置すると、優れたUX戦略を策定できたとしても、社内の理解が得られずプロジェクトが停滞してしまうことになる。特に経営層・意思決定者が昔ながらの常識・考え方に縛られていると、UX戦略の有用性をうまく理解してもらえず、プロジェクトがお蔵入りしてしまう場合もある。

そこで本章では、経営戦略やマーケティング、ブランディングに関する伝統的なナレッジや方法論を、デジタル社会の到来に合わせてどのようにアップデートする必要があるのかを明らかにする。時代遅れのナレッジや方法論がUX戦略の策定~実行を阻んでいるメカニズムを解明しつつ、それをどのようにアップデートすべきかを提示することを目指す。

まず本節(2-1)では、事業戦略を策定する際の伝統的な方法論である「STP」を取り上げる。デジタル社会が到来したことでSTPのフレームワークが時代遅れになっていることを提示しつつ、方法論をどのようにアップデートするべきかを明らかにすることを目指す。


伝統的な事業戦略の検討枠組み(=STPフレームワーク)

まずは、これまで事業戦略をどのような枠組みで検討していたのかについて説明する。これまでは「STP」というフレームワークを用いて検討されるのが一般的であった。

STPとは、セグメンテーション(市場の細分化)、ターゲティング(ターゲット顧客の決定・探求)、ポジショニング(自社の立ち位置、提供価値の決定)という3つの英単語の頭文字をとったものである。マーケティング論で有名なフィリップ・コトラー教授が提唱したフレームワークであり、世の中に広く普及している概念である。

検討プロセスの全体像としては、図表-1のような流れとなる。

(図表-1)STPの思想・枠組みに基づく検討プロセスの全体像

まず、自社が提供している「機能」あるいは「プロダクト・サービス」に基づいて市場ドメインを定める。自動車メーカーであれば「移動支援の市場」や「自動車市場」といった形でドメインを定義・設定する。(=市場ドメインの定義)

次に、その市場がどのような顧客セグメントによって構成されているかを明らかにしたうえで、各セグメントの顧客像(ペルソナ)を探求することで、顧客が求めているもの / 潜在ニーズを明らかにしていく。そして、自社の強みを踏まえたときに、どの顧客セグメントを狙うべきかを検討する。(=セグメントの定義~ターゲット顧客の設定)

そして、そのターゲット顧客に対して自社はどのような価値を提供するのかを明らかにする。最近の言葉でいうならば、バリュー・プロポジションを明らかにする、ということだ。(=ポジション設定)

このようなSTPの思想・枠組みに基づく思考過程を通じて、自社は「誰に、どのような価値を提供するのか」を抽象的なレベルで明らかにした上で、プロダクト・サービスの機能要件を具体化したり、プロモーション戦略を検討していく…というのが、伝統的な事業戦略の検討プロセスとなる。いわゆる「4P」と呼ばれる枠組みに基づく検討プロセスへ移行する、ということだ。

やや抽象的な説明になってしまったので、STPの思想・枠組みに基づく事業戦略の検討プロセスを具体的に提示するために、事例を用いて説明しよう。

具体例1) 自動車メーカーによる事業戦略の検討プロセス
例えば自動車メーカーの場合だと、自社の市場ドメインの捉え方としては、「自動車市場」あるいは「移動支援の市場」という定義になる。今回は仮に、自動車市場を市場ドメインとして設定したとして先に進む。(=市場ドメインの定義)

次にセグメンテーションでは、自動車市場における顧客を「価格重視 or スペック重視」や「居住性・世界観重視 or 走る喜び重視」などといった軸で区別 / 細分化して考えていく。顧客をセグメントする軸の取り方は様々なパターンが考えられるが、仮にこれらの2つの軸で区分 / 細分化すると決めたとして先に進む。(=セグメントの定義)

そして、例えば「走る喜び重視」×「コスト重視」のセグメントにいる顧客をターゲットとして定めて、その顧客のことを深く知ることで、ターゲット顧客が本当に求めているものを明らかにしていく。そうすると、そのセグメントに属する顧客は「本当は走る喜びを味わいたいけど、家族を説得するのに苦戦している。家族は経済状況を優先する一方で自動車には走行性能に興味がないため、価格が安く燃費の安いコンパクトカーを選ばざるを得ない」といった状況に置かれていることが分かってくる。(=ターゲット顧客の設定)

このような顧客インサイトを踏まえつつ、自社の強みとの整合性をとって、例えば「価格が安いのに、本格的な走る喜びを感じられる車」などといったバリュー・プロポジションを設定するのである。(=ポジションの設定)

かなり簡略化しているが、STPフレームワークに基づく事業戦略の検討は、このような流れで進んでいく(図表-2)

(図表-2)STPの思想・枠組みに基づくアウトプット事例_自動車メーカー編


具体例2) クレジットカード会社による事業戦略の検討プロセス
もう1つ具体例を説明しておこう。次はクレジットカード会社を例に挙げる。市場ドメインの捉え方としては、「クレジットカード市場」あるいは「決済支援の市場」という定義になる。今回は仮に、決済支援の市場を市場ドメインとして設定したとして先に進もう。(=市場ドメインの定義)

次にセグメンテーションでは、決済支援市場における顧客を「節約志向派 or 今を生きる派」や「高所得者層 or 低所得者層」などの軸で区別して考えていく。(=セグメントの定義)

そして、例えば「今を生きる派」×「低所得者層」のセグメントにいる顧客をターゲットとして定めて、その顧客のことを深く知ることで、ターゲット顧客が本当に求めているものを明らかにしていく。そうすると、そのセグメントに属する顧客は「欲しいモノ、やりたいことがたくさんあり、節約するより今しかできないことをやりたいと思っている。ただクレジットカードを契約すると使いすぎてしまい、リボ地獄に陥るのが怖い」といった状況に置かれていることが分かってくる。(=ターゲット顧客の設定)

このような顧客インサイトを踏まえつつ、自社の強みとの整合性をとって、例えば「使いすぎることができないクレジットカード」などといったバリュー・プロポジションを設定するのである。(=ポジションの設定)

こちらもかなり簡略化しているが、STPフレームワークに基づく事業戦略の検討は、おおよそこのようなフローで進んでいく(図表-3)

(図表-3)STPの思想・枠組みに基づくアウトプット事例_クレジットカード会社編

以上のように、これまでは「機能」あるいは「プロダクト・サービス」を起点としてターゲットとする市場ドメインを定めてから、その市場に存在している人間を細分化することでターゲット顧客像を詳しく設定し、顧客ニーズと自社の強みを両天秤にかけながらポジショニングを設定するアプローチを採用してきたのだ。これが教科書的な方法論・プロセスとなっている。

このように整理すると、STPの思想・枠組みは2つの特徴を有していることが分かる。1つ目の特徴は、自社がターゲットとする市場を「機能(あるいはプロダクト・サービス)」×「人間の属性」の2変数で定めようとすること。2つ目の特徴は、ターゲット顧客を深く理解することを通じて潜在ニーズ(=顧客が本当に求めているもの)を明らかにするプロセスを、自社の提供価値 / ポジショニングを設定するために重要視していることにある。

「STPという枠組みは知らなかったけど、STPの思想に基づいて物事を考えていた」という人も多いのではないだろうか。STPの思想はビジネスパーソンに広く浸透しており、我々の思考プロセスに(無意識のうちに)強く根を張っているのだ。

STPが時代遅れになっている理由

ここまで、伝統的な戦略策定のプロセスであるSTPの思想・枠組みについて説明してきた。しかし、STPに基づく戦略検討プロセスには大きな問題点がある。誤解を恐れずにいえば、STPの思想・枠組みは「時代遅れの考え方」になっている。STPがいまだに事業戦略を考える上での常識となっており、多くのビジネスパーソンに信じられていることが、企業を停滞させる原因の1つとなっているのだ。

なぜならSTPの思想・枠組みを前提とした瞬間に、戦略検討の起点が「機能(あるいはプロダクト・サービス)」になってしまうからである。その結果、企業は機能(あるいはプロダクト・サービス)の呪縛から逃れられなくなり、ライフスタイル提供型のビジネスモデルに転換することが難しくなってしまうのだ。

例えば、自動車メーカーがSTPに基づいて事業戦略を検討するとしよう。そうすると、検討初期の段階で「移動支援の市場(あるいは自動車市場)における顧客をどのようにセグメントし、どのようにターゲットを捉えるか」を検討することになる。そして、ターゲット顧客のニーズを満たすためには、「どのような移動ツール(あるいは自動車)を提供するべきか」を明らかにすることが議論のゴールとなる。つまり、STPの枠組みを前提とした瞬間に、いつの間にか「移動ツールとしての進化の方向性を定めること」が解くべきお題に据えられてしまうということだ。

その結果、自動車メーカーは移動支援サービスの枠内でしか進化することができなくなり、その外部へと事業ドメインを広げていく発想を持てなくなってしまう。ターゲットとする市場ドメインを拡張して、「我々はどのようなライフスタイルを提供する存在になるのか」を明らかにしようという議論に、たどり着けなくなってしまうのである。例えば、自動車というプロダクト起点の検討からは「自動車で遊びに行く際のお出かけ計画を作成する」という顧客行動を支援するデジタルサービスを開発しよう、という発想はなかなか生まれてこない。顧客は「お出かけプランを考えたり調整するのが面倒」という痛み・ペインポイントを抱えていて、それが「自動車を通じてお出かけを楽しむ」という顧客の成功を妨げていたとしても、自動車メーカーが「お出かけの計画立案を支援するデジタルサービスを設計しよう」という発想にはなかなか至らなくなってしまうのだ。(図表-4)

(図表-4)STPが時代遅れになっている理由

デジタル社会の到来にともなう外部環境の変化に企業が対応するためには、ライフスタイル提供型の価値提供モデルに転換する必要がある。しかし、STPの思想・枠組みを前提とした瞬間に、戦略検討の起点が「機能(あるいはプロダクト・サービス)」になってしまうため、その道は途絶えてしまうのだ。これが、STPが時代遅れになっていると主張する理由である。

STPに固執することによる悪影響

次に、いまだに多くのビジネスパーソンがSTPの思想・枠組みを(暗黙のうちに)前提としていることが、UX戦略の策定~実行にどのような悪影響を与えているのかを説明する。

まず第一に、STPを前提としたまま事業戦略を立案・策定しようとすると、そこから導出されるソリューションアイデアが小さくまとまったものになってしまう。

例えばクレジットカード会社であれば、クレジットカードに付随するスマホアプリに「使い過ぎアラート機能」を搭載して、カード使用額があらかじめ設定された金額に到達するとアラート通知が届くようにすれば良いのでは、といった施策が立案されることになる。このようなデジタルサービスを設計することで「使いすぎないクレジットカード」というバリュー・プロポジションを強固に確立できると意味づける。そうすることで「我が社はデジタルを戦略的に活用している」と捉えようとする。これがよくあるパターンだ。

ここで挙げたようなデジタルチャネルを活用した取り組みは、決して意味が無いわけではない。確かに、既存のプロダクト・サービスの体験価値を(ある程度は)拡張することに成功している。これを「OMO(online merges with offline)」と呼んで、素晴らしい取り組みとして祭り上げることもできる。しかしこのような取り組みを実行するだけでは、「クレジットカード」「決済ツール」という既存の事業ドメインの枠内に縛られたままであり、外部へ広がる視点を持てていないため、企業としての競争力を飛躍的に高めることはできない。その結果、行動フロー横断的に顧客の成功を支援し、魅力的なライフスタイルを提供する競合企業(Pay Payなど)の後塵を拝することになるのである。これではゆるやかな衰退は避けられない。

第二に、企業の経営層・意思決定層がSTPを前提としていると、せっかくUX戦略を立案・策定しても彼らとの議論がかみ合わなくなり、プロジェクトがお蔵入りすることがある。事業戦略を評価・レビューしてGo / No Goを判断する経営層がSTPを前提としていると、UX戦略の実行にストップがかかってしまうのだ。

STPを(暗黙のうちに)前提としている人がUX戦略の枠組みに基づいて策定されたアウトプットをみると、「どのセグメントの、誰がターゲット顧客なのかが曖昧だ」「顧客ニーズの深掘り / インサイトが足りない」という反応になることが多い。事業戦略のお作法を無視しているように見えてしまう。無意識のうちにSTPの枠組みが強固に信じられているが故に、UX戦略のプレゼンテーションをすると、経営層と議論がかみ合わなくなってしまうのだ。筆者の経験だと「異なる言語で会話が交わされているのではないか」と思うくらい会話がかみ合わなくなることがある。これは筆者自身の力不足も多分にあると思う。ただ、せっかくUX戦略を策定しても、STPの思想・枠組みを強固に信じている経営層と議論がうまくかみ合わず、プロジェクトが頓挫してしまうケースはよくあるのだ。

ここまで説明してきたように、STPの思想・枠組みとサヨナラできずに暗黙の前提に置いてしまっていることが、優れた事業戦略の立案~実行を阻害しており、企業を機能不全に陥らせている原因の1つとなっている。ここから我々が進化するためには、STPの呪いを解かねばならない。事業戦略を立案するチームも、それを評価・レビューしてGo / No Goを判断する経営層・意思決定層も、STPの枠組み・思想を脱学習して新たな枠組みをインストールする必要があるのだ。

では、我々はSTPの枠組みをどのようにアップデートする必要があるのか。それが次節のテーマとなる。

まとめと次回予告

本記事では、これまでの事業戦略の策定プロセス(STP)の概要を提示したうえで、それが時代遅れになっている理由を解説した。また、STPの枠組み・思想にサヨナラすることができず、いまだに暗黙の前提に置いてしまっていることがUX戦略の策定~実行を阻害しており、企業の競争力向上を阻害していることを説明した。

では、我々は事業戦略の検討枠組みをどのようにアップデートすれば良いのだろうか。次回の記事では、デジタル社会の到来にあわせて、STPの思想・枠組みをどのようにアップデートするべきかを明らかにすることを目指す。

隔週くらいの頻度で火曜日に投稿する予定である。更新情報はTwitter(@takashikoshiro)でお知らせするので、必要に応じてフォローしてもらえると嬉しい。

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