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繋がりすぎない

人生を納得するように創り上げていくこと

人間が「自由」を獲得し、人生を納得するように創り上げていくことが、
人類にとっての自然な生き方なんじゃないのかと考えたりします。

でも・・・

人は生まれたばかりの頃は「未熟な子供」で、
様々な経験をして大人になり、30年、40年経って
少しずつ自分の人生の形や色が創られていきます
が、現代において、納得するところに辿りつける人はごくわずかなのではないでしょうか。

前提条件

成熟した社会というのは、
互いに「未熟なもの」として在ることを受け入れることが、必要な前提条件だと思うのですが、
現代の日本社会はこの前提条件があるとは言えません。

この前提条件を阻害する要因として、差別であったり、誹謗中傷であったり、同調圧力などがあります。互いの存在を承認し合うどころか、
生活の基盤、人権、自由を知らず知らず互いに奪いあっている状況です。

必要以上に繋がり過ぎないこと

ですから、人々が「人生を納得するように創り上げていくこと」をしていくには、このようなシステムの中に居ては、なかなか叶わないわけです。
自分はそんな世界には関わっていないと思っているかも知れませんが、残念ながら全ての人はこのシステムの中にいます。

ただ、現代にいる限り、生活しなくてはいけないですから、ある程度、このシステムと折り合いをつけて、生活できるだけの技能を身につけてやっていかなくてはなりません。

それをした上で、
「必要以上に繋がり過ぎないこと」
⇒徐々に世界を広げながら
「人生を納得するように造り上げていくこと」

そのためには・・・

一週間に1日くらいは普段の仕事や生活から離れて、スマホはおいて、静かに自分と対話し、創造的な時間をとることが大切なのかなと最近思っています。

それはわがままなことではないですし、
他人に対して失礼なことでもないと思います。
繋がらないことは未熟な自分を守る行為と言っていいかもしれません。

テクノロジーの進化によって、かなり多くの情報に触れることができ、様々な人との出会いが簡単にできるようになりました。

なので、今、多くの人に必要なことは
繋がりすぎないこと」
自分の成長に合わせて、少しずつ世界を広げていくという意識を持っておくことが必要なのかなと考えています。

成長を促してくれることで良いのは、
やはり先人たちが書いた良書と言われる
「本を読むこと」だと思います。

少しかたい文章でした。それでも読んでくれてありがとう。