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竹美映画評90 見たか!グローバルサウスの盟主の力を!! 『The Vaccine War』(2023年、インド、ヒンディー語)

何度か取り上げてきたヒンディー語の映画監督ヴィヴェク・アグニホトリ監督最新作、『The Vaccine War』を観た。

「英語字幕アリ」と映画の最初に出たのに、インドあるあるで、作中字幕が表示されなかった。字幕ありと書いてないのに英語字幕を出す作品もあるので本当によく分からない。

よって話の詳細が分からないところもあるが、スリリングかつ面白く観ることができた。

判る限りで解説してみる。

あらすじ

2020年1月、中国の武漢で新種のウイルスが発見され、瞬く間にインドでも感染が確認される。インド政府の疫病研究機関、Indian Council of Medical Research(ICMR)の専門家たちは直ちに集まり、他の研究拠点と協力しながら、患者第一号を特定、コロナウイルスの分離に成功する等、目覚ましい成果を挙げる。翌年にはインド国産コロナワクチンの開発・生産を発表。一方インドのメディアは「INDIA CAN’T DO IT」とネガティブキャンペーンを繰り広げ、WHOもなかなかインド製ワクチンを許可してくれない…様々な困難を経てインド製ワクチンが世界に送られていくまでを描く。

暴かれること

どんな観客がターゲットなのか?ということを考えながら、何が暴かれ、何が描かれなかったかを考えてみたい。

やはり、面白い映画というのは魅力的で厭ったらしい悪役が必要だ。

ナラティブ(お話💛)によって殺され、ナラティブによって生き返った兵士であるところのヴィヴェク・アグニホトリ監督のテーマは一貫して「隠れた敵」の暴露である。積年の恨みが伝わって来るようである。

今回アグニ暴露の対象になったのは、外国企業からお金をもらってつるんでいる(というのがアグニホトリ監督のナラティブ)インドメディアの有力者。フェイクニュースや事実の切り取りを用いて「INDIA CAN’T DO IT」を人々の頭に拡散しようとするのである。

フェイクニュースや事実の切り取りのネガティブキャンペーンに注意せよというナラティブにしたがって世界が動いているのであるから、グローバルサウス・インディアがそうなってないはずがない。

本作は、インド公開前に、アメリカに住むインド人向けに上映会が行われている。彼らはどういう人達が対象なのか?つまりは、インドでそこそこの階層にありつつ、アメリカに渡るチャンスを得て何とか生きている層だ。英語が日常語でそれなりにインドの外の世界を知っているが、インドにどこか見切りをつけて移民した人達である。彼ら、いわばグローバルインド人にもう一度インドってすごいんだと思い出させたいのだ。或いはそういう反応をインド向けにアピールするねらいがあったと思う。

今回の悪役がこれまた厭らしくて、いかにも「あたし、ワルです!」という顔をして次々に研究チームに挑戦する。最後、(これ『Buddha in a traffic jam』でもそうだったからアグニホトリ監督は好きなのかも)遂に記者会見に臨んだ研究チームに対し、次々に悪意ある質問をぶつける!戦争だ!!!そして常にINDIAは勝つ!!!!「INDIA CAN DO IT」を百回位聞いた気持ちになる。

ドメスティックインド人にはこれで十分効くだろう。『パッドマン』『ガリー・ボーイ』のラストで描かれる祝祭のイメージが、ヒンディー映画・ボリウッド映画の中の「ドメスティックインド」なのだから、我が国がかなりすごいことをやってのけた!ということを示す必要がある。

今回の目玉の一つは、ワクチン研究開発は、女性研究者たちが主導したのだというところ。時には研究チームのボスの男と喧嘩したりして一生懸命に研究を進める。特に、Pallavi Joshi演じるドクター・エイブラハムの演技は力強い。彼女はアグニホトリの妻で本作のプロデューサー。夫へのキャンセル等で随分苦労したと思われるが、そういった苦節も自分のものにしているように思う。

ともかく目覚ましいインディアの感動ストーリーで、もしかしたら『パッドマン』よりもずっとすごいのではないかという印象を与える。私はまだ『ミッションマンガル』等の宇宙開発系映画を観ていないのでそちらとの比較ができないのが心残りだが、何と言っても、インドがコロナパニックで体験したロックダウンや、2021年前半のパニック状態(酸素が足りない!)を経た今の作品だから記憶も生々しいはずだ。

描かれないこと

ところで…本作がターゲットとする階層にとってあんまり興味を引かない部分というのは何だろう。今回描かれていないのはそこだ。

まず、ロックダウンのシーン。日本にいて、ニュースでのみロックダウンを見てびっくりしていた私としては、ロックダウンがあまりにも整然と、パニックもなく皆が従ったというように描いていたのに驚いた。或いは、本作を「観客」として楽しめる階層の人にとってのロックダウンはああいう感じだったのだろう。また、色々な事があったが今となっては…というモノなのかもしれない。あまりにあっさりしていたのだ。

私が想像したロックダウンのシーンは、都市部労働者が仕事が無くなってぞろぞろ地方に流れ出た結果、ウイルスも全国に広がり、収入も無くなり悲惨な状況が起きた…という事件だったのだが、アグニホトリナラティブに言わせれば、私の信じたのは「ロックダウンはモディ政権の失策の一つ」という外国メディアの好むナラティブだった。また、ロックダウンは研究チームのボスが進言して、モディ(PMとだけ言及)が科学者の意見ということで支持したというような形に読めた。

結局のところ、コロナパニック下で下された様々な施策のどれが役に立ち、どれが意味なかったのか、検証することは不可能ではあるまいか。日本の新しい神話「アベノマスク」はどうなったのだろう。スケスケのマスクを支給されたとき、「マスクが足りない中でありがたい、政府はちゃんと動いている」と思うのか、「これしかないのか」と不安になるのかの違いも、色々と言われていたが、後になれば「あのときはしょうがなかった」のである。

また、インドで2021年、気が緩んでホーリー祭り等に興じた結果、4,5月に感染者増大でそこらじゅうで遺体を焼く様子が見られた…という悲痛なシーンは出て来る。これは外国メディアベースの私の理解は、インド政府が移動制限をしなかったので相当な人が集まった結果そうなったという理解だったが、そこは語られず、単にアウトブレイクが理由もなく発生したように読めた。映画自体からの政府批判が一切ないのだ!これも『パターン』にも共通するグローバルサウス映画の特徴かもしれない。

チームの一人がようやく家に帰ってきたところ、向かい側の家が一家全滅していることに気がついて泣き崩れるシーンがあった。そう、彼らは国のために選ばれたソルジャー。そして今は戦争。だから犠牲者のことは心に留めて、研究にまい進する他ないのだ。悲壮な覚悟と重責である。

研究者個人としてはその通りで、物語はそちらに比重があるから映画としてはいいのだが、実際のところ、政府全体としてはどういう風に評価されるべきなのだろう。日本人だから、現場は一生懸命やった!だから批判するな、という日本的ナラティブでも許せるかもしれない。もしそういう点が落としどころなのであれば、日本の東日本大震災と福島の原発事故関連の苦痛を「民主党政権の悪、風評を煽ったメディアの罪」というナラティブに閉じ込めた2012年以降の日本と同じだ。

モディ総理と安倍総理は気が合ったようだ。それぞれの国のために頑張って来たことは評価されるべきだ。確かに、メディアはもうちょっと政府のやっている全体像、そしてよくやってるところを伝えるべきではないかと思うし、日本政府も…「これはできないから後回し・切り捨ててしまい申し訳ないが、これをやる」というような事実ベースの説明をしたらどうなのだろう。国民はいい・悪いを判断したらいいのか分からないから結局…雰囲気で判断し、本当にまずい部分を等閑視することに繋がっているのではあるまいか…。

とは言え、本作が描くようなやり方で「政府はベストを尽くしているのだからメディアは邪魔をするな」と全てのケースにおいて信じていいのかという問題が残る。だってインドのこれまでを考えると、というか、日常レベルや職場等で見られる様子からして、「ほんとかな…」と疑われるのは仕方ないのではあるまいか。まして2021年の春の大流行は、ワクチン研究チームのせいではないが、政府の責任ではあるのでは。警察も未だに袖の下を要求するし(実体験)。

グローバルサウスの夢を守って

インディア政府がマスメディアの言葉よりも真に信頼できる状況になったと言えるかどうか。これはグローバルサウスの夢が現実になるかどうかを測る一つの指標であるから、その指標を、宇宙ロケットやワクチン等の夢や、スパイ映画の虚構で覆っていいのも今のうちだけ、という気がする。結果オーライではダメなのだ。日本人としてはそう思う。

アグニホトリ監督が「憲法は人の権利を制限しているのに、インド人自身は何やってもいいと思っている」と辛口に評したインド。インド的な問題、「なぜインド人同士が一般市民として互いを信用できないのか」という状況を、ヒンドゥー主義に基づく国家主義でもなく、タミル的なアイデンティティー政治的な批判でもない、宗教も超えたインドの皆に共通するナラティブで分析するとしたら、それはアーミル・カーン的だ。彼の映画『Laal Singh Chaddha』はインドでは昨年拒否された。今はグローバルサウスの夢を壊さない映画が求められているのだ。

本作は映画として面白く、かつてのアメリカ映画のごとく、自国の夢を、つまりインドの場合はグローバルサウスの夢を明るく照らしている。インド国民は本作を支持するだろうか。もう少し待ってみようと思う。

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