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悲しみは乗り越えなくていい

冬休み。
亡くなった夫のiPadやiPhone、iPodなどを初期化した。最後に使っていたiPhoneだけはとっておいて、そのほかはもうリサイクルに出してしまおうと思ったからだ。電源さえ入れるのも怖くて、ずーっと見てみぬふりをしてきたけれど、今ものすごい断捨離モードに突入しているせいか、勢いで実行してしまった。

初期化作業中、iTunesに登録されていた音楽を見返した。夫とは音楽の趣味がほどんど一緒で、プレイリストに並ぶ音楽は私のものとほぼ変わらない。中でも元ちとせが好きだったな。よく一緒に聞いたなあ…、新婚旅行奄美大島だったなぁ…なんて思い出していた。

翌朝、J-WAVEをつけたらちょうど元ちとせの「ワダツミの木」が流れてきた。昨晩元ちとせを思い出していたら、翌日ラジオから元ちとせが流れてくる…何だ!?…この偶然は…!?と、歌詞に耳を傾けた。

ワダツミの木/作詞・作曲 上田現

赤く錆びた月の夜に
小さな船をうかべましょう
うすい透明な風は
二人を遠く遠くに流しました

どこまでもまっすぐに進んで
同じところをぐるぐる廻って

星もない暗闇で
さまよう二人がうたう歌
波よ、もし、聞こえるなら
少し、今声をひそめて

私の足が海の底を捉えて砂にふれたころ
長い髪が枝となって
やがて大きな花をつけました

ここにいるよ、あなたが迷わぬように
ここにいるよ、あなたが探さぬよう

星は花に照らされて
伸びゆく木は水の上
波よ、もし、聞こえるなら
少し、今声をひそめて
優しく揺れた水面に
映る赤い花の島
波よ、もし、聞こえるなら
少し、今声をひそめて

今まで何度も聴いてきた曲だけれど、じっくり歌詞の意味を考えたことがなかった。日本神話における海の神様“ワタツミ”。様々な解釈がネットで紹介されていたが、この一文が私にとってのクリーンヒットだった。

 ワダツミの木となった『私』は『あなた』が暗闇の中で迷わぬように、大きな木となり道しるべとして”ここ”に留まります。

『私=夫』は『あなた=私』だ。

夫の姿がなくなったあの日から、私たち夫婦は別世界にいる。夫だけがいるのではなく、二人で違う世界に迷い込んだのだ。私はそんな気持ちでいる。でも少し前までは、夫は遠くへ行ってしまい、私はたった一人で別世界に迷い込んでしまったと思っていた。“二人で“と思えるようになったのは、こうして先人たちが、悲しみについての想いを言葉にしてくれているからだ。

月日が流れ、夫の姿のない生活にも慣れたけれど、悲しみが小さくなったわけではない。
心の中というのは、柔らかい袋状のもに水が満タンに入っているイメージがある。底の方には記憶や悲しみが沈殿していて何かの折に、ふわっと上の方へ舞い上がってくる。時間の経過とともに舞い上がる回数は減るが、今回の「ワダツミの木」の曲を聴いたときなどクリーンヒット現象がおこると、沈殿物は大波とともに私の近くにやってくる。もう、そんな状態になると涙がとまらない。

最近、義理の姉(夫の実姉)が教えてくれた、若松英輔さんの「悲しみの秘儀」(文春文庫)という本を読んだ。この本もクリーンヒット連発で、なかなか読み進められず、まだ残り三分の一が未読だ。
この本からも、「ワダツミの木」からも感じるのは、見えなくなってしまったものと、ともに生きていくいうこと。私は自分に起こった大きな悲しみを一人で乗り越えてどこかに行こうとしていたことに気づき、悲しみは乗り越えるものじゃなくて、姿は見えないけれど、夫とともに様々なことを感じ、解釈していくものなんだと思えるようになった。

夫の戒名は燈炬(とうこ)。
舞台照明家だったから、火や明かりをともして迷わぬように導いてくれるという名をつけていただいた。
私は危うくこの意味を忘れるところだった。

確かなことは、先人たちが遺した言葉の波を全身で受けたあとは、涙でずぶ濡れになりながらも爽快感にも似た想いがあることだ。まさにクリーンヒットである。
そして私もこの悲しみへの想いを言葉にしていきたい。
そう思ったら、二人で前に進めるような気がした。


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