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住宅営業についてのメモ【3】|家を「売ること」のこれから

職場の先輩F主任とOさん。ベテラン住宅営業ふたりは、それぞれにお客さまの信頼を得て契約を獲ってくる「高い営業力」を持っています。でも、契約に至ったお客さまが実際に建てる住宅は、意匠的にも計画的にも構法的にも「ヒドイ提案」でした。

そんな「営業力」と「提案した住宅」のあいだにある深い溝について「住宅営業についてのメモ【1】」で書いてみました。

そして、前回、「住宅営業についてのメモ【2】」では、その深い溝が、実は「産業」「木造」「注文」「営業」の計4本でできている構造的な問題なのでは中廊下的なこともメモ書きしてみました。

大量生産・大量販売を目指して社会に登場した(そして社会もそれを強く求めた)「住宅産業」。プレハブ住宅を武器に、住宅を「商品」として扱うモデルを構築し、そのための分業化を進めた結果、生まれたのが「住宅営業」。

そんなプレハブ住宅の営業手法をマネたのが木造住宅、いわゆる在来工法を手がける住宅会社(木造住宅メーカーや工務店)。でも、彼等は同時にプレハブとの差別化のため「注文住宅」もウリにしました。

「プレハブ住宅の模倣=いいとこどり」と、「プレハブ住宅との差別化=注文住宅」というカップリングが「溝」を生んだ。もはや構造的な問題だなぁ、と思うとなんだか救いがない気がしてきます。

そこからの救いを指し示せるような知識もノウハウもないのですが、とりあえず、「これまでの住宅営業」について書いた前回までを踏まえつつ、「これからの住宅営業」についてメモしておきたいと思います。

「売ること」と「つくること」を切り離す

やはり、前回までに見てきたことを踏まえると、本来、「売ること」に特化した仕事であるはずの営業職が、住宅業界では「つくること」の範疇、しかも、提供する住宅のベースとなる「間取り」の作成にたずさわることに大きな問題があるのだと気づきます。

だったら解決策はカンタン。住宅営業から間取り作成業務を取り上げればよい。ところが、木造住宅メーカーや工務店の設計職にだって、その提案力にはいろいろある。それこそ一級はもちろん、二級建築士を持っていないこともあるし、持っていてもそれは提案力とは直接関係なかったりもする。

実際の業務はCADオペ&設計関連事務作業で、必要に応じて図面等に有資格者の印鑑をもらえばいい。というか、管理建築士とは「印鑑」のことだし。

そもそも、プランニングへ向けたお客さまからの要望ヒアリング段階に設計職が営業同行するのだって、それが難しいほどの業務量を背負っている場合も多々ある。

自らヒアリングしていない要望を、ヒアリングシートを元に営業が聞いてきた話を伝言ゲームのようにしてプランニングする設計職。それは専門知識がないのに雑学と慣れで間取りをつくる営業職と大差ない。

結局は、心ある設計事務所のように、設計者が顧客に寄り添いながら設計提案をするスタイルでないと、「営業力」と「住宅提案」の溝は埋められないわけですが、そもそも、そうした設計者に処理しきれない量の住宅建設が、戦後日本に生じたことが木造住宅メーカーの登場をお膳立てしたわけで、話は堂々巡りになってしまいます。

異業種併業型工務店

ところで、ハウスメーカーはともかく、工務店なんかでちょくちょく見かけるのが、異業種併業型の工務店。具体的にはカフェやレストラン「も」やってるデザイン工務店がみられるようになりました。

一昔前に「感性価値」なんて言葉が云々されましたが、異業種併業型工務店もまた、住宅というハコ単体ではなく一つの生活の場・世界観として提案していく姿勢が認められます。

会社によって異なりますが、たとえば某社では、週末やお昼時には、住宅営業が、事務所に併設するレストランの店員を兼ねたりします。つまりは、併業するのは業種だけじゃなくって職種も、ということ。

でも、それは人手不足の埋め合わせではない、という論理。注文をとったり料理を運んだりしながら、食から生活、そして住宅へと話題が広がっていくようなトークを繰り出す。住宅というハコ単体ではなく、生活全体や世界観を売るとなれば、営業職の守備範囲はどんどん広がっていくことになります。

思えば、随分前から、「営業マンはいい話しかしなくってウソっぽい」というイメージへの対策として、工事担当や現場の大工・職人が現場案内したり、説明したりすることが当たり前になっていました。ここでも「営業職」の範疇にあった業務は、他の職種へはみ出しています。

併業レストランでサービスする住宅営業。生活全般にわたるトータルな営業といえば聞こえはいいですが、職種が溶けていくこの状況は、住宅営業の職能が拡張されるというより、接客業へ特化させていく動きに思えます。

インターネット住宅販売

接客業への特化と見たときのもう一つの動きとして、インターネット住宅販売が思いつきます。ネットの情報を取捨選択すれば、営業マンの説明なんかより、よほどダイレクトかつ分かりやすく検討が進められる時代。

資金計画から要望ヒアリング、プレゼンテーション等々の各種検討・提案シミュレーション・システムが充実し、担当者の能力を問わず操作できる時代でもあります。もはや「ほけんの窓口」や携帯ショップと住宅営業はとても近い役割になっているのでは。

インターネット住宅販売が成立するためには、いくつかの条件(坪数や接道方向、特徴的な提案など)を選ぶことで、ベーシックな間取りが選ばれるネット上のプラン集があるほか、そもそも間取りや仕様を絞り込むことで低価格を実現していることによります。

ネット上で複数の選択肢から選んだり、問われた質問に回答したりすることで、住宅が提案される仕組みがあるわけです。とはいえ、ネット上で家づくりを済ませることを敬遠する傾向もあるのか、以前ほどインターネット住宅販売は話題にならなくなりました。

でも、それはインターネット住宅販売が消えつつあるというよりは、そのシステムとお客さまを生身の住宅営業が仲介するスタイルに近いのかも知れません。いってみれば、地下駐車場の出口ゲートに係員が立っているのと同じ。

住宅営業は、インターネット住宅販売的システムを背後に、手持ちのタブレットに沿って、お客さまに定められた質問をしていけば、規格型住宅を提案できる。それこそ、なんの技術も技能も、そして知識すら持たずとも、クロージングさえできれば済むことになります。

戦後、大手ハウスメーカーが進めてきた住宅建設の「無技能工化」は、住宅営業へも着実に浸透しています。

ブラック化との親和性

あと、従来型の住宅営業スタイルが、ブラック職場化と親和性が高いことも忘れてはいけないかと。

前回も少し書きましたが、住宅営業の営業スタイルは、個々のキャラクターに応じてさまざま。結果として「契約をとれること」が大事なわけですから、必然的に「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」という鄧小平スタンスに着地することになります。

この住宅営業(というか営業全般)が持つ「実績を上げる法則がない」という性格は、仕事のプロセスがブラックボックスになることと同義で、それゆえに極端な実績主義になります。技術職にあるような体系的知識が介在しないので、困ったことに「どうやったら売れるのか」を教育することができない。ゆえに、精神論に走らざるを得ません。

つまりは、実績が上がらない住宅営業は「教育による問題改善」ではなく「精神論による状況打破」を選ぶしかない。典型的な例が、高級外車をローンで買って背水の陣をひくことが営業実績に結びつくというもの。

「精神論による状況打破」という性質が根本にあるゆえ、精緻化された精神論=セミナー系講座・教材の商機も生まれ、さらには売れないことが全て担当者の内面の問題になる構図ゆえ、パワハラの温床にもなりかねない。

幸い、かつてのようなご主人さまの出社時・帰宅時にアポなし訪問を仕掛ける「夜討ち朝駆け」的熱血ゴリ押し型営業だとか、保険のおばさん的GNP(義理・人情・プレゼント)型営業が嫌がられるようになった上、働き方改革が言われるようになったので、ブラック度合いは薄まってきたかと思われます。

でも、それは同時に、ますます営業スキルの心理主義化が加速することも意味するように思えます。住宅営業は自己啓発との親和性がいよいよ高くなる。印鑑をつかせる「決断」に極度な集中を見せる「やりかた主義」は、建築の専門知識からますます遠ざけることになるでしょう。

このあたりにも、住宅営業がこのままではいけない理由が見出せます。

二極化する住宅営業?

そんな時代にあって住宅営業職は二極化していくように見えます。

一つはますます専門知識・技術を必要としないポジション、受注オペレーターとしての住宅営業。手続きに必要な情報はすべてタブレットが担保してくれます。住宅営業の無技能工化。

そのためにも、規格型住宅がもっと浸透しないといけないし、中途半端な「注文住宅」なんぞむしろ害であることを周知していかないとダメなのでしょうが、それはかのミサワホーム創業者・三澤千代治ですら苦労した道でもある。それほどまでに、日本人の家づくりに対する思い(込み)は強い。

もう一つは確たる専門知識・技術を持つポジションとしての技術営業(建築の雑学好きな営業では断じてない)。ジックリ丁寧に、そしてお客さまの主体的な家づくりへのかかわりを前提に提案を行う。それはもはや「営業職」である必要はなくって「技術職による営業業務」。

仮にこうした両極があったとしたら、その狭間にあるのが「注文住宅」かと思われます。専門知識を持たないお客さまがどこかの展示場や住宅情報誌で拾ってきた住情報をもとにした「注文=具体的・即物的な要望」を間取りへ反映させる「ご用聞きとしての住宅営業」。このモデルを駆逐したほうがいいのでは、というか、結果的に駆逐されつつあるのではと思えます。

「ご用聞き的営業」が不要となれども、今後の住宅産業においても「営業=決断するためのお膳立て」はますます必要となる。でも、それは「営業職」が必要になることとイコールではないのだということ。

そう考えると、これは住宅営業職が二極化するんじゃなくって、住宅営業「職」は無くなるというお話しか。

受注オペレーターを介した規格型住宅が確たる地位を得るためにも、一般庶民の家づくりモデルに「旦那の普請道楽」を置いた戦後日本の失敗を見直すことが大切。その絡まった糸をもうそろそろ解きほぐしていかないといけません。

松村秀一は「庶民の木造」という言葉でもって戦後の住宅を表現しています(松村秀一「「戦後」がもたらした住宅素材の大変貌」2006)。もともと、日本の都市部では7~8割が借家住まい。住環境的には不十分な長屋に住んでいました。これが戦後に農地解放の影響などで皆がそれぞれ持ち家を建てるという時代に急展開することに。

そのとき、なんとなく人々がモデルとした住宅が「立派な邸宅」。オンリーワンでオーダーメイドな家づくりを提案する建築家もまた、自らの職能や美意識に沿って、そうした庶民の幻想を下支えしたように思われます。

前述したように、住宅営業も次第に変わりつつあります。そんな時代だからこそ、あらためてこの糸のからまったあちらこちらを、ジックリ丁寧にほどいてみることが大事なのでは中廊下と思います。

「家にもいろいろある」という当たり前の事実を踏まえつつ、「いろいろな家」のそれぞれについて、譲れないところを明確にしていくことから始めようと思います。「いろいろ」がちゃんと「いろいろ」に見えるためには、お客さまと業者をマッチングさせる仕組みもますます大切になるでしょう。

住宅営業という仕事を離れて、もう十年以上の歳月が経ちました。ようやくあの頃のあんなことやこんなことが鈍い自分の頭でも少しずつ考えられるようになってきました。拙いながらも「住宅産業論ノート」を一つ一つ記していきます。

次回、最終回として、「契約時の満足」と「入居後の満足」に落差があまりないということ注目しつつ、自分自身の住宅営業ぶりを振り返って締めたいと思います。

(つづく)

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