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トランスクリエイターという古くて新しい仕事

「ご職業は?」
「トランスクリエイターです」 
「は?」

 数年前までは聞き返されるのがオチでした。(なのでコピーライターですと答えるようにしていた)

 最近は「ああ、あの」と言ってくれる人もいます。

意外と古い言葉なんですよ

 英語と日本語の橋渡しが必要な現場で、クリエイティブな言葉の使い手として40年働いてきました。

 Transcreation = 翻訳translation創造creation

 近頃よく耳にする単語ですが新しい概念ではありません。創造的な言葉の橋渡しに携わる人は昔から日本に大勢いました。私もその1人。

 ふだんの仕事は主に2つです。

 [依頼主]日本企業
 [案件]日本語による広告宣伝
 [役割]コピーライター

 [依頼主]日本市場へ参入したい海外企業
 [案件]日本語による広告宣伝
 [役割]トランスクリエイター

 トランスクリエイターはどんな仕事か。翻訳やコピーライティングと何が違うのか。経験をもとに説明してみます。

見えているものが違います

 トランスクリエーションは1990年代に広告業界で使われはじめた用語。Wikipediaはこう説明しています。

‥‥メッセージの意図、スタイル、トーンや文脈を維持しながら、ある言語から別の言語にメッセージを適応させるプロセスを指す。

 うーん。
 ちょっとわかりづらいですね。

 ゆるめの意訳みたいなもの?
 翻訳をもっとおしゃれにした感じ?

 いいえ。トランスクリエーションの現場はもっと生々しく、シビアでダイナミックです。

 翻訳者とトランスクリエイターは何が違うか。

 一言でいうと視線の先にあるものが違います。

 翻訳者は《言葉》を見つめる職人。
 2つの言語と真摯に向き合いながら架け橋を作る仕事です。

 翻訳家や通訳の友人が何人かいます。まじめで好奇心旺盛で、言葉が好き。楽しそうに働く姿に刺激され、私も翻訳者をめざした時期がありました。

 一方、トランスクリエイター(以下トラクリ)が見つめるのは《人》。
 言葉を発する《人》と耳を傾ける《人》を優しく橋渡しするのがトラクリさんたちの仕事です。

あなたならどう訳す?

 作業の流れを比べてみましょう。
 仮想案件をひとつ作って説明します。

英国のデザイナー、トム・エッカズリーが1950年代に手がけた郵便貯金のポスター。

依頼主はゆうちょ銀行。「このレトロなポスターを使って郵便貯金の加入を促進したい。英文フレーズ《for growing needs...》を日本語にしてもらえますか」
‥‥さて、あなたならどうします?

 まずはふつうに翻訳を。
 AI翻訳で、さくっと。

 ニーズの高まり。何の? 
 絵を見れば一目瞭然ですね。

 産着の赤ちゃんの頭に野球帽と大学卒業式の角帽。高まるニーズは子育ての出費です。子供が社会へ巣立つまで何年も続くので、今から貯金しておくと安心ですよとポスターは伝えています。

  for growing needs...

 3語の英文フレーズをどんな日本語にしましょうか。

  子供が成長するほどに
  ますますお金が必要だから‥‥
 (郵便貯金を始めませんか?)

 意味はそうですが、ちと長い。
 圧縮してすっきり言いたい。

 たとえばこんな感じ。

 入り用ってレトロな響きですよね。
 絵柄に合う言葉だと思いませんか。

 先々。便利な日本語です。遠い未来を意味しますが、その一方で「行く先々」のように複数の立ち寄りポイントも感じさせます。成長の節目節目で必要になる出費を想起させ、帽子を重ねた絵とも響き合います。

 もっとうまい翻訳を思いついた人いますか。よかったらコメント欄にどうぞ。翻訳のプロではないので審査はできませんが、感想なら喜んで。

トラクリさんなら
たぶんこう言う

 ここで選手交代。
 トラクリさんの出番です。

「えっ、この翻訳で良いのでは?」
 いえいえ、大事なのはここからです。

 トラクリさんはきっと当惑顔で、開口一番こう言います。
「全国の郵便局に貼り出すんですよね‥‥。この文言、今の日本に合うかな」

 トラクリさんの言い分をまとめました:

「結婚したら子供を産み育てるのが当たり前。それは20世紀の話。今の日本は1人育てるのだって大変です。何かと入り用だなんて言われたら若いご夫婦はため息ついてしまいますよ」

 ではどうするか。

「原文《for growing needs...》のGROWにご注目ください。増え続ける出費だけでなく、子供の成長もにおわせています。エッカズリーの絵の世界観を生かしつつ未来への希望を感じさせたい」

「さじ加減を変えませんか。出費イメージは控えめに、子供と共に歩む喜びを前面に出すんです」

 たとえば、こんな風に。

「未来」。明るい語感です。
「将来」は親目線。子供自身の目に広がる「未来」と言いたい。

「すくすく」は子育ての喜び。
「こつこつ」は貯まってゆく楽しみ。
 やわらかなオノマトペは絵柄にも合います。



 ‥‥とまぁ、こんな感じです。

 翻訳とトラクリの違い、何となくわかってもらえましたか。

 「売りたい人」と「買いたい人」の距離を言葉の力で縮めてゆくのがコピーライターの仕事。その案件が2言語間ならトランスクリエイターの仕事。彼らは言葉だけでなく、ビジュアル要素がもつ言語化されない言葉にも十分に耳を傾け、デザイナーと共に最適解を見出してゆきます。

 トラクリさんの最終案はこうなりました。

Tom Eckersley

 3つの要素をこねこねしながら仕上げていったコピーです。
  ●英文コピー《for growing needs...》
  ●トム・エッカズリーのイラスト
  ●今の日本の空気感

 そしてもうひとつ、日本語ならではのチェックポイント。

 漢字とかなをどう使い分けるか。

 翻訳者は文脈で判断します。
 コピーライターとトランスクリエイターはさらに演出効果としても用います。

 思い浮かべてみてください。

郵便局に親子連れがやってきます。覚えたてのひらがなを見つけては音読したがる子供。ポスターを見て「お・お・き・く」と声を上げはじめました。親御さんもポスターをしみじみ眺めながら、この子がいつか漢字も読み書きできる未来へ思いを馳せています‥‥

 仮想ドラマの情景を織り交ぜながら、トラクリさんは依頼主へのプレゼンテーションをしめくくります。

「親子で読む街角の絵本のような効果を、このポスターに持たせても面白いかもしれませんね」

どんな人がトラクリに
向いているか

 バイリンガルな皆さん。
 あなたなら翻訳家とトランスクリエイター、どちらに食指が動きますか。

 翻訳家は言葉の修行僧のような人たち。日々鍛錬を怠りません。
 一方、トラクリは売りたい人と買いたい人の仲をとりもつ稼業。人と人を結びつけるのが好きなキューピッド気質の人に合いそうです。

 もっといろいろお話ししたいのでマガジンを始めることにしました。よかったらフォローをお願いします。



 最後に宿題をひとつ。

トム・エッカズリーのギネスビールのポスター(1957年)

 《after work》をあなたならどうトラクリしますか。よかったらコメント欄に残してくださいね。

 私のコピーは‥‥

 次回、モザイクをはずしてお見せします。
 答え合わせ? いえいえ。私の案が一番良いとはかぎりません。
 一緒に考えていけたら楽しそう。

 ではでは。


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