小説『理想の兄』第3回目「焼け野が原」

夢を見た。僕と兄は小学生だった。「お前の兄ちゃんおかま!」「おとこおんな!!」毎日のように僕まで言われていた。ちがう、おかまじゃない!おとこおんなじゃない、ちゃんと男子だ!!言いたくても声が出ないのだ。兄は横でにこにこ笑ってテレビを観ている。内容は…

高畑さーん…佐倉くん!

エスパー魔美かよ…「あなたのハートに、テレポート!」まことちゃんのぐわしをやり損ねたような手をしてこちらに向かってくる気取った顔の兄。やめてくれ、もう嫌なんだお前の弟でいるのは。消えてくれよ頼むから!長男だからって、自分ばっかりおもちゃ買ってもらって!!!そんなバカ兄貴なんかいらない、姉ちゃんと妹だけでいいんだ!!!いなくなれ!!!!

はっと気がつくと、家が火の海だった。火事だ。そうだ、うちは火事になったんだった。あれは昭和時代が終わった年の春だったはず。当時、兄貴は僕の飼っていた亀を気に入っており、いつも連れ出そうとしていた。あの日は二階の父の部屋で亀と遊んでいたのだ。何やってたんだ一体。火が出たのはどこだったか。兄が火遊びでもしたんじゃないか。そのくせ誰よりも早く家から逃げ出した。亀を置き去りにして。ホラー映画で逃げるヒロインに憧れていた兄のことだ、どうせまた頭の中でグレムリンから逃げるフィービー・ケイツでも夢想していたんだろう。

「兄ちゃんの馬鹿!!亀を置いてくるなんて!!!お前が焼け死ね!!!!」

兄ははっとした顔をして、家の中に飛び込んで行った。そして…

そこで目が覚めた。その後どうなったんだっけ。目の前に兄がいた。しかも僕の顔の1センチ前のところに。

「見わたすかぎり、たかし」

…何だっけこのタイトルは…何かあったぞ…そうだ、イタリア映画だ。『見わたすかぎり、人生』。そうだろ!バカ兄、へへーーんだ!!!」

ゴゴゴゴゴゴ…やるじゃない…。どうせあの、友達のイタリア人の子に勧められて観たんだろうけどよ。底が浅いんだよこいつは」
「…あの、友達のイタリア人、の辺りから全部聞こえてますけど」
「ギャッ。聞いて、ちゃんと聞いて。言葉にもならないのに全て欲しくなってしまう…?」
「無様なたかし」
「ばかっ無様な火傷、だろ?COCCOの歌を馬鹿にしやがって!!焼け野が原腹筋100回!」
「体育教師かよ!似合わねー」

朝からきっついなー。

やっぱりバカ兄はバカなまま帰って来た。兄がいなくなるなんて、嫌な夢だった。まして火事で死ぬなんてあり得ない。あのときは皆大変だったけど誰も死んでいないはず。そういえば兄はあの後どうなったんだっけ。ケガしてなかったか。

「ねえバカ兄、いやたかし兄さん、昔うちが火事になったの、覚えてるだろ。あのとき、兄さん火傷しなかったっけ。俺の亀を持ってくるって言って家に飛び込んで行ってさ。びっくりしたよ」
「そんなことしたっけ私が?するわけないから勘違いよ。炎の少女チャーリーみたいに放火する方が好きかも…全ての力を解き放つの…何だっけ、忘れちゃった。それにさ、そんなことしたら火傷が残っているはずだけど…ほら…私を見なさい…」

ばさっ…まさかと思ったが兄貴が服を脱いだ。全裸。たるんだお腹とその下に…うげぇっ見せんなよ。

「私の全てを…さあご覧…!」
「やめてくれよ気持ち悪い近寄るなよ!!うわああ顔に近づけんなよきたねえ」
「えー、せっかくヌードに自信あるのに。40過ぎてからのメールヌード写真集『黒魔術』で衝撃のデビュー。よくない?」
「服!着ろよ服。きたねえものをどけろ!!!せめて隠せ!!!!昼間の世界に出て来ちゃいけねえ者だっているんだよ!!!!涙流しながらお前を押し返すぜ闇の世界によぉ!!」
「あんた、なかなかいい線いってるね。やるじゃない即興セリフぅ! こんなにも、こんなにも、私の全てを見せているのにあなたは…私のことも…自分のことも見ようとしないのね…!!」
「あーーーもううるせーー」

不覚にもちょっと笑ってしまった。

兄が炊いたご飯(麦が入っていたが生煮えで歯ごたえありすぎ)と、薄味過ぎる味噌汁(「ごぬん、出汁入れ忘れたから、自分で入れて?」とかつおだしを差し出された)を食って仕事に行った。

昼ごはんにパスタを食った。そう言えば…友達のイタリア人って、何で兄が彼女のこと知っているのだ?最近知り合ったばっかりなのに。不思議に思ったが仕事に戻ったら忘れてしまった。

何日か過ぎた。毎晩のように、兄貴のショーを見せられた。お気に入りは、マドンナの『FROZEN』であるらしい。3回位見た。毛布をかぶってリビングで熱演したせいで、花瓶を倒してジュースをこぼした。何だかもう慣れてしまったので怒りもしなくなった。今度担当するコラム、内容は多様性と寛容についてにしよう。

「さあ、フィナーレよ!」
と言ってなんか悶え始めた。ちょっと目を離していたのでよく分からないが、頭の中では何かのシーンが展開しているのだろう。
「今のは?キャバレー?シカゴ?」(あてずっぽう)
「そうね、気持ちとしてはフォッシー亡き後のフォッシーミュージカルの末裔だったわ!?私誰ぇ?!」
「ばっかだなー兄貴ーあははは」

あれ?俺今笑ってる?

数日後の朝。

「ねぇーん…お金ちょうだーい!」
「何で!?」
「…ううーん…レゴブロックのおうちがー欲しいなーって…」

もじもじしやがって可愛くないぞお前40代のおっさん、俺30代終わり。

「お金の無心かよ…兄貴がまともに稼いで社会の一員としてしっかり生きているなんて信じられなかったしな。まあ驚きはせんよ。いくら欲しいんだ?」
「あんた…偉くなっちゃってねえ…何それ兄に対して言う言葉かいッ」
「いくら欲しいんだぁ?おらおら…言ってみろぉ」
「ああんそんなこと…言わせないで…あんたも段々兄の美学が分かって来たみたいねえ」
「うるせえ本当は何するつもりなのか言え。パチンコか?賭けマージャンか?」
「いいから!ちょうだいよ!だからレゴブロックの家買うんだってば。うるさいな。キムチ漬けて売って返すからさ!」
「わかったわかった。いくら?」
「…4000円」
「…兄さんの感覚って一生理解できないんだろうな…」

レゴブロックか。僕が誕生日にもらって作った白い家のことを思い出す。きれいな家でお気に入りだったのに…兄がやってきて「光の中にはいりなさーーーい…マー――ミ―――ごごおごごごおお」とか言いながら、家をぶっこわしちゃったついでにパーツが吹っ飛んで、本当にどういうわけか、いくつか台所の排水口の中に落ちて取れなくなって、もう家を作り直せなくなったんだったな。異次元に吸い込まれた…とか言い訳した兄にキレたけど、誰も止めなかった。兄を叩いて叩いて蹴ったけど、兄は…されるがままだった。多分その映画…『ポルターガイスト』の続編のことで頭がいっぱいだったようだ。

帰りに久しぶりに大学の同級生の友人ひさしに会った。ひとしきり兄の話をした。

「何か、お前ちょっと明るくなったな」
「は?そうか?」
「兄貴の話なんて初めて聞いたけど、面白いなお前の兄貴」
「迷惑ばっかりかけられて、ほんと困ってるよ。姉ちゃんと妹に話しても全然取り合ってくれないし」
「なあ、ちょっと思ったんだが…お前に兄貴っていたっけ」
「いるよ。たかし。俺が二番目だからたかじ。ふざけた命名だよなー」
「うむ…確か、お前の家ってなんかあったよな昔。大きな事故が」
「火事のことか?まあそうだったけど、誰も死んでないから忘れていた」
「そうか…まあいい」

帰り道、姉にLINEした。
僕:今から帰るところ。ひさしって覚えてるだろ。しばらくぶりに会った。遅くなったけど、うちに兄貴がいるから、疲れるけど、ほっとする。
姉:ちょっと電話してもいい?

電話が来た。こんな遅くにいいのか。働く母親なのに…

「あのさ、まず前提ね。あんた、火事のこと、記憶にある?」
「あるよ。でも全員無事だったじゃん。兄ちゃんがしばらく入院して」
「…やっぱり。あなたの中ではそうなっとるんやね。ずっと聞けんやったけど。何年か前にも同じことがあったけん、そのとき聞けばよかった」
「何だよ…気味悪い」
「ね、たかしは家にいるの?」
「そうだよ、もう家の前まで来た。電気がついてる。…何か踊ってるみたい…あれは昔のK-POP…久々にオム・ジョンファにハマってるってさ」
「たかしはK-POPなんか聞いたことないよ。だって…火事のときに…死んだじゃない…」
「…え?」
「だから…やっぱり…つらかったっちゃね、あんたはずっと。もう30年も前なのに。あんたは結局…たかしのことば一番思っとった人なのかもしれんね。本当はおらんのやろ、家には誰も」
「そんな…じゃあうちにいるのは…あれは…」
ガチャリ。ドアを開けた。
「ちょっと、たかじ!」
「ほら、そこに…」

電話をビデオに切り替えて姉に見せようとしたところでスマホの電源が落ちてしまった。

薄暗い廊下に兄が立っていた。何かひらひらしたものが風に煽られて揺れており、中央に逆行の兄がいる。何をする気なんだ。スマホを操作した。一体…

続く。

3回目で終われなかった…たかし兄、引っ張るな‥

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