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竹美映画評48 タカ派映画が真実を語る〜『ランボー3 怒りのアフガン』(”Rambo 3”、1988年、アメリカ)

シュワルツェネッガー、スタローン、あと誰だ、トム・クルーズにブルース・ウィリスは、80年代アメリカ万歳映画の立役者だ。そして私にとってはほとんど興味が沸かない人たちである。

男性の筋肉がこれでもかと出てきて、男性同士のウェットな絆を見せつけてくれるが故に、今見ると、強さよりもむしろその肉体の中にある精神性の方が気になってしまう。筋肉・戦場・男性同士の繋がり…レーガン政権を象徴するようなタカ派映画。レーガン政権を批判的に描いたとされるジョン・カーペンターの『ゼイ・リブ』もまた、プロレスラーの俳優を起用して、10分間近い肉弾戦を見せつけ、男性性を誇示する。80年代は、そういうものがメインストリームの娯楽に横溢していた時代だった。その中にあって、スタローンの『ランボ―』からは、トラウマから立ち直れない男の苦しみが時折噴出する。その弱みと傷を抱えながらも健気に戦う男を全力で描き、シュワルツェネッガー系の無敵の男のイメージや、トム・クルーズの白い歯とは全く異なった印象を残した。スタローン渾身のアメリカ思想の表現だ。

さて、2021年9月に向けたアメリカ軍の歴史的なアフガニスタンからの撤退は多くの波紋を呼んでいる。人権外交を武器に使ってきたアメリカの価値観が負けたわけではない。アメリカ精神は別に傷ついてなどいない。これから、タリバン政権の蛮行がたくさん「西側」メディアに溢れ、反タリバン政権組織のことが出てくるだろう。また、テロの活発化を演出しさえするかもしれない。

アフガニスタンとはどういう場所なのか。『ランボー3 怒りのアフガン』は、タカ派映画かつ、冷戦という敵が明確な最後の時代の作品である。作中で、アメリカ政府が秘密裏にムジャヒディーンに武器を供与して、ソ連軍に対抗させたというプロセスを見事なまでに活写した。セリフの中でも「アフガニスタンを征服できた国は一つもない」と誇らしげに語られていたが、まさにその通りだったことが、30年の時を経て実証された。フェイクニュースとかよりもずっと真実を伝えている。これが冷戦末期タカ派映画の面白さかもしれない。『コマンド―』に出てくる中米政策も結構ひどいものだったが、結局はアレが事実に近いのではないだろうか。『バリー・シールズ』でそれを胡麻化そうとしたハリウッドは、ポリコレなうの今より、80年代の方が正直だったのかもしれない…。また、『ランボ―』第1作の冒頭を思い出してほしい。戦友の実家に行くのだが、黒人の母親が出てくる。ベトナム戦争の体験が人種間の対立を和らげたとすら言われることがうっすら示唆されている。戦争によって内部の差別が偶発的に減るというのは皮肉だが事実だと思う。

『ランボ―3』は、アフガニスタン描写もソ連人の描写もステロタイプでおかしい。それゆえにすごく勢いがある。ためらいや迷いがない。現地の揉め事にアメリカの正義の伝道師(神の使い)が入り込んで悪を成敗して地元の信頼を勝ち取る(つまり地政学的に勝利すること)という流れは、同時代の『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』シリーズに明らかだが、これがアメリカ人が海外に出て行くときの心構えなのだと思う。観光か戦争。観光に行ったのが『セックスアンドザシティ2』だ。明確だ。

80年代のアレをさすがに今やるわけにはいかないので、建前としての人権虹色外交でカモフラージュしつつ、中国やイランにも歩み寄って自らリトマス紙となったオバマと、トランプ、バイデンを見ると、「別に変ってないじゃん」ということが分かる。トランプは露悪的なまでにアメリカという国体の本音を吐いた。彼にヒール役として吐き出させておいて、「アレよりいいよね」ということで、バイデンは見事にアメリカ人に政策を納得させていくのかもしれない。トランプも基本は一国主義だったから、アフガニスタンからは撤退したかったはずである。私たちは、民主党=悪/善、共和党=まとも/あたまおかしい、という風に信じたい気持ちも持っているが、騙されて傷つくのは我々の方である。心が傷つくだけならいいけど…

CIA工作活動中の本音駄々洩れみたいな『キャプテン・アメリカ』では主人公たちがその美しい顔をゆがめて苦悩して見せるが、結局エンドゲームまで突っ走り、ディズニー帝国に巨万の富をもたらした。それにくらべ、スタローンが作り上げたジョン・ランボーは、まったくもって根暗で闇が深い。彼の人生ははっきりベトナムで一回終わっている。『ランボ―』第1作を初めて見たときは驚いた。これが80年代タカ派アクションアメリカ映画の古典なのか!?と。70年代の陰鬱を引きずりながら戦うランボーの虚しさ。状況がむなしいというよりも、ランボー自体が空虚な目をしている。痛すぎて感覚が麻痺しているかのような、一種子供のようなぽけーっとした目。スタローンは脚本にも参加しているけど、あれ意図的にやったんだろうか。すごくよくできていると思う。彼の心は常にベトナムにあって、戦って体動かしてるときは忘れられるけど、結局普通の生活には戻れないんだよね。『ハートロッカー』で描かれたものと同じ。さすがにシリーズ進んだらもっと変わるだろうと高をくくって『怒りのアフガン』を見たが、変わってない!えらい!!

男が弱さを見せる映画では、男性が男性によって痛めつけられるシーンがこれでもかと出てくる。『コマンド―』『ランボ―』『トップガン』『ダイハード』は今見るとゲイポルノ向けのシーンがいくつもあるが、『ランボ―3』の極めつけは、自分で傷を治療するスタローンのシーンだ。もはや拷問ポルノ。いけいけアクション映画の中にいきなり『ホステル』と田亀源五郎先生が挟まっている。

ランボーの幼い精神は、父親ともとれる大佐の言葉にすべてを支配されている。映画の予告編では「友」とされていたが違う。あれは精神支配だよ…。すごくエチ。自分を支配し管理してくれる人がいなくなったから探しに行くんだよ…健気っていうかもう愛と依存だ。私が思うに、大佐は、ランボーが戦場にもう行きたくないと駄々をこねたので、わざとソ連軍の捕虜になり、部下にランボーを呼びに行かせているのだ。そうすれば絶対彼は来るからだ。そして、彼の奮闘により、ムジャヒディーンたちを味方につけられるという公算もあっただろう。そう考えると、国際政治の問題よりも彼らの関係が怖い。

パート4以降を見ていないが、20年以上も次回作を作れなかった理由は、世界的情勢がアメリカの観客にとって、単純でも面白くもなくなったということなんだろう。パート5ではアメリカに帰り、何とメキシコの麻薬カルテルと戦争する。そんなのお茶の子さいさいだ。90過ぎたイーストウッドでもいなせますので!そして、今のアメリカの観客にとって、はっきりとわかる「悪い奴」はメキシコのギャングなのだろう。この10年程、いいメキシコ人と悪いメキシコ人を分断し続けてきたアメリカは、ついに敵を見出した。そのギャングに餌をやってしまったのは誰なのか、語られることはないだろう。

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