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会社員だった頃の話

こんにちは!NY在住のまりなです。

『日本でのヨガの仕事と、アメリカでの起業についてnote書くぞ!』

と言いつつ、それらを書くにはまず、「会社員から何でヨガの先生に?なんでアメリカで起業するの?なんでそうなったの?」とよく聞かれるので、まずはこれまでの私のありのままを書こうと思います。

なんか、「起業」とか「独立目指す」とかっていうと、「すごい人」みたいなイメージがあるけど、私は全然もともとそういうタイプの人間じゃなくて

要は、よくいる平成元年アラサー女子なんです。。って話です。

【大手•安定•長く働ける】の三拍子で決めた就活

もともと秋田育ち秋田生まれの田舎っぺの私です。
秋田にいた頃から漠然と、『東京に出たい!』という憧れがあって、大学は親に無理を言って東京に出させてもらいました。
(親は悲しそうだったけど、いろいろ資金をやりくりして送り出してくれました。感謝すぎる)

そんなこんなで就活の時期。
まだまだ東京にいたいと思っていた私は
当時の感覚で

●東京で働けて(転勤はあんまりしたくない)
●大手=安定•安心(これで親も安心かなって)
●給料もそこそこ良い
●福利厚生よい
●育休産休もとりやすそう

そんな感じのふわっとした感覚で就活を始めていました。(こんな私がまさかその後、会社の人事になるとは全く思わず。苦笑)

そんなんで就活を進めていくうちに

★若いうちに営業やりたい
★いろんなことにチャレンジできそう
★製品じゃなくて『人』の魅力が重視される仕事がしたい
★なんか働いてる人たち楽しそう

とかとかプラスαの就職軸が湧いてきて、
運良く日系大手の金融会社に入社しました。

いわゆる典型的な平成元年生まれアラサー女子】
の就活理由だと思っています笑

(今は変わってきていると思うけど、当時の就活市場では『大手•安定•福利厚生』は、女子学生が重視するトップ項目だった)

やってみれば意外と楽しかった金融の仕事

正直、金融関係に興味は全くなく、やりがいとかよりも、【環境や条件優先】で入った会社ですが(というか、就活当時、今みたいに「●●が絶対やりたい!」ってものがなかった)やってみればやりがいも湧くし、責任感も楽しさも湧くものです。

最初の2年、営業してた頃は、汐留の電通担当だったので、毎日超個性的な人たちばかりとやりとり。アートディレクターやコピーライター、有名なCMクリエイターやバリバリの営業マンの方々に突撃で営業する日々でした。いろいろと大変なこともあったけど(いや、ほんと大変だったな)毎日飽きなかったし、単純に楽しかった。

この2年間の営業生活がなかったら、今の自分の「自分から動く」というスタンスは生まれてなかったと思う。

2年後、本部の人事部に異動になって、就活生の採用担当に。毎日セミナーやインターンで全国を飛び回って、就活生と膝を突き合わせる生活でした。

はじめは「こんな自分が就活生に何ができるんだろう?」と思ったりもしたけど、始めてみると『天職だな!』と思うくらい、超楽しかった。

学生と話すのが純粋に楽しかったし、学生たちの人生や未来について一緒に考えるのは、やりがい以外の何物でもなくて、仕事に一層責任感も増したし、自分に合っているなとも思った。そんでもって、毎日「うちの会社のここが好き!ここが素敵だよ!」て話を学生にプレゼンしていくわけだから、自然と会社のいいところをよく見るようになります。それもあって、超楽しい人事生活でした。

私の考え方を変えた彼との出会い。

というわけで、大変ながらもそれなりに楽しんでいた会社員生活でしたが、プライベートの方で大きな変化がありました。

日系アメリカ人との彼との出会いです。

彼との出会いで私の人生の価値観は大きく変わりました。

この話は長くなりそうなので、続きは次の投稿で書きます笑

次回、「価値観を変えた日系アメリカ人の彼との出会い」について書きます。