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音をつむぐ②(活動履歴編2)

【20代前半~中頃】

前回の記事「音をつむぐ①」では、少年期~20代前半の頃の話をざっと書きました。

22歳で大学をなんとか卒業して、アルバイトをしながら音楽制作に明け暮れる日々。今から25年くらい前のことになりますが、当時、僕のようなシンガーソングライターは、レコード会社、出版会社のオーディションを雑誌やチラシなどで見つけて、テープやMDに曲を入れて資料を送っていました。
何十社もテープを送り続けますが、全く返信がないとさすがにめげてきます・・・。それでも、諦めずに作品を作り続けていたのが20代半ばです。
そんな中、JCMという音楽出版会社のディレクターから連絡がありました。

オーディションに通過して、ディレクターと会うことになり、東京の四ッ谷にあった「文化放送」のグループ会社であるJCMに行くことになります。当時、四ッ谷にあった建物で何度か打ち合わせをしました。ステンドグラスがあったり、随所に教会の雰囲気を漂わせていて、とても味わい深い建物でした。

【マキシシングルCDリリース】

そして、ついにJCM(ジャパンセントラルミュージック)の中でレーベルが立ち上がり、CD制作が開始されました。制作費もついて、プロの方たちとレコーディングを開始。CDが完成すると、文化放送ラジオにも出演することとなったり、少しずつ道が開け始めたのです。それが、1998年7月の夏のことです。その時26歳になっていました。

この時に聴いていたトッド・ラングレン、XTC、ポール・マッカートニー、邦楽ではオフコース、チューリップ等の影響を受けて、自分の思いの全てをかけて、サポートしてくれるミュージシャン、ディレクターと話し合いながら、楽曲の制作をしていきました。この時に作った1曲が【Mr.アインシュタイン】という楽曲です。

【厳しい言葉】

実はこの1年前に、テイチクレコードのプロデューサーから話があり、

「takemotoはシンガーソングライターとしては弱いから、自分で歌うのではなくて、メロディーならプロとして使えるかなーといった感じだな。それでも使えるかはわからないけど」

ということを言われました。厳しい言葉ですが、今思えば、有り難いことです。こういうことをはっきりと言ってくれる人は人生においては少ないかも知れません。このプロデューサーは、この話の後、実際に僕の曲をテレビのテーマソングに起用してくれることとなるのです。その話はまた後日。

JCMからリリースされたこのマキシシングルCDをきっかけとして、実際にソングライティング(作詞/作曲)の依頼もあり、音楽の仕事が舞い込んでくるきっかけともなりました。
楽曲提供というのは、全く考えてもしていなかったので、振り返れば、この頃(25歳~26歳)が大きな節目となったのだと思います。

■次回は楽曲提供やその頃の思いについて書きたいと思います。

【takeプロフィール】
千葉県在住。会社員。
ライフワークとして音楽活動を続けています

■takemoto akihitoのHP

最後まで読んで頂きありがとうございました。


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