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なぜ、フィンランドのサウナは「いつまでも」日本で広まらないのか

「日本は、サウナにテレビがあるのがとてもユニークだったよ」

日本のサウナで最も印象に残った点を聞いてみると、このように答えるフィンランド人は多く、先月に来日した方もそのように答えた。温浴施設の数が世界有数と言われる日本、ブームで日本のサウナが盛り上がっても、本場の人々にとって新鮮なのは、サウナ室に「テレビ」があるという事実だった…

ぼくはフィンランド政府観光局公認のサウナアンバサダーとして、7年前からフィンランドと日本を行き来している。コロナを挟んで、近頃は毎月のようにフィンランド人が来日しており、日本のさまざまなスポットを案内する機会も増えてきた。そしてもちろん、日本のサウナ施設にもお連れする。

フィンランド人とともに、日本のサウナで汗を流す。彼らが注目するのは日本独自のサウナの特徴ではなく、なによりサウナ室にテレビがあることだった。対抗して、日本のサウナブームの盛り上がりを伝えても、それより日本最古の蒸し風呂や有名な温泉への行き方などを次々に質問されるばかりだ。

日本の施設では、ロウリュができるサウナ=本格的なフィンランド式サウナと呼ぶことも少なくない。しかしロウリュという行為が日本で本格的に広まったのは、たった数年前のこと。一方、フィンランドでは数百年以上のロウリュの歴史があり、サウナへの目の肥え方と向き合い方が根本的に異なる。

サウナにテレビがあることは一部を除き、強い提供価値があるように扱われていないのが、いまの日本のサウナブーム。しかし、フィンランド人は日本のサウナにはテレビがあることを少なからず価値に感じている。なぜ、こういったズレが生まれてしまうのか。もっというと、

なぜ、フィンランドのサウナは「いつまでも」日本で広まらないのか

フィンランド人がまるで自分事のように、日本のサウナについて語ることは実はきわめて少ない。それはつまり、日本の施設がフィンランド式と謡っても、フィンランド人が知っている「SAUNA」という提供価値には、似て非なるものになっているということ。その結果が、冒頭のテレビという回答だ。

日本が影響を受けたのは実は他の国からだった

ここで他の国の話題になってしまうが、実は日本のサウナはドイツから大いなる影響を受けてきた。このことを自覚できている日本人は、ぼくの経験則ではきわめて少ない。日本のサウナファンはこぞってフィンランドまでサウナ旅に訪れるが、何かしらズレを感じて帰国するのはこれが本当の理由だ。

かつて、日本にサウナが輸入された経緯は『日本サウナ史』に詳しく書かれているので読んでみてほしい。戦後、日本はたしかにフィンランドからサウナの文化を輸入してきた。しかし、1960年代、1970年代、1980年代… フィンランド式はどこかで影を潜め、ロウリュという行為を止めてしまった。

そして1988年。いわゆるバブルの時代に、その施設は誕生した。今はシャトレーゼ ガトーキングダム サッポロといわれる『札幌テルメ』。日本でドイツのアウフグース、熱波のサービスを最初期に始めた伝説の施設だ。この施設にぼくは足を運び、ドイツサウナと全く変わらぬその佇まいに驚愕した。

ドイツ・フランクフルトの郊外にある老舗のサウナスパ『タウナステルメ』。この施設を、そっくりそのまま日本に輸入しようと試みた日本企業が北海道にあったのだ。ぼくはこのタウナステルメも、ヨーロッパのトランジットで訪れているが、サウナ室も施設意匠も、何もかもがそのままだった。

施設を見比べると、どこか中華風の外観と内装、数あるプールとスパ、サウナ、そしてロゴデザインに至るまで、まさに「完コピ」と言ってよいだろう。この時期、ドイツから施工者が多数来日したという裏話も当時の常連さんからお話を伺った。この完コピ具合は日本とフィンランドの比ではない…

さらに、ドイツからインスパイアを受けた施設が日本各地に続々と生まれた。サウナファンならご存知、東京の『スパリゾート ラクーア』はドイツのシュトゥットガルトのスパが原点になっており、かつて北陸に大型スパがあったり、草津温泉にも大型スパが現存する。これら全てバブル時代の話だ。

だがバブルは崩壊し、大型スパが次々と閉鎖に追い込まれた1990年代。ドラマサ道にも登場した『秋山温泉』が札幌テルメの魂を受け継ぎ、本場ドイツのアウフグースを脈々と、2000年代まで続けている。他にも大阪の『ニュージャパン系列』『神戸サウナ&スパ』にもアウフグースサービスが続いた。

余談だが、かつて大阪にあった『ニュージャパン スパプラザ』、今も筆頭施設である『大東洋』『神戸サウナ&スパ』には、ドイツのサウナスパを彷彿とさせる浴室の作りや内装がところどころにみられる。それは、ドイツのサウナスパを巡り初めて気付いたので、機会があれば是非巡ってみてほしい。

2000年代の岩盤浴ブームから、2010年代の「ととのう」ブームに至るまで、ドイツから発したアウフグースの系譜を、文化を続けていった日本の熱波道。そして2020年代、ととのうブームとともに、日本各地の温浴施設にドイツアウフグースと日本の熱波が急拡大。そして舞台は、世界へと向かう。

世界各国が参加するアウフグースの世界大会。日本の精鋭たちが参加し、団体戦の部門で優勝を成し遂げたことは世界に衝撃を与えた。以下のnoteの後日談だが「日本はアウフグースがすごいよね」とヨーロッパ人からどれだけ話題にされたことか。そしてフィンランドでも、流れでその話題になった。

「アウフグース?ニッチなカルチャーだよね」「アウフグース?まったく興味ないしちゃんと受けたことがない」と思う日本のサウナファンは少なくないだろう。だがととのうブームの前は、アウフグースや熱波はロウリュサービスと呼ばれていた。ロウリュという言葉はフィンランド発であるにも関わらず、中身はドイツの伝統を提供し、そのズレが30年も日本で続いてきた。

フィンランドサウナアンバサダーとして活動してきたぼくが、そのように主張するのもはばかれるのだが、日本のサウナはドイツから影響を受け、独自の発展を遂げた国である。そしてそれを客観的に認識している日本人はきわめて少ない。まずはこの事実を認めないと、ズレの話は前に進まないのだ。

サウナの入り方が決まるのは「環境」が大きい

少しドイツと日本の話題を引っ張りすぎてしまったが、また論点を変えて話を続けたいと思う。コロナが明けても、サウナで黙浴を続ける日本のサウナの謎は、知人友人でもよく話題になることの一つだ。サウナでぺちゃくちゃ話すな、サウナでは静かに入りたい。日本ではこうした声もよく耳にする。

しかしアウフグースの回があるとサウナの前で行列し、自らこぞって密になることも。アウフグースが終わると一斉に拍手をし、アウフギーサーの推し活に至るまで、サウナに静寂を求めるのか、快楽もしくは交流を求めるのか、まるでバラバラな顔を見せる日本人の素顔。一体どれが本当なのか…?

https://www.asahi.com/and/article/20180115/148917/

ここでようやくフィンランドの話に戻るが、ぼくがフィンランドをはじめて訪れた時の様子を記事に残している。フィンランドのサウナ施設はまるで居酒屋のように騒がしい。もっというと、いつものようにサウナハットを被り、1人で大人しくしているとめちゃくちゃ浮く。というかフィンランド人に話しかけられる。これが日本であれば、思わず逃げ出す客もいるだろう。

フィンランドには、国民500万に対して300万のサウナがあるというのは有名な話だ。家庭環境にはサウナが当たり前のようにあり、何なら職場や学校にさえサウナがある。1人で静かにサウナに入る環境は、求めればいくらでもある。だからサウナ施設に求めているものが日本とは根本的に異なり、サウナ施設=コミュニケーションを図る場所であると彼らは認識している。

これは今でも衝撃的なのだが、日本のおひとり様サウナ、いわゆるソロサウナにフィンランド人を連れて行った時の驚きの表情が忘れられない。フィンランドではおよそ考えられない文化と様式だったのだろう。でも、これは前提が違っていて当たり前で、日本には家庭用サウナが極めて少ないからだ。

冒頭にも書いた通り、日本は世界有数の温浴施設の数がある。家庭にはバスタブがあるが、サウナ含めた入浴は外で行うことが当たり前のものとして定着している。それはかつて江戸時代から脈々と続く温泉や銭湯の文化から、浴槽を共有するものとして育ってきており、サウナは後付けの機能なのだ。

日本と同様に、ドイツもフィンランドほどにはサウナが家庭に普及しておらず、さらに公衆の巨大スパや温泉がある風土がある。逆にフィンランドには温泉がないため、日本とドイツはそういった点でも環境が近しいと認識している。唯一、ドイツは全裸混浴な点だけが日本やフィンランドとは異なる環境であるが、サウナの入り方が決まるのは国民性以上に「環境」が大きい

ぼくの個人的な体験では、日本人もフィンランド人もドイツ人も、似ているところは似ているし、似てないところは似ていない。しかしそれもその人それぞれの性格にも依存するし、どの国も全員がサウナ好きではない。なので国民性の違いで片付けるよりまず、環境の違いに着目すべきと考えている。

また、フィンランドの冬は生命の危険さえ感じる。太陽が昇らずほぼ真っ暗な一日、外で散歩をすることもできない日が毎日続く。そのような環境下でありつけるサウナの有難みは、他の国とは比べものにならない。日本でも、こうした点に着目すると豪雪地帯でのサウナの扱いが変わるかもしれない。

参考までに、同じヨーロッパでもフィンランドと北欧諸国、フィンランドとバルト三国、フィンランドとロシア、もちろんドイツでもサウナ体験は似て非なることが多い。これらは国民性だけでなく、宗教や政治、世界観にも依存していて複雑なものだ。なのでまずは環境から分解することを推奨する。

フィンランド人に刺さらないことがただ悔しい

ここまでいくつかの角度から、フィンランドのサウナが「いつまでも」日本で広まらない理由を分解してみた。それがそうなった要因というのは得てして、一つの要因というよりも複合的な要因が絡み合っていることの方が実は多い。日本のサウナも、複合的な文化や国から影響を受けて発展している。

この十数年、日本の事業者がフィンランドの文化を再現しようと多大な努力を払ってきたことは、もちろんぼくも知っている。しかしそれでも、このまま日本でブームと時間が経っても、フィンランド人が興味を示す事柄は「サウナにテレビがあること」から離れないであろうことが容易に想像できる。

本場フィンランドに迎合しなくてもよい、日本は自国のサウナのよさがあり、それだけで十分じゃないかという議論もこの7年でたくさん目にしてきた。フィンランドサウナアンバサダーという肩書きは抜きにして、ぼくも最終的には日本オリジナルのサウナ文化に育ってほしいと切実に願う。だが、それはさまざまな体験や知見を得た上でたどり着ける境地だと思っている。

もっとストレートな言い方をしよう。その必要があるのかどうかという是非もあるが、日本のサウナが盛り上がっていても、日本のサウナコンテンツの努力が、肝心のフィンランド人にはまったく刺さっていない。その事実が、ぼくはとても悔しい。

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