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劇詩というか: お母さんの「呪い」

お母さん、ぼく死にたいよ。

ある日ぼくはお母さんに言った。

ぼくは学校でいじめを受け、自殺したくてたまらなかった。

高校一年生の時だ。

あの時生まれてはじめて自ら死にたいという気持ちがふと頭に浮かんだ。

一度頭に撒かれた気持ちは消えない。

消えないどころかどんどん頭から芽吹いてくる。

死にたい、死にたい、死にたい。

気づけばぼくは家の近くの公民館の螺旋階段を上がっていた。

いちばん上に行って、柵を乗り越え、からだを乗り出そうとした。

でもなんだろう。

あんなに死にたいと思っていたのにすごくこわくなった。

飛び降りようか。

いや、こわい。

飛び降りたい。

いや、こわい。

繰り返しているうちに誰かが来るんじゃないかと思いはじめた。

そうしたら恥ずかしくなってきて、柵の内に戻った。

ぼくは死ねないんだ。

気がしょげた。

それでお母さんの前にいる。

お母さん何言うかな。

ビンタされるかな。

……。

お母さんはぎゅっとぼくを抱きしめてくれた。

だいじょうぶ。だいじょうぶだから。

死にたいなんて言わないで。死にたいなんて言わないで。

こうやってお母さんのことを思い返すたびぼくは素直な子じゃなかったなあと思う。

お母さんありがとうと言えなかった。

大泣きもしたかったけどできなかった。

お母さんを抱きしめかえすこともできなかった。

ただとまどっていた。

ぼくは白状だ。

でも死ぬのはよそう。

そう思った。

お母さんが抱きしめるのをやめてこう言った。

だいじょうぶ?

ぼくは答えた。

うん。

でもそれは嘘だった。

ぼくの白状は続いた。

一度頭に撒かれた死の種はつぶせるものじゃなかった。

それから後も大学に入った後、首を何度も吊った。

なぜか死ねなかったけど。

薬も大量に飲んだ。

なぜか気持ちよく寝れただけだけど。

ぼくは当時これはお母さんがかけた「呪い」のせいだと思っていた。

今に戻る。

今は自殺のことは考えるのをやめた。

自殺めいたこともするのはやめた。

きっかけはない。

生きていたら自然とやめられた。

でもその根は、お母さんがかけてくれた「呪い」なんだろうと思う。

お母さんありがとう。

これからもよろしく。

ぼくは今をなんとか生き続けます。

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