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[note48]「問い」について考える

問いの力

「問う力」「質問力」といった言葉をよく耳にするようになった。学校現場でいえば、問題発見・問題解決の力が新たな学びのスキルとして求められているためだろう。自分自身も「問う力」って一体何だろう?どうすれば身に付けることができるんだろう?というのが、この1年間、考えてきたことの1つだ。本を読んだり、オンライン、対面の研究会やセミナーにも参加してみたが、未だに結論が出ていないのが現状だ。前回の[note47]で受験に留まらない学びという話を書いたが、授業を通じて、生徒達が「問う力」を身に付けることができたら、それは大きな意味があると思っている

ワークショップから学んだこと

クエストエデュケーションでお世話になっている「教育と探求社」が主催のワークショップに参加した。その中で特に印象に残っていることがある。
①問い体質になること②問いをもって過ごすことを日常化すること
これまでの「問い?」は教師が生徒に投げかけ、正解が設定されていることが多い。しかし、この先の社会では、自ら問いを立てることが求められる。なぜなら、これまでは正解とされてきたことが不明瞭で不確実になっているためだ。いわゆるVUCAと呼ばれる時代に直面している。だからこそ、私達にとって「問う力」は自分の学びや人生の軸を形成するためにも必要なものとなると感じている

問うことは楽しい…はず!

ワークショップでは楽しみながら自分の問いを考え、他者の問いと出会うといったアクティビティを行った。こうした活動を行うためには、自分が思ったこと、考えたことを何でも言うことができ、それを否定されることのない安心、安全な場作りが欠かせない。ワークショップに参加し、以下の書籍を思い出した。

問うことは人間の根源的な欲求であり、人生を彩りのあるものにしてくれる営みである。子どもにとって、問うこと、そして問いに応じてもらうことは限りなく大きな意味がある。

『子どもは40000回質問する』(イアン・レズリー/光文社)

子どもは本来、問うことが好きであるはずだが、いつしか正解主義に陥り、疑問を投げかけることをやめてしまう。むしろ、教育がやめさせてしまうと言った方が正確なのかもしれない。そこには入試を始め、様々な事情が複雑に絡み合うため、ここで因果関係を単純化することはできないが、「こんな質問したら…」という不安感を持ち、かつて抱いた素朴な疑問に対するワクワクを失ってしまっていることは現実であるように感じる。「問う」ことは本来、楽しく、新たな発見が自らの可能性を引き出してくれる力があることを、教師や子どもたち自身が感じられるように時を戻さなければならない。そうしたマインドない状態で教師が生徒に対し、「これからは問う力が大切だ!」と言えるものではないと思っている。だからこそ、「問う」ことは難しい!まずは、私たち自身が「問うこと」の楽しさを取り戻す必要があるのかもしれない。

余白の必要性

これは「問い」を含め、今の自分が抱えている課題の根底に存在するものと言える。生徒を含め、私達には余白がない。余白とは、「自ら考える余地」と言ってもいいかも知れない。イメージするなら、お弁当箱には予め入れるおかずとご飯が決まっていて、他の物を入れる余地がない状態(厳密には入れてはいけない状態)。そこでは、「どうしたら、美味しいお弁当になるか」「そうしたら、喜んでもらえるか」といった問いは生まれない。本来は空っぽのお弁当箱に何を入れようか考えて、彩りを工夫して、相手のことを想像しながら作ることは楽しい営みであるはずなのに、単なる作業になってしまう。(これは例え話なので定型のお弁当を否定している訳ではないので念のため!)かつて授業プリントの是非でも考えてみたが、教師が良かれと思って用意した教材が結果的に生徒に余白を与えず、生徒が自走できない原因の1つになっているように感じる。それは「問う力」を育む上でも重要な観点であるように思う。生徒にも教師にも余白が必要だ。

学びの土壌

探究学習が正式にカリキュラムに入り、その扱いに苦慮している学校も多いだろう。勤務校でも探究に関しては議論が止まっている状態だ。「探究学習をやって、進学実績は出るのか?」という問いが投げかけられるという話もしばしば耳にする。進路指導の統括としては進学実績を出すことは一つの重要な役割ではある。しかしながら、そもそも「探究(探究)」と進学実績を単純に結びつけることに無理があると思っている。探究(探求)的な学びも大学受験も同じカテゴリーで考える単純なものではないからだ。これは個人的な見解であるが、自走できる生徒は希望進路を実現することができる。この場合の進路とは大学受験かも知れないし、その先の人生の選択であるかもしれない。いわば、希望進路を実現するための土壌を作るのが探究(探求)的な学びの本質であるように思う。従って、どちらが大事か?ではなく、どちらも大事なのである。理想的に言えば土壌がしっかりしていれば進路実現のための学びと結果という成長と果実は生み出されると考えていきたい。そうした意味で今回のワークショップは有意義なものだったと感じている。
*教育と探求社は2023年6月からQuestionXという新たな学びのプログラムをリリースする。学びの土壌作りである「問う力」を育むためには、当然、相当の時間がかかる。問うことは「問いを立てなさい」と生徒に丸投げしてできるものではない。ある程度の足場架けやフレームは必要になると思っている。そうした意味では、生徒達の根源的な問う力を掘り起こすきっかけとなるプログラムになりそうだなと感じた。

「問い」についても様々なスキルや方法論がある。同じように今、「問い」と格闘している、「問い」について取り組んでいる、といった方がいたら、コメントをいただけたら幸いです。今回も長文、読んで下さった方、ありがとうございました!!


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