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世#04|人生のミッションについて考える時期

          「たかやん世界史ノート④」

 ガウタマ=シッダールタが、修業を始めたのは29歳、ジャイナ教の始祖のヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)が、出家したのは、30歳です。
 私は大学を卒業して、郷里の県庁に勤めました。アルコールは好きでしたし、先輩方と良く飲んでいました。
「30歳から何をやりたいのか。それを20代の内に、決めておけ」と、多くの先輩に言われました。それはつまり、県庁のさまざまな仕事の中で、何をテーマにしたいのかを、20代の7、8年を使って、決めておけと云う意味です。行政職ですから、希望通りの職種にはつけないかもしれませんが、テーマを決めておけば、どこかでそのテーマに絡むこともできるし、何より主体的に行動できると、言われました。つまり自分自身のオリジナリティを幾分なりとも発揮して、creativeな、いい仕事ができるのは、30歳以降だと云う裏の意味も、理解しました。
 田舎の県庁は、blackな職場ではありません。30歳以降は、ポジションも上がるし、責任も持たされますし、残業なども増えますが、自分がやりたいことをやっていれば、少々、仕事がきつくても、positiveに前向きに取り組めます。blackではなく、ぴかぴかのwhiteな職場でした。20代は、いろんな意味で、仕事も趣味もenjoyしました。有意義な時代でした。
 夏休みの宿題を、8月の終わりあたりになって、やっと手をつけるのと同じで、限りなく29歳になろうとしている28歳の終わりあたりから、30歳から何をやりたいのか考え始めました。自分に残された仕事人生の30年と云う塊(かたまり)が、28、9歳になると、生理的に感知できるようになります。何らかのミッションを果たさなければいけないと云う義務感も、外から押しつけられるわけではなく、自己の内部から湧き上がって来ます。フレッシュマンの時、諸先輩に言われたように、30歳から何をやりたいのか、真剣に考えてみました。人との出会いとか、ちょっとした事件もあったんですが、私がやりたいことは、県庁の行政職の仕事ではなく、学校の教師だと云う結論に達しました。29歳の7月、東京都の教員採用試験を世界史専攻で受験して、30歳の4月1日に教員になって、足立区の普通高校に赴任しました。
 自己紹介が書きたかったわけではなく、28、9歳の頃、誰しもが自己の人生のミッションについて、一度は真剣に考えると云う普遍的なことを、語っておきたかったんです。ガウタマ=シッダールタとかヴァルダマーナのようなbig nameに限らず、平凡な衆生であっても、心を澄ませて、アンテナを張って、自分自身のミッションを、自立(30歳)までに把握しておく必要があります。これをやらず、28、9歳の大切な時期を、わさわさ、ハクナマタタな状態で過ごしてしまうと、ややともすると、テーマのブレた人生になってしまったりします。40歳になって、ラーメン屋や蕎麦屋のおやじになるのでは、遅すぎます。ラーメン屋であれ、蕎麦屋であれ、エレキギターのリペア屋であれ、startは(遅くても)30歳からです。
 出家だって、タイムリミットは29歳です。29歳までに決心して、30歳で出家です。もっと早く修業の世界に入っても、無論、構いませんが、30歳以前に悟ると云うことは、あり得ません。ガウタマ=シッダールタは35歳、ヴァルダマーナは42歳、イエスは30歳ちょい、ムハンマドは40歳、これが世界の偉大な方々が、悟った年齢です。
 ところで、ソクラテス、ガウタマ=シッダールタ、孔子は、BC5C頃に活躍しているんです。20世紀の実存主義哲学者のヤスパースは、こういった偉大な思想家が活躍して、思考の枠組みを決定してしまった時代のことを、枢軸時代と呼んでいます。枢軸時代に、思想や精神の基礎が築かれたと、ヤスパースは主張しています。旧約聖書の編纂をしていたのもこの時代です。
 モーセの十戒については、古代オリエント史で、sakuっと、ほんの一瞬、学んだんだろうと推測しています。戒とは戒律のことです。宗教ですから、一人で修業することも、悟ることも、理論的には可能ですが、それができるのは、特別に選ばれた人だけです。神の啓示(Revelations)を聞くことができる人であれば、一人でも悟れます。が、アリストテレスが看破したように「人間は社会的動物」(本当はポリス的動物だと言ったんですが)です。普通の人が、一人で悟ること、救われることは不可能です。ですから、悟るため、救われるためには、コミュニティを形成する必要があります。コミュニティですから、人が集まっています。人が、集まっている時に、みんなが気持ち良くhappyに暮らして行くためには、きまりごとが必要です。戒律とは、コミュニティを円滑にrun(機能、運営)させるためのルールです。
 ガウタマ=シッダールタは、八正道を唱えています。が、八正道は、戒律ではありません。八正道は、悟るためのメソッドです。仏教徒のコミュニティのことを、サンガと言いますが、サンガのきまりごとは、結構いっぱいあります。が、まあ、超精選すると、5個です。不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふおんじゅ)の5つです。ちなみに、最初の4つは、モーセの十戒、ジャイナ教の五戒と、完全に被(かぶ)っています。モーセの十戒は、資料集のP15を見て下さい。ジャイナ教の5番目の戒律は、不飲酒ではなく、無所有です。
 ジャイナ教は、無所有が戒律ですから、修業は、裸形で行っていました。後に白衣をまとうグールプが出て来ます。白衣派です。裸形の方は、空衣派と呼ぶようになりました。ヨーロッパで、聖フランチェスコや聖ドミニコが、托鉢修道会を始めたのは、AD13Cです。インドでは、実にヨーロッパよりも1500年くらい前に、無所有を唱えていたんです。仏教も、基本は無所有です。さすがに服は着ていますが、本来、定住して住んだりはせず、遊行をするのが基本でした。
 三蔵は、経、律、論の3つです。律蔵は、つまりきまりごとです。経蔵は、つまり仏陀の教えです。その教えを、解り易く解説したのが、論蔵です。東晋の法顕は、律を学ぶために、天竺(インド)に行きました。グプタ朝のチャンドラグプタ2世(超日王)の時代です。玄奘が、インドに行ったのは、ハルシャ=ヴァルダナ(戒日王)が、北インドを治めていた頃です(ヴァルダナ朝)。は、玄奘は三蔵と言いますから、3つともエキスパートですが、インドから持ち帰ったサビは、無着(アサンガ)世親(ヴァスバンドゥ)兄弟が唱えた、唯識のコンセプトです。唯識は、つまり意識だけが存在すると言う、いわば認識論です。

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